百人百話「第四十六話」大橋さらさん 2012.1.6

記事公開日:2012.1.6取材地: 動画独自

特集 百人百話

「『活動家』は自分の大切なものを守りたい人」

 二本松市在住。40歳。夫と中学・高校の娘2人。家族仲は良く、いつもこたつを囲んでの団らん。避難中も寄り添っていた。迷い悩んだ末に屋内退避を選んだが、自分の危機感は甘いものだったと思う。講演会で内部被曝の深刻さを初めて知り、衝撃を受けた。事故前と変わらない生活を送る娘たちを見るにつけ、悲しくて仕方なかった。いまは一日も早く、子どもたちも納得のいく形で移住させたい。そして、不安を抱えているお母さんたちの力になりたいと思っている。


百人百話「第四十八話」佐々木道範さん 2012.1.6

記事公開日:2012.1.6取材地: 動画独自

特集 百人百話

「福島で生きる覚悟」

 39歳。二本松市真行寺副住職。NPO法人「チーム二本松」代表。除染活動や食品の放射能測定は、いろいろな人とのご縁と支援によるもの。声を上げたら応えてくれる人が多くいて、初めて人の温かさ、人を信じることを知った。正確な情報が伝わらず、途方に暮れる檀家を残してここを離れたら、これまで語ってきた「命の教え」に反する、すべてが嘘になってしまうと思い、家族と留まる。理解ある妻に感謝。福島を忘れないでほしいと願う。


百人百話「第四十七話」佐々木るりさん 2012.1.6

記事公開日:2012.1.6取材地: 動画独自

特集 百人百話

「手をつないで、放射能と向き合っていく」

 二本松市在住 38歳。家族は、真行寺副住職の夫と 5人の子ども、住職の義父。15歳で妊娠し、出産。夫は生涯をかけて自分と子供を守ってくれる人だと信じていたし、いまもそれは変わらない。事故後、一時県外に避難したが、檀家の期待、必要とされる喜びを知り、ともに二本松で放射能と闘っていこうと戻った。お寺は人が最後に戻っていく命に最も密接に関わる場所。そこを守っていくのが、自分に与えられた使命だと、今は思っている。


百人百話「第四十四話」菅野吉広さん 2012.1.5

記事公開日:2012.1.5取材地: 動画独自

特集 百人百話

「渡利の子どもたちを守りたい」

 妻と子ども 2人の 4人家族。事故後、小学校での放射能説明会に出席した際、学校の対応に疑問を抱き、「渡利の子どもたちを守る会」を結成、代表となる。要望書を提出し、政府交渉を行ってきたが、難航している。会の仕事と本業に追われ、コミュニケーションの時間が取れなかった妻とは離婚話も出る状況に。そこで初めて、何より家族を最優先しなければと思い直した。自分の命にかえてもと思う子どもたちと、ごく普通の生活を送りたい。


百人百話「第三十七話」渡辺富士男さん 2012.1.5

記事公開日:2012.1.5取材地: 動画独自

特集 百人百話

「なぜもっと大きい声で言わないんだ」

 飯舘村出身 58歳。福島市の借り上げ住宅に妻と母と暮らす。飯舘は、冬は厳しいが、自然豊かなところ。親戚が集まるときは賑やかで楽しかった。村では 30組の隣組と、結(ゆい)が力になっていた。今でも、ふと夜中に目が覚めると、飯舘の家での間取りを思い出す。今後除染が進んでも、新しい職に就いた若い人たちは帰られないだろう。若者がいない村で年寄りは暮らせない。子どもたちと孫たちと、家族みんなで住めることを願っている。


百人百話「第十五話」小堀健太郎さん 2011.9.25

記事公開日:2011.12.29取材地: 動画独自

特集 百人百話

「同じサーファーでも、意見も行動も分かれる」

 いわき市在住。29歳。仮設住宅建設に従事。趣味はサーフィン。3.11は旅行先のオーストラリアにいた。テレビに映し出される映像を見ても、実感は湧かず、信じられない思いだった。ショックで悲しくて、家族の無事をひたすら祈った。帰国してからはずっと、線量が頭から離れない。数値が高いとマズイと思うものの、いちいち気にするのも面倒になってきている。長男でもあり地元は好きだが、いずれはこの地を離れようと思っている。


原発いらない福島の女たちによる「女たちの御用納め」 2011.12.28

記事公開日:2011.12.28取材地: 動画

 2012年12月28日(水)、東京電力前で行われた、原発いらない福島の女たちによる「女たちの御用納め」の模様。


記者会見「福島第一原発の警戒区域内における被ばく牛の機能水を使用した除染試験の成果報告と富岡町と共同で来年実施予定の本試験の詳細について」 2011.12.28

記事公開日:2011.12.28取材地: 動画

 2011年12月28日(水)、農林水産省農政クラブにて、記者会見「福島第一原発の警戒区域内における被ばく牛の機能水を使用した除染試験の成果報告」が行われた。


女たちの座り込みアクション報告会・「福島の女たち」、その3日間の全記録を報告 2016.10.14

記事公開日:2011.12.25取材地: 動画

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 2011年12月25日(日)、郡山市労働福祉会館2F 中ホールで行われた、『女たちの座り込みアクション報告会・「福島の女たち」、その3日間の全記録を報告』の模様。

 10月27~29日、経済産業省前で行われた「原発いらない福島の女たち」の座り込みアクションは、3日間で2371人(受付数)が参加し、その後、大阪・広島・富山・北海道・和歌山・京都・ロサンゼルス・ニューヨークにも広がる。

 この間「福島の女たち」は連日記者会見、経産省に申し入れ、女性国会議員たちを訪問、首相官邸にも入った。地元である福島県で、その3日間の報告が行われた。


判決不服従アクションin郡山:疎開裁判の報告会「16日の裁判所の決定について」&『放射能からいのちを守る全国サミット』キックオフミーティング」(広河隆一氏) 2011.12.23

記事公開日:2011.12.23取材地: 動画

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 12月16日(金)に、福島地方裁判所郡山支部から、人権侵害の「申立てを却下する」という判決(決定)が出たため、急遽、これについての報告会、および講演会を行った。


STOP再稼働!福島から避難してきたお母さんと語ろう 2011.12.23

記事公開日:2011.12.23取材地: 動画

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 12月23日(祝・金)に、かながわ県民サポートセンターで行われた「STOP再稼働!福島から避難してきたお母さんと語ろう 」の模様。

 主催は『ZENKOかながわ』(平和と民主主義をめざす全国交歓会・かながわ実行委員会)。

 福島第一原発から西へ約60キロ、福島県伊達市から幼児とともに都内に母子避難された菅野久美子さん、郡山市から小学生の娘さんをつれて都内に避難した伊藤千恵さんが、避難生活と福島への思いを語った。


百人百話「第三十話」大塚愛さん 2011.11.5

記事公開日:2011.12.22取材地: 動画独自

特集 百人百話

「つながって生きていればいい」

 岡山県生まれ。37歳。12年前に農業研修で訪れた双葉郡川内村で大工をしていた。夫と子ども2人の4人家族。事故後もライフラインに問題はなく、好きな場所を離れたくはなかったが、夫に促され岡山の実家をめざした。途中ニュースを見るたびに、怒りがこみ上げてきた。もう帰れないと頭では理解できても、気持ちがついていかず、毎日泣いた。関西以西は震災への関心が薄い。いまはここで伝えていくことが、自分の役目だと思っている。


百人百話「第三十二話」中田麻意さん 2011.12.21

記事公開日:2011.12.21取材地: 動画独自

特集 百人百話

「なんでテレビなんて信じてんの」

 9歳の息子をもつシングルマザー。中学卒業後、様々な職業を経験し、離婚後も自分の収入だけで暮らしている。新聞やテレビの情報を信じ、「安全」を言う両親とは喧嘩が絶えない。カウンセラーの資格を活かし、仮設住宅を回っては、精神的にギリギリの人たちの話に耳を傾け、子どもたちにはおもちゃを配って歩いた。震災を機に価値観がかわった。モノがなくても、息子とごく普通の生活ができれば良いと思うようになった。いまは秋田への避難を計画している。


百人百話「第四十一話」尾形紀泰さん 2011.12.21

記事公開日:2011.12.21取材地: 動画独自

特集 百人百話

「人生をやり直そう」

 43歳。家族は妻と子ども4人。事故後に避難した北海道小樽市で、全国から支援物資を集め、被災地区へ送る活動を始めた。2011年4月1日には、小樽の人たちと「Yarerukoto実行委員会」を発足させた。ただ、活動を進めるなかで、復興への前向きなエネルギーが満ちている宮城や岩手と、福島との違いに気付いた。原発は夢も希望も失わせる。いちばん大切で気になっているのは子どもたちのこと。将来、「オヤジ、あの時よく逃げてくれた」と言ってくれたらそれで良い。


百人百話「第二十九話」武藤類子さん 2011.10.14

記事公開日:2011.12.19取材地: 動画独自

特集 百人百話

「見えない柵」が張られている」

 三春町在住。58歳。夫と母親の3人家族。経営していた喫茶店は、安全な料理が出せないからと閉じた。廃炉活動のひとつとして「女たちの座り込み」を企画した。私たちは「止められる」というメッセージを実感できたらと考えた。働く人を含め、原発には差別的な構造がある。利権も絡む。けれど震災により世界はかわった。自分で考え決断し行動する。それが社会をかえていく。隣人と語り合うなかから新しい社会が生まれてくればと願う。


百人百話「第三十八話・第三十九話」本田貴之直美夫妻 2011.12.18

記事公開日:2011.12.18取材地: 動画独自

特集 百人百話

「目に見えない敵とどうやって戦うんだ」

 三春町出身。2人の子どもは、1歳9ヶ月と4ヶ月。事故の様子はテレビで見ていた。危険でも、国が事実を伝えるとは思えなかった。ネット情報で危ないと判断。知らない土地での出産、育児に不安はあったが、長男と妊娠中の子どもの将来を考え、京都に避難した。故郷は恋しいけれど、いまは家族 4人一緒で幸せ。自分が親になってみて、親の気持ちが分かるようになった。そばにいられず申し訳ないと思うが、京都を故郷にと思い始めている。


川根眞也先生 おやこ講座 於 福島市 2011.12.18

記事公開日:2011.12.18取材地: 動画

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 2011年12月18日(日)に福島市で行われた、川根眞也先生 おやこ講座の模様。


川根眞也先生 おやこ講座 於 郡山市 2011.12.17

記事公開日:2011.12.17取材地: 動画

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 2011年12月17日(土)に郡山市で行われた、川根眞也先生 おやこ講座の模様。


福島県および岩手県の子どもの尿検査結果およびハウスダストの放射能検査結果について(日仏同時会見) 2011.12.16

記事公開日:2011.12.16 動画

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 2011年12月16日に行われた、福島県および岩手県の子どもの尿検査結果およびハウスダストの放射能検査結果について(日仏同時会見)の模様です。


百人百話「第二十八話」黒田節子さん 2011.10.14

記事公開日:2011.12.16取材地: 動画独自

特集 百人百話

「映像は嘘をつかない、本当に怒ったようには写りませんね」

 郡山市在住。61歳。震災前は保育士。自治労でニュースペーパーを発行。震災後、周りを見れば「360度の困難」、避難するもしないも、どちらも地獄なのに、知事が見せた東電への怒りはパフォーマンスのようだった。これからを生きる子どもたちに、大人は責任がある。幼い子を抱えて留まっている母親たちの不安をまずは取り除くことが大切だと思う。放射能が降って、故郷はこんな良いところだったのかと改めて気付いた。本当に悔しい。