孫崎享さんの新刊『日米開戦の正体』という大著をついつい読んでしまうので、眠れない。明後日(6月8日)月曜日夕方、久々のインタビュー。しかも当社にお越しいただく珍しいパターン。
満州事変は石原莞爾ら関東軍幹部の独断専行に、中央が追認したと言われているが、真っ赤な嘘だと、孫崎さんは同書で喝破されている。一夕会ら、陸軍内の幹部グループの共謀だった。現場が独断専行したと見せかけ、軍中枢はふり回されながら止めるふりをして、実は追認してゆくというあざとい芝居を演じ、昭和天皇はじめ戦線の拡大に反対する勢力を押さえこんでいったのである。
日清、日露以前から続いてきた「侵略戦争」への強固な国家意思
1945年の敗戦に至る道のりを、1931(昭和6)年に勃発した満州事変から数えることに、実は僕は反対の気持ちをもっている。日清・日露のその前から日本の侵略戦争は始まっており、強い国家意志をもってそれは継続されてきた。そうであっても、この満州事変という名の、関東軍の謀略による侵略戦争が、日本が破滅に至る15年戦争への起点であることには異論はない。
「真珠湾で勃発した太平洋における大戦争は、満州で始まった事件の論理的帰結にすぎない」とスチムソン国務長官は記す。
その通り、満州事変から日米戦争への道のりは始まっていたのである。1941年の対日資産凍結と石油の全面禁輸、俗にいうABCDラインが敷かれた時からではない。
太平洋戦争の原因を欧米の経済封鎖に求め、日本は戦争に追い込まれたのだと、あたかも一方的な被害者であるかのような言説が、昨今、あちこちでまかり通っているが、その前に日本がまいた原因を忘却した都合のよい歴史観であると言わざるをえない。
ブレーキをかける天皇とブレーキの壊れた政治支配層
戦後70年という節目の年に、今上天皇は今年の年頭所感で、「この機会に、満州事変から始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と述べた。
侵略戦争によって何も得るものはなかったではないか、満州事変に始まり、日中戦争、太平洋戦争へと続く一連の戦争の歴史について真剣に学び、真摯に反省すべきだという趣旨の踏み込んだ発言である。
他方、安倍総理は、「満州は侵略して入っていったのではない」とか、「第一次大戦の結果、ドイツから権益を譲り受けた」とか、基礎的な事実からデタラメなことを公言する。
「法の支配」を踏みにじる専横はまたも繰り返されようとしている。安倍総理が、戦後史上最低の、最も反知性主義的な首相であることは間違いない。
ブレーキをかける天皇とブレーキの壊れた政治支配層。満州事変前後と、現在は構図が非常に似ている。昭和天皇も、満州事変に驚き、拡大するなと制したが、軍部は面従腹背、従うつもりは毛頭なかった。専横の主体は、昔陸軍、今米軍。昔帝国、今属国。属国だからといって温和であるとは限らない。凶暴な政治的奴隷ということもありうる。
なぜ戦争をするのか――利益、不利益も計算できない“アホ”軍部の実像
当時のことに触れると、満州事変を起こした関東軍の石原莞爾を、軍事的天才として誉めそやす人が尽きないが、知れば知るほど、アホさ加減に唖然とする。視点を一つ変えれば、当時の軍部は丸ごとアホの集団である。
▲陸軍中将・石原莞爾(wikipediacommonsより)
なんのためその戦争を必要とするのか、長期においてどんな利益と不利益がありうるのか、ごくごく基本的な事柄において、計算がまるで成り立っていない。満州事変を石原莞爾とともに起こした板垣征四郎は、陸軍内の講演で、満州の必要性を説きつつ、米国は参戦してこないだろうなどと楽観を述べている。
ところが、その楽観にはなんの根拠もない。米国とことを構えると厄介だ。→厄介なことは起きて欲しくない。→だからたぶん厄介なことは起きないだろう、という希望的楽観でしかないのだ。万が一、米国が参戦しても、「勝算はある。戦争継続のために必要な物資は満州や中国本土から取れる」とまたしても楽観論を述べる。
だが、最も肝心な石油は、満州でも中国本土でも取れない、と孫崎さんは指摘する。これは当時の軍部の指導者もわかっていたはずのこと。戦争の継続、まして工業生産力で10倍もの差がある米国との戦争など、物資とエネルギーの面から不可能だったのだ。
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