7月23日、日本はいよいよTPP協定交渉に参加しました。現在「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」に賛同されている大学教員の方々は、870名を超えます。しかし、「大学教員の会」の活動および賛同者の主張について、他のメディアではほとんど取り上げられていないのが現状です。IWJは、こうした知識人の方々の声を、少しでも多くの人に伝えたいと考え、寄稿をお寄せいただけるようお願いしております。
TPP問題について既に議論が出尽くした感がありますが、特に大切と思われる視点について改めて書かせていただきます。
[貿易だけではない]
日本がTPPに参加することに賛成している経済学者が多いようですが、総じて自由貿易を進めることが「国益」になるという議論に終始している気がします。
しかし、貿易という観点だけでこの問題を判断することはできません。TPPが対象とするのは21分野に及び、関税だけではなく非関税障壁も議論の対象となります。
非関税障壁撤廃ということで、食品の安全基準が緩和されたり、既存の医療制度が壊されてしまうことなどによる暮らしの安心・安全への影響が懸念されます。
食品添加物や残留農薬、遺伝子組み換え食品に関する規制緩和が行われてしまうかもしれませんし、混合診療の解禁、安価なジェネリック医薬品の抑制により、国民皆保険制度が壊されてしまうかもしれません。(註1)
これらは、これまで絶えず米国政府が日本に要求していることです。
[大企業vs市民]
TPP日米事前交渉での日本政府の大幅な譲歩を目の当たりにしてしまうと、どうしても「米国vs日本」という側面に目がいきがちですが、大企業と市民の利害対立という視点は落とせません。(註2)例えば、混合診療は、米国政府が要求しているだけではなく、日本でも大企業の意を酌んでいると考えられる規制改革会議が成長戦略の一つとして打ち出していることでもあります。
多国籍企業が投資受け入れ国政府を訴えることができるというISD条項が議論になっていますが、米国企業に適用されるなら日本企業にも適用されるので心配する必要はないという意見があります。しかし、大企業と市民の利害対立が存在するという視点に立てば、その双方向性をもって安心できないことは明らかです。
内容が一般市民に閉ざされているにもかかわらず、TPP交渉の現場では多国籍企業が前面に出て直接的な影響を与えていると伝えられており、(註3)多国籍大企業の利益が優先されてしまう恐れがあります。
[農業の多面的機能]
日本のTPP参加による農業への大きな打撃が懸念されていますが、ともすると生産者の損害といった限定された狭い領域の問題であると捉えられてしまいがちです。しかし、それに留まらない非経済的影響の重さに目を向ける必要があります。
農業は、治水などの環境、地域の歴史・文化との結びつきといった多面的機能をもっており、重要な公共的役割を果たしています。そのことを考えれば、安易に自由貿易の利益を振りかざす議論は危ういと言わざるを得ません。特に、中央集権型社会から食料・エネルギー・医療などを地域内で自給する循環型・地域主権型社会への変化を展望した場合、その基盤となる農業を軽視することはできません。(註4)
政府は、TPP交渉参加と同時に農業の大規模化を打ち出していますが、地域主権型社会を目指すのであれば、そのような上からの改革ではなく、生産現場の声を汲み取りながら今後の農業のあり方を考えていくべきです。農業を大規模化以外の方法で積極的に社会に位置づけようとする動きは、世界中の様々な地域に存在しています。例えば、大規模農業の代名詞のように言われている米国においても、コミュニティ支援農業など、大手資本によらない農業への模索が行われています。(註5)
[民主主義の問題]
これまで3つの視点を挙げてきましたが、ここで述べるものがまず初めに思い起こされるべきです。
昨年の総選挙で自民党が公約したのは、聖域なき関税撤廃を前提としないなどの6つの条件が確保されない限りTPPに参加しないということでしたが、結局守られませんでした。
そのこと以上に、TPPのしくみそのものが民主主義と相容れないのではないかという疑念があります。各人が責任をもって意思決定を行うことができるように、必要な情報にアクセスすることができるということが民主主義の大前提です。しかし、TPP交渉は極端な秘密主義を基調としています。交渉に参加するまでは、参加後には無条件に受け入れなければならないにもかかわらず、既存の参加国によって既に合意された内容を知ることができません。また、交渉中も政府の交渉内容を一般市民が知ることはできませんし、交渉終了後4年間は交渉過程が公開されないと伝えられています。(註6)
「TPPに反対する人は心配のしすぎだ」「交渉に参加する中で『国益』を主張していけばよい」といった意見をしばしば耳にします。TPPに関する情報が不十分な現状では、これまで述べてきた懸念が可能性であると言われれば確かにその通りです。しかし、交渉で主張をする余地が残っているのかどうかさえ分からない状態で、暮らしに大きな影響を与えるかもしれないこの問題を政府に一任してしまうのは、民主主義社会に生きる市民の有り様としていかがなものでしょうか。
日本政府が国内の反対の声を押しのけてTPPに前のめりになっていることの背景には、日米同盟の強化を意図していることがあります。(註7)
日米同盟の始まりである旧日米安保条約は、調印まで市民にずっと秘匿されており、調印後初めて公表されました。今私たちが直面しているTPP問題についても、市民に情報が与えられないまま日本社会の行方を左右しかねない重要な決定が一部の人によってなされようとしているという点で、旧安保条約の成立時と同じ状況にあります。ですから、TPPに反対することの日本社会における重要な意義は、これまで日本国内で様々な市民によって連綿となされてきた「未完の戦後民主主義」を確立しようとする努力に連なるということにあると言えます。
*名古屋学院大学・経済学部, email taro-abe@ngu.ac.jp
(註1)TPPのモデルとも言われる米韓FTAによる公的医療への影響を調べた以下の報告書が参考になります。日本文化厚生農業協同組合連合会『「米韓FTAと韓国医療等」調査団報告書』平成24年8月
(註2)ノーベル賞経済学者スティグリッツ教授(コロンビア大学)は、「TPP交渉に臨んでいる米政府関係者は必ずしも米国民の利益を反映しておらず、製薬会社や娯楽産業といった業界の利益を代弁しがちなのです。」と述べています。(2013年6月15日付朝日新聞)
(註3)全国厚生連労働組合連合会「秘密交渉の実態を徹底分析!グローバルな運動とつながり、TPPを止めよう!」
http://www.zenkouro.org/modules/news/index.php?id=95
(註4)このような共生経済の展望について語った比較的初期の著作として、内橋克人著『共生の大地 新しい経済がはじまる』(岩波新書 1995)があります。
(註5)少し古いですが、古沢広祐「自由貿易が食と農を破壊する」(『安ければそれでいいのか』山下惣一編著コモンズ出版 2001年所収)
http://kuin.jp/fur/kan-2.htmが参考になります。
(註6)”TPP Papers Remain Secret for Four Years After Deal” Scoop
Politics, 17 October 2011.
http://www.scoop.co.nz/stories/PO1110/S00262/tpp-papers-remain-secret-for-fouryears-after-deal.htm
(註7)「クローズアップ2013:TPP交渉参加表明(その2止)日米同盟強化へ決断」(2013年3月16日付毎日新聞・東京朝刊)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130316ddm002020078000c.html
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阿部先生のご意見は、さまざまな社会現象の観察を伴ったものであり傾聴に値します。
2013年8月10日(米国時間)
トーマス カトウ
「TPP米国の視点」の著者