緊急集会「被爆者は核兵器禁止条約を求める」―登壇者:谷口稜曄氏(日本原水爆被害者団体協議会〔日本被団協〕代表委員)、川崎哲氏(ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン〔ICAN〕国際運営委員)ほか 2016.11.25

記事公開日:2016.12.14取材地: テキスト動画
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※2018年8月13日テキストを追加しました。

 2016年10月27日(日本時間28日)国連第1委員会で提案された、「兵器禁止条約に向けた交渉を2017年に開始するよう求める決議案」は、123カ国の賛成多数で採択。核兵器を禁止する国際的な法的枠組み作りを目指して、一歩を踏み出した形となった。

 他方、同採決において中国を含む16カ国は棄権。そして、唯一の被爆国である日本政府、及び核兵器保有国の米英仏露など38カ国が反対票を投じた。

 反対理由について、岸田文雄外相(当時)は翌28日の記者会見で、北朝鮮の核・ミサイル開発の深刻化に言及しつつ、「核兵器国と非核兵器国の対立を一層助長する」などと説明した。

 これに対して、広島と長崎の被爆者団体らは、11月25日参議院会館内で緊急集会「被爆者は核兵器禁止条約を求める」を開催。反対票を投じた日本政府に対し抗議の声をあげた。

 集会では、日本被団協事務局長である田中煕巳(てるみ)氏による開会あいさつに続き、ピースボートの川崎哲氏が今回の決議採択をめぐる状況などについて説明がされた。

 また、登壇者の一人で、長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄(すみてる)氏は、「生きているうちに核兵器廃絶を実現したい」と強く訴えた。

 谷口氏は長崎原爆を体験した被爆者のひとり。1945年8月9日16歳のとき、爆心地から1.8キロメートル離れた長崎市東北郷(現在、長崎市住吉町)で、自転車に乗って郵便物の配送中に、背中と左腕に原爆による激しい熱線を浴び、重傷を負った。

 この集会から9か月余り経った2017年年8月30日に、谷口氏は十二指腸乳頭部癌のため、長崎市で死去。享年88歳だった。

 谷口氏は被爆から3年半以上たった1949年3月20日に退院するも、その後もたびたび皮膚の移植手術等の治療を受け続けなければならなかった。戦後は、原爆によって被害を受けた自らの体験をもとに、核兵器廃絶のための活動を続けていた。

 谷口氏には、2013年8月9日に岩上安身がインタビューをおこなっている。こちらもぜひあわせてご覧いただきたい。

■全編動画

※主催より動画提供

  • 開会挨拶 田中煕巳氏(日本被団協事務局長)
  • 国連の報告と状況説明 川崎哲氏(ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン〔ICAN〕国際運営委員)/藤森俊希氏(日本被団協事務局次長)/質疑応答
  • 議員挨拶
  • 被爆者らの訴え 谷口稜曄(たにぐち・すみてる)氏(長崎原爆被災者協議会会長)/大越和郎氏(広島県被団協事務局長)/井原東洋一(いはら・とよかず)氏(長崎県被爆者手帳友の会会長)/朝長万左男氏(核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会委員長)/中島正徳氏(長崎県被爆者手帳友愛会会長)/足立修一氏(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会〔HANWA〕共同代表)
  • 署名に関する行動提起/意見交換
  • 司会まとめ・閉会挨拶 林田光弘氏(ヒバクシャ国際署名キャンペーンリーダー)

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