山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』第四章「イラクの石油問題の始まり」(IWJウィークリー33号より) 2015.2.17

記事公開日:2015.2.17 テキスト
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第3回の続き。
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第三章 兵器が戦争を変える

◆第四章 イラクの石油問題の始まり◆

 アメリカはなぜイラクとの戦争にこだわったのでしょうか?

 ブッシュ大統領は、その理由を、
「この戦争は、フセイン政権をたおして大量破壊兵器やテロリストの脅威から世界を守るための戦いだ」
と説明しました。

 しかし、世界中の多くの人々は武力攻撃に反対の声を上げました。アメリカの決議案は、国連の賛成も得られませんでした。

 すると今度は、
「フセイン大統領の独裁下で苦しい生活を続けるイラク国民を解放するための戦いだ」
とも説明しました。

 これに対しても、イラク国内の問題への内政干渉(立ち入って、よけいな意思をおしつけること)ではないかという批判が世界各国からありました。

 いずれにしても戦争は、国家が何らかの理由や目的をもって行う武力行為です。

 アメリカにとって、この戦争の理由や目的は、ほんとうに「世界の平和」や「イラク国民の解放」だけなのでしょうか?

 実はアメリカは、フセイン政権をたおした後に、アメリカの傀儡政府をつくるつもりなのだという見方が一般的です。傀儡政府とは、アメリカの思いどおりになるような都合の良い政府のことです。

 アメリカがイラクにこだわる一番の理由は、イラクからほりだされる「石油」だといわれています。

 20世紀に起こった戦争の多くは、「石油」をめぐる争いに起因していました。そして、ブッシュ大統領が主張する「新しい戦争」を考えるうえでもまた、「石油」は重要なキーワードなのです。

 20世紀の歴史をふり返ると、イラクの石油が、世界各国の争いの大きな原因になってきたことがわかります。

1 世界の石油を支配するアメリカ石油メジャー

 石油は紀元前の昔から利用されていました。古代バビロン、アッシリア、エジプトの人々は、建築や防腐剤に石油を原料としたアスファルトを使用していました。

 人類が井戸をほって地中の石油をくみ上げるようになったのは、1859年8月27日からです。この日、アメリカ人のエドワード・ドレイクはペンシルバニア州の油井から石油を採取したのです。

 これをきっかけに石油採掘事業が起こり、1870年にロックフェラー兄弟がスタンダード石油を設立しました。

 油田から採掘した石油をガソリンや軽油などの製品にして販売するためには、精油所・パイプライン・積み出し港・タンカー等が必要です。石油精製事業や石油輸送事業等の石油事業は、巨額の資金を必要とします。それでロックフェラー財閥のような資本家が石油事業を独占する結果になるのです。

 アメリカのカリフォルニア州に油田を持ち、自社の精油所で精製し、販売を行う石油会社を「独立会社」といいました。スタンダード石油株式会社をはじめ、シェル会社、ユニオン石油会社、アソシエーテッド石油会社、テキサス会社、リッチフィルド石油会社などの「独立会社」をまとめて一般に「石油メジャー」といいます。

 この石油メジャーの事業によって、アメリカは世界の石油支配に乗り出していくことになるのです。しかし、20世紀初頭では、中東よりも中南米の支配に目が向いていたといえるでしょう。

2 中東の石油をねらって

 もともとアメリカは、世界最大の産油国でありましたから、石油に不自由することはありませんでした。

 けれどもヨーロッパでは、ロシアのコーカサス地方とルーマニアに油田があるだけでした。イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・オーストリアなどは自国に油田がありません。

 ヨーロッパ諸国は、かねてより中東の油田に注目していました。ペルシャ(イラン)やメソポタミア(イラク)地方にも油田があるはずだと考えたのです。

 中でもいち早く中東の石油に注目したのは、イギリスでした。

 当時の大英帝国イギリスは、世界各地に属領や植民地を持つ海運国でした。軍隊は海軍が中心です。イギリス海軍は、「20世紀は石油の時代だ」と判断し、軍艦の燃料を石炭から石油に切り替えることに決めていました。

 そこで当時の海軍大臣ウィンストン・チャーチルは、イランやイラクの石油獲得(手に入れること)をイギリスの国家政策にしました。

 この地域は地理的に見ても、イギリスにとって重要な意味を持っていたのです。

 18世紀末からアラビア半島を舞台に展開された、強大な国々の侵略政策を、「陸橋政策」といいました。アラビア半島が東洋と西洋を二分しているので、この半島を勢力下に置くことは、両洋に政治的橋をかけることになるからです。それで、アラビア半島をヨーロッパとアジアを結ぶ「陸橋」、スエズ運河を地中海とインド洋を結ぶ「橋」と呼んだのです。

 アラビア半島を支配することは、東洋と西洋の関門であるペルシャ湾と紅海を支配することになります。その結果、インド洋にも地中海にも強力な影響力を発揮し、アフリカをも支配することができます。

 また、アラビア半島は農産物や石油資源に富み、工業製品の市場としても有望でした。

 つまり、アラビア半島を支配することは、世界を支配することと同時に、きわめてたくさんの富を手に入れることになります。この陸橋政策に、初めから最も熱心だったのがイギリスでした。

 当時、イギリスは、アジアやオーストラリア植民地や属領を持っていました。20世紀の初頭は、インド・オーストラリア・ニュージーランド・マレー半島・香港はイギリスの属領でした。中でもインドは、「大英帝国の宝庫」といわれました。そのインドの安全を守るためにも、地中海からスエズ運河を通じてインド洋に出るルートの安全を確保する必要があったので、イギリスはアラビア半島の支配をねらっていたのです。

▲第一次世界大戦前の中東[破線にかこまれた部分は、1914年までのオスマン帝国領]

3 イラク石油は、初めはトルコ石油

 地図で見ると、黒海と地中海をさえぎる形でオスマン帝国(トルコ)があります。地中海から黒海へぬけるダルダネルス海峡→マルマラ海→ボスポラス海峡を「海峡」といいます。トルコ領の「海峡」をめぐって、トルコとイギリスやロシアのあいだで紛争が起きました。

 ロシアは、黒海からトルコの「海峡」をぬけて地中海に出る、南下政策を推進するつもりでした。

 しかし、イギリスにとってロシアの南下は、地中海とスエズ運河の安全をおびやかすことになります。トルコの「海峡」は、陸軍国ロシアと海軍国イギリスをへだてる緩衝(衝突をやわらげる)地帯でした。そして、コンスタンチノープル(現イスタンブール)は重要な戦略的地域でした。

 オスマン帝国は、1453年にコンスタンチノープルを征服して以来、中東一帯を支配し、全アラビアの宗主国でした。けれども実際は、ペルシャ湾・紅海・地中海沿岸の港のある重要な都市をおさえているだけでした。広大なアラビア半島には砂漠の遊牧民や数多くの部族がいました。彼らの宗教がイスラム教で、イスラム教の最高権威は神の使徒の代表である「カリフ」です。オスマン帝国がエジプトを征服して、アラブ人からカリフの地位をうばって以来、約四百年間、オスマン帝国のスルタン(君主)がカリフになりました。全世界のイスラム教徒とイスラム教国を統治する「スルタン=カリフ」は、アラビア半島の宗主として中東を支配したわけです。

4 ドイツの中東進出

 オスマン帝国・大英帝国・ロシア帝国の利害が複雑にからみあっている中へ、もう一国、割りこんできた国がありました。東方進出政策をかかげるドイツです。

 ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、トルコに軍事教官や財政顧問・有力な実業家を派遣しながらトルコの利権を獲得し、ついにアナトリア地方に鉄道をしく権益(権利と利益)を得ました。ドイツは首都ベルリン・ビザンチウム・バグダッドの3Bを結び、さらにイラクのバスラに至るバグダッド鉄道の計画を立てたのです。

 バグダッド鉄道が完成すると、ドイツは広大なオスマン帝国に勢力を持ち、ドイツからペルシャ湾まで軍隊を輸送することができます。もしもドイツがアラビア半島を支配したら、ペルシャ湾を通じてインドをうばうことができます。さらにシリア方面からスエズ運河を制しエジプトをうばえば、大英帝国は死んだも同然になります。

 イギリスが、このバグダッド鉄道計画に危機感をつのらせているころ、バグダッド鉄道会社が油田を発見しました。これがイラク北部のモスル油田です。ドイツは、バグダッド鉄道会社を通じて、トルコから石油採掘権を獲得しました。

5 モスル油田の争奪戦が始まる

 しかしながら、前々からペルシャ・メソポタミア地方の石油をねらっていたイギリスが、みすみすドイツに石油をゆずるわけがありません。モスルの石油の利権をめぐって、ドイツとイギリスは激しい争奪戦を始めました。

 第一次世界大戦が始まる直前の1914年3月19日、トルコ石油株式会社を共同出資で設立する形で利権の配分を次のように決めました。

ドイツ銀行                        25%
ダーシー事業団(イギリス)                50%
アングロ・サクソン石油(ローヤル・ダッチ・シェル系)   25%

 トルコ政府は、このトルコ石油会社に、モスルとバグダッド両州の石油開発の独占権をあたえました。

 このとき、アメリカの石油メジャーのスタンダード石油も利権争いに加わりましたが、利権を得ることができませんでした。

 イギリスとドイツのあいだで石油協定がまとまると、イギリスは英独協定を結んで、バグダッド鉄道計画を条件付きで承認しました。国益としてドイツは鉄道を、イギリスは石油をとったのです。

(第5回に続く)

■山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』

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