NHKが昭和天皇の平和条約発効記念式典の「おことば」秘話を公開! 昭和天皇は「反省」のことばにこだわっていた! 2019.8.18

記事公開日:2019.8.18 テキスト
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(文:IWJ編集部)

 8月17日夜9時から、NHKが「NHKスペシャル▽昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録“拝謁(はいえつ)記”」を放送した。「拝謁記」は、戦後初めて民間から初代宮内庁長官に就任した田島道治(たじま みちじ)氏による、在任中の5年近く、600回にわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した記録だ。

 NHKは番組放送前からホームページ上に詳細な内容を紹介し、放送日の放送開始2時間前にはニュースとして報じていることからも、この番組への力の入れようがうかがえる。

▲NHKホームページより

 番組は、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効を受け、記念式典が行われた5月3日の昭和天皇の「おことば」をめぐり、「おことば」に戦争への反省を書き入れることにこだわった昭和天皇、草案を書いた田島氏と、それに対して朝鮮戦争特需での経済成長を優先し、明るい未来へ向けて過去の過ちをうやむやにしたかった吉田茂首相との間の葛藤をドラマ形式で描いている。

 岩上安身は番組を見ながら次のようにツイートしている。

 「9時からNHK、『昭和天皇拝謁記』を見始める。『反省の言葉を入れたかった』という昭和天皇。そうした本音の言葉が明らかにされたのは、戦後初めて。これまでの歴史を塗り替える史料。昭和天皇は、早めに退位し、重荷をおろして、『ひとりの人間』になりたかった。天皇の本音も明らかに」

 「サンフランシスコ講和条約発効とともに、おことばを述べることになる。そこに反省という言葉を入れることに、昭和天皇はこだわった。南京虐殺事件についても、東京裁判で明らかになった事実を踏まえ『ひどい』と非難した。『反省』すべきことは、張作霖爆殺事件まで遡る」

 「昭和天皇は、軍部の専横を『下克上』とまで評す。もっと早く潰すべきだったが、満州事変、日中戦争、太平洋戦争まで、大権をふるい、首相を交代させればよかったと思うが、東條英機が首相になる頃には、もはや止められなかった、という」

 「おことばについて、『事志と違い』という言葉を入れたかった天皇だが、宮内庁から反対の声が上がる。聖戦の詔勅は天皇の御名御璽で発せられている。その結果責任を問われる。結局、『勢いの赴くまま』と変えられる」

 「天皇は、朝鮮戦争の勃発と、再軍備について、『旧軍閥の復活はダメだ』としつつも、『憲法9条を改正して再軍備した方がよい』と、軽武装、9条護持、経済成長路線を進む吉田茂に『意見』しようとするが、象徴である天皇として控えるべきであると、田島宮内庁長官に諌められる。揺れる天皇」

 「昭和天皇自身が、最もこだわった『反省』の一連の言葉が、宰相吉田茂から、削除してもらいたいと申し入れが。退位論がまた出る、反省は戦争責任論につながるという。不満を露わにするが、跳ね除けられない天皇。田島宮内庁長官も、吉田の主張を受け入れるべし、として、結局は昭和天皇はそれをのむ」

 「道義的責任を認めて詫びる、という部分が削られ、退位説を退けて、その結果、天皇から官僚から庶民に至るまでの、戦争の責任をうやむやにしてしまった。悔やまれるのはその点だ。戦争責任をうやむやにする事で、今に至り、ぬけぬけと歴史修正主義者が跋扈する時代を招いてしまった」

 昭和天皇が、意志を貫き通し、反省の言葉を入れ、自らの戦争責任にも触れ、サンフランシスコ講和条約の折に退位・譲位していたらどうなったか。少なくとも戦前を賛美し、歴史的事実を捏造する歴史修正主義者が今のように跋扈することはなかったことだろう。安倍政権も成立しなかったに違いないと思われる。

 明仁上皇が天皇在位中から「反省」という言葉をたびたび用い、現在の徳仁天皇もまた、8月15日、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式で「反省」の言葉を述べられた。しかしながら、同式典に出席した安倍総理は第二次安倍政権発足以来7年連続で、一切「反省」という言葉を用いていない。

 昭和天皇の胸の内に秘め、公的には表明できなかった思いを息子の明仁上皇、孫の徳仁天皇は、それぞれに引き継いで、彼らを取り巻く政治家が「反省」の色もない、完全アウェイの中、なお「反省」と「平和への思い」を語り継ごうとしているのだろうか。

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