2020年10月16日(金)、午後1時より、東京都千代田区霞が関の厚労省記者会見室にて、国士舘大学文学部【石橋教授解雇・津田教授降格】事件の東京地裁判決についての記者会見が行われた。判決は15日に出された。
会見は、原告の2人、国士舘大学文学部教授の石橋崇雄(いしばし・たかお)氏と津田資久(つだ・ともひさ)氏、そして、弁護団の江森民夫氏と斉藤豊氏、長谷川弥生氏の3名の弁護士の5名により行われた。
冒頭、斉藤弁護士から、事件および訴訟の概要について、以下のように説明があった。
「本件の昨日(15日)の判決で一番重要なのは、国士舘大学の学長の違法責任が認められたこと。
事件の背景については、1983年に理事が刺殺されるという事件があり、労使関係も含め、学内は非常に混乱した。その後、30年以上にわたり、状況は正常化され、労使関係にも特に問題はなかった。だが、ここ数年、教員に対する懲戒事例が頻発している。
このたび被告となった佐藤圭一教授が学長となった2015年あたりから状況が変わってきた。
2015年4月に『学校教育法』の改正があり、教授会の権限が大幅に縮小され、総体的に学長の権限が強化された。また、学内の規則等の改正も行われ、教授会の権限を限定し、教員の処分について、教授会が意見を言うという制度的な保障を外した。懲戒委員会などの手続きも新設され、そこに教員が関与することができなくなった。
このたびの原告の2人は、文学部史学地理学科東洋史学専攻の教授だったが、この『東洋史学専攻』は現在廃止されている。この2人の処分と相前後して『東洋史学専攻』を廃止するという決定が、学長のイニシアティブでなされた。
もうひとつ、固有な背景として、2015年に佐藤教授が学長選を戦って学長になった際の対立候補が、石橋教授だったということがある。津田教授は、その選対の仕事をした。また、現在、別件で係争中の原告たちも石橋選対の重要なスタッフだった。そういう人たちが処分された。
我々としては、規則改定により、学長が権限を行使し易くなり、その状況に乗じて、学長選の遺恨と東洋史学専攻を潰し、邪魔な2人も処分した。そういうことを裁判では主張した」
続いて、原告の一人である石橋氏が、次のように思いを述べた。
「3年余りに渡るこの経緯の中で、私どもの事件と同じよう事が、日本の大学機関や、あるいは研究機関で、他でも発生していることを知り、私の事件が単なる個人的な事案を超えて、広く日本の現在における大学教育・大学経営の問題に関わっているのではないかということを噛み締め、社会的にも大きな意味を有するのではないか、そういう思いから本日の記者会見をお願いした」
また、問題の核心部分については、次のように説明した。
「2017年3月の初め、突然に『非違行為があった』というただそれだけ、具体的な内容のない、『非違行為があった』ということだけを突きつけられ、法人側による極めて短期間(一ヶ月もかからなかった)の一方的かつ、理不尽としか言いようのない取り調べを受け、その3月からわずか1ヶ月後の4月12日、そのまま懲戒解雇となった」
石橋氏の懲戒解雇から少し間をおいた2018年1月には、津田教授が、「教授」から「講師」への二段階降格という懲戒処分を受けた。2人は大学法人側に幾度となく理由説明を求め、弁解の機会を要請したが、ことごとく無視され続け、門前払いのような形で、一切対応はなされなかったとのことである。
そのため、「地位確認」を求める訴訟を起こし、かなりの時間は経ったものの、10月15日、ようやく、東京地裁が「『国士舘大学文学部教授』としての労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する」という旨の判決が出た。
質疑応答の中で、IWJ記者は「本件に限らず、また業種を問わず、現在、日本中で不当解雇や労働条件の引き下げが横行していると推察する。そのような現状の中で、このたびの勝訴はある種の『希望』のようなものになると思う。このたびの案件を担当した弁護団としてどのようにお考えか?」と質問した。
それに対し、弁護団の斉藤弁護士は、次のような回答をした。
「雇用の範囲を私立大学という所に限って見ると、伝統的に言われている『教授会の自治』や『大学の自治』という観念はどこかに行ってしまい、最近の学術会議の問題でも、『学問の自由というのは何なんだ』という議論がされているが、大学での『学問の自由』や『教授会の自治』が侵害されているという現状がある。
権限は正しく行使された場合に限り、権限の行使となりうる。この事件の中の被告の主張が面白かった。『大学設置基準』という法令があるが、その中に『大学は~』と書いてあると。学長は大学の全権を委ねられているわけだから、その『大学』は『学長』と読み替えるべきだ、という主張を準備書面で書いてきた。
そこまで誤解してしまっている人、あるいは大学があると、大学という場所はとんでもないことになってしまう」
権力を持った者が法令を誤解・曲解する。これはまるで、憲法についての誤解、日本学術会議法を曲解した安倍・菅政権の縮小再生産ではないか、という思いを禁じ得ない。