今、IWJ特報のため、安川寿之輔名古屋大学名誉教授のインタビューのフルテキストに注を入れたり校正したりする作業を続けているのだが、改めて福沢諭吉の元祖ヘイトスピーチぶりに、本当にうんざりしている。日清戦争で中国人を敵視する風潮があったとはいえ、自分が発行する新聞にここまで書くか。
福沢は自らが社主として発行し、主筆として社説を一面に連日書き、その中で、朝鮮人、台湾人、中国人を口汚く罵倒し、侵略戦争と植民地支配を煽りに煽っていた。
たとえば、「支那人…奴隷となるも、銭さえ得れば敢えてはばかるところにあらず」。あるいは、「支那…腐敗の中に棲息するその有様は、溝にボウフラの浮沈するがごとき」。「チャンチャン…皆殺しにするは造作もなきこと」。
これらは福沢諭吉が発行する「時事新報」(のちの産経新聞)で書き、あるいは自著で述べた言葉だ。
日清戦争で台湾を割譲した日本だが、現地に住む台湾の住民にしたらたまったものではない。当然、独立と抵抗の運動が起きた。それに対して福沢は「殲滅」せよ、とジェノサイドを煽っている。
「台湾の住民…烏合の草賊(うごうのそうぞく)…無知蒙昧(むちもうまい)の蛮民」「頑冥不霊(がんめいふれい)の彼らの性質にして…殲滅のほかに手段なし」。
福沢の著書『時事小言』において「文明の中心となり他の魁(さきがけ)をなして西洋諸国にあたるものは、日本国民にあらずして誰ぞや。事情切迫に及ぶときは、無遠慮にその地面(アジア諸国の土地)を押領して、我が手をもって新築するも可なり」。他国に無遠慮に押し入り、その土地を奪え、と書いているのである。『学問のすすめ』ならぬ、『侵略のすすめ』、である。
「日本政府のお師匠さま」を自称する明治期最大の知識人、福沢諭吉は、84年7月29日の論説「日清の戦争は文野の戦争なり」で「戦争の事実は…文明開化の進歩を謀(はか)るものとその進歩を妨げるものとの戦にして」と、日清戦争を「文明と野蛮の戦争」すなわち「文野の戦争」と位置づけた。
「千の清兵は…これを皆殺しにするは憐れむべきがごとくなれども、世界の文明進歩のためにその妨害物を排除せんとするに、多少の殺風景を演ずるはとうていまぬがれざるの数≪運命≫なれば…その運命の拙きを、自ら諦むるのほかなかるべき」。
以下は、『時事新報』の1894年8月8付け紙面に掲載されたイラストだ。一コマで、日清戦争の本質を示している。日本の軍人が、朝鮮の赤ん坊を抱き(朝鮮を保護=我がものとする)、清国人の頭に「文明」という弾丸を撃ち込む。風刺画ではない。
『時事新報』の1894年8月8付け紙面に掲載されたイラスト
福沢諭吉の唱える「文明開化」とは、あるいは、福沢だけでなく、彼に代表される明治の時代精神が高唱する「文明開化」とは、中国人の頭に文明の弾丸を撃ち込んでやることなのだと、無学な大衆にも一コマでわからせるポンチ画である。繰り返すが、風刺画ではない。暴力的侵略を正当化するためのプロパガンダなのである。
台湾の住民を「土人」呼ばわりし、兵民問わず殺せと煽る福沢
この殺戮と侵略の正当化のために、米国の開拓と先住民の殺戮、土地の収奪が持ち出される。
「台湾の反民等は必死となりて抵抗を試みるよしなれども、たかの知れたる烏合の草賊…北米合州国並びに加那陀(カナダ)のごとき…その今日あるは祖先の白人種が土着の蛮民をその土地より駆逐して…」。
「…自ら経営したる結果にほかならず」と、先住民の殺戮をあっさりと肯定し、そこに日本と台湾の関係を重ねる。
「…無知蒙昧の蛮民をばとこごとく境外に追い払ふて殖産上一切の権力を日本人の手に握り、その全土をあげて断然日本化せしむることに方針を確定し…永遠の大利益を期せん」。
1895年8月14日の「厳重に処分すべし」では、「台湾の処分については…全島の掃蕩を期し、土人のごときは眼中に認めず、一切の殖産興業を日本人の手に経営して大いに富源を開発すべし」と、台湾の住民を「土人」呼ばわりし、すべての経済的利益を手に入れよ、と煽る。
そしてこう続く。
「(英字新聞が)日本兵がまたも屠殺を行いたりなどと蝶々するよしなれども…意に介するに足らず。…我兵に抵抗するものは、兵民の区別を問はず、一人も残さず誅戮(ちゅうりく)し…掃蕩(そうとう)の功を全うすべし」。
外国メディアに虐殺の残酷さを批判されようと兵民問わず殺せ、と説くのだ。
延々と繰り返される差別と殺戮のアジテーション
福沢が台湾人を虐殺せよと、恐ろしい表現で呼びかけたのは一度、二度ではない。1896年1月8日の「台湾の騒動」では、抵抗する住民を殺し尽くし、土地を奪い尽くせと呼びかけている。「我に反抗する島民等は一人も残らず殲滅して醜類を尽くし…兵力をもって容赦なく掃蕩を行ひ…」
「…葉を枯らし根を絶ちて一切の醜類(しゅうるい)を殲滅し、土地のごときはことごとくこれを没収して、全島あげて官有地となすの覚悟をもって大英断を行うべし」。
もはや人類扱いではない。醜類、醜いものども、という蔑称。そして繰り返し殲滅、つまり皆殺しにせよと呼びかけるのだ。
きりがないが、延々とこんな差別と殺戮のアジテーションが続き、実際に同時代に実行されてゆく。これが明治の時代精神の正体である。過去をどんなに美化してもしきれるものではないし、隠せるものでもない。その土民だの醜類だのと呼ばれた台湾人の一人当たりGDPは今や日本を上回る。
かつて蔑視の対象だった台湾・韓国・中国にGDPで抜かれる未来
そして一昨日インタビューした矢吹晋・横浜市立大学名誉教授によれば、近々、韓国にも一人当たりGDPで日本は抜き去られるという。円安政策のため、日本のGDPが急激に縮小していることも手伝っているだろう。
政府はこの期におよんでなお、過去の一連の戦争が侵略戦争でなかったかのような取り繕いをしようとジタバタしている。今年の8月に発表される予定の安倍談話において、過去の侵略を反省し謝罪した村山談話を引き継ぐのか、これを覆すのかが、争点になっているのだ。この期におよんでまだ、そんなレベルにある。
道徳的劣位、負い目は、おおいがたい。さらに加えて、豊かさにおいても、かつて植民地にした国家、民族に抜かれるこの惨めさを、何と表現したものか。
中国は、人口があまりに多すぎて、貧しい者を抱えているため一人当たりGDPでは日本にまだまだ追いつけないけれども、国全体のGDPでは日本をすでに抜き去り(2010年)、購買力平価では今年、米国をも抜き去った。2050年頃には日本のGDPの5倍近い規模に到達するだろうとも予測されている。(PwC調査レポート「2050年の世界」)
文野の戦争? そんな理屈は、我々日本人自身のこれからの生存のためにも、今すぐ徹底的に批判し、破棄し、無効化すべきだ。
経済的、軍事的に優位にあるものが、劣位にあるものから文明の名の下にいかようにでも奪っていいというロジックは、今後、旧植民地の後塵を拝していかざるをえない、これからの日本人のために残しておいていいはずがない。
追い詰められた日本は、現実が見えなくなっている?
日米同盟は、すべての同盟がそうであるように、永遠の同盟ではない。空疎なプライドと、それゆえの孤立は、最後に頼るのは核しかない、という自滅的な思考へと導く。まるで北の将軍様の辿る道のようである。その先には思考上の自滅ではなく、リアルな自滅しかない。
日本はあるゆる意味で危機を迎えている。政治的にも、経済的にも、しかしそれ以上に実存的にも。矢吹さんのインタビューの際に引用した国際的な世論調査(Pew Research Center )の結果、自国の経済状況を悪いと答えた国民が最も多いのが日本。「良い」と答えた人は数%しかいない。
自国の現在の経済状況をどう見るか
今後の見通しで、よくなると答えた人が数%しかなく、世界で最も未来を悲観しているのも日本。そして、自国の政府を無能だと思っている国民が世界一多いのも日本である。
自国政府の経済運営能力の評価
そこまでネガティヴに考えているなら、何としてもこの状態を変えなくては、と考えるはずだ。
ところが、行き詰まった挙句、国民が選んでいるのが、過去の侵略の歴史の修正をはかり、閣議決定で憲法を変えてしまい、海岸線に原発をずらりと並べたまま、戦争準備に走ろうとする安倍政権なのである。その安倍総理は、所信表明演説の冒頭で、福沢諭吉を引用し、称揚した。
わざわざ福沢諭吉の過去の言説を引っ張り出して白日のもとにさらし、検証し直しているのは、私が暇を持て余してのことではない。中国包囲網を築くべし、というセキュリティダイヤモンド構想論文を政権発足早々に発表し、福沢諭吉を所信表明演説で引用した安倍政権に危惧を抱いてのことである。
そして、もっといえば、こんな安倍政権に期待をかけ、政権を支えてしまう日本人の国民全体の精神状態を真剣に心配してのことである。追い詰められ、行き詰まったあげく、過去にしろ現在にしろ未来にしろ、現実が見えなくなっているのではないか。大丈夫か?
米中は蜜月、勝算なし、展望なし 「原発を抱えたままの戦争突入」
メルケル独首相が来日し、警告のシグナルを送ってくれた、それを日本への「友情」の証しと思わない、愚かそのものの記事が掲載される大新聞。現実を見ない自閉空間を作り出し、その中に閉じこもりながら隣国への敵意と悪意だけを募らせてゆく。何度も言うが、原発を抱えたまま、だ。
「戦争は政治の延長である」と、『戦争論』で知られるクラウゼヴィッツは説いた。日本が中国と政治的な対立を深め、その政治的な対立がついには戦争という形にまでエスカレートした場合、日本に勝算のひとつもあるうるだろうか?
福沢の時代と現代がまったく違うのはその点だ。
兵器の性能の比較だけして、中国との戦争に勝てると言い張る人たちの理屈がわからない。軍事的合理性などまったくない。戦争が始まったら、尖閣という無人島の海域だけで戦闘が限定されるという妄想はどこから来るのか?
戦争が開始されたら戦域に限定などない。戦争は無人島争奪戦ゲームではない。また、当然ながら現代戦は空の戦いで始まる。射程の長いミサイルが飛来する。
現代戦において、前線と後衛とを画然と分けることは難しい。米軍がお手本を日々示しているように、市街地への空爆は避けられない。原発への被弾も覚悟しなくてはならない。もし戦局が日本に有利に、つまり中国に不利に進めば、中国には最終的には核ミサイルが残っている。200発はある核にどう対抗する?
将棋を始める前に「詰んでいる」ようなものである。頼みは米軍だ、という話になるだろうが、米軍は無人島のために自国の兵士の血を流すことはない。そもそも欧州が二度も大戦で戦火にまみれている時にも、米国は参戦にどれだけためらったか。なぜ、日本のために血を流してくれるのか。
米国はタダで参戦したのではない。冷徹なまでに国益を計算し、欧州の同盟国からちゃんといただくものはいただいて、参戦したのだ。喧嘩で助っ人を頼んだらべら棒に高くつく。街場のヤクザ者の喧嘩ですらそうである。金が絡まない喧嘩などあり得ない。日本は、喧嘩の助っ人代を払えるのか?
簡単に戦争を叫ぶバカどもは、喧嘩の助っ人代にカネがどれだけかかるか、というリアルを我が身で体験したことが一度でもあるのか?
日本に提供できるものが、この先何がある? 戦争の兆しがチラついただけで米国から「だから俺たちが必要だろう?」と言われ、TPPに入れと脅され、すでに身ぐるみはがされようとしているのに。
戦費や莫大な助っ人代を心配する前に、そもそも米国が日本側に立ってくれるという保証がどこにもない。借金まみれの米国を、米国債を買うことで買い支えてきたのは日本と中国である。日本は属国だから米国債を売ることはできない。しかし、中国は可能であり、米国は中国の機嫌を取らざるをえない。
巨大な軍事力を持つ米国といえど、戦費がなければどうにもならない。中国が米国債を売り払えばお手上げである。カネがなければ、戦争は遂行できない。
戦場は日本本土 自衛隊と米軍の合同演習「ヤマサクラ」
それでも、だ。万万が一、米国が日本側に立ち、なぜか戦費も調達され、海上封鎖されずにどういうわけか南シナ海も無事にタンカーが航行し、石油や液化天然ガスが運ばれ、エネルギー資源も枯渇せず、そこそこ長期に渡り日米同盟軍が中国と戦うことになったとする。その場合、戦場はどこになるのか?
実は、戦場は、日本列島全域である。そう見立てられ、日本の自衛隊と米軍は作戦計画を立て、合同演習を行っている。それが「ヤマサクラ」である。米軍は絶対に自国を戦場にはしない。中国もである。
ヤマサクラ「敵国」の予想進軍経路
戦争には戦場が必要である。戦争の真の犠牲者は戦場にされた土地の住民である。日清、日露で、戦場になったのは主として朝鮮半島だった。満州事変以降、日本と中国は満州及び中国全土で戦った。米軍参戦以降、東南アジアと太平洋地域が戦場になり、最後に沖縄が地上戦の戦場となり、日本本土が米軍の焼夷弾で焼かれ、とどめに広島と長崎に原爆が投下された。
最後の最後で、日本も戦禍を受けたが、明治以来、日本の侵略戦争で戦場となってきたのは、そのほとんどがアジア諸国の領土である。
もし、本当に戦争になるとしたら、今度の戦争は、日本の領土内が戦場となる。死ぬのは日本の兵士だけではない。一般市民が巻き添えになり、莫大な犠牲を余儀なくされる。米国が日本側に立って参戦しなければそもそも戦争として成立しないし、成立した場合は米中の代理戦争である。
米中の代理戦争の戦場にされてしまったら、米中の間で太平洋の覇権をめぐってなんらかの決着を見るまで、戦争は続く。福沢諭吉が、自国の都合で、戦場にした土地の住民の生命や財産や人権など一顧だにしなかったように、同様の事態が起きうることを覚悟しなくてはならない。
それが次に予定されている戦争の姿だ。そういう戦争がしたいのか?
賢明なる反中諸氏が主張しているように、中国が本当に冷酷で残酷なら、きっと福沢諭吉が唱え、日本軍が実行した残酷さとは比べものにならない残酷な仕打ちをするだろう。「兵民の区別なく誅戮や殲滅」を行うことだろう。そうした戦争は、可能な限り、外交的手段で回避しようとするのが賢明である、と思わないのだろうか?
メルケル首相の「警告」を馬鹿にする日本の大手マスコミ
もう一度言うが、戦争は政治の延長である。政治は世論を味方にすることなく、勝ちを収めることはできない。国際社会であっても、同じことだ。孤立すれば、孤立した方が圧倒的に不利であり、大概敗北を喫する。
とすれば、AIIBの一件で示された国際社会の声に耳を傾けるべきであろう。中国の「この指止まれ」という声に、日米二カ国を除いて主要な国々が中国に傾いた、この結果を真剣に受け止めるべきだ。日米に、他の国々の気持ちを引き止めるだけの魅力が薄れてきている。経済力、政治力も。
AIIBの一件は、尖閣問題など、戦争に直結するような問題とは別カテゴリーの話で、一緒くたに論ずべきではない、という主張もありうるだろう。
だが、パワーという概念には、国際社会で同意者をどれだけ集められるかというソフトパワーも当然ながら含まれる。軍事力を含めたハードパワーとは不可分だ。戦争はある日を境に突然始まるのではない。日常の延長線上にある。拳を交える前に大方決着がついているのがリアルな喧嘩だ。
勝ち目がない時、大義もない時、多くの場合、友人から喧嘩の前に肩を叩かれる。やめとけよ、と。実際、やめとけよ、と損を覚悟で忠告してくれたのが先述したメルケル独首相であり、ドイツの特派員らである。同じ第二次大戦の敗戦国として見ちゃいられない、という思いがあったのだと思う。
その「友情」に対して、メルケルはロボット以外に「友情」を示さなかったと世紀のアホ記事を載せた日経は、日本にとっての友情とは何か、もう理解できなくなっているのだろう。米国の戦闘的な戦略シンクタンク・CSISとズブズブの日経というダメ新聞だからという点ももちろんある。
しかし、問題なのは日経だけがおかしいのではなくて、日本のマスメディアの大概がおかしくなっているという点である。官邸からのマスメディアへの日常的な圧力は、古賀茂明氏降板事件で明らかになった。もう主要メディアどこも、官邸に頭を下げっぱなしである。
話はぐるっと一巡りした。
福沢諭吉を所信表明で引用していたのが、安倍政権であり、政権内部では福沢イズムをどう取り入れ直し復活させるか考えているわけで、この話はぐるぐる巡ってきて徹夜した私のあたまもぐるぐる巡ってきたから、ここらで、転進!退却じゃなくて転進!します。
眠い。。でもみなさん、本当に福沢諭吉についての安川寿之輔先生のインタビューを.IWJ特報を、読んでね!
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今回は、全7回のうち、「その2」までを発行しました。全編は、今月中にすべて発行する予定です。今月中にご購読申し込みをしていただければ、「その1」から全てご覧になることがきます。ぜひ、メルマガ「岩上安身のIWJ特報!」をご購読ください!
【岩上安身のツイ録】追い詰められた安倍政権がすがりつく、福沢諭吉の「文明と野蛮の戦争」 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/242473 … @iwakamiyasumi
読み進めていくうちに、凹みそうになるが、これが現実。危機感溢れる岩上さんの想いを多くの人に共有してほしい。
https://twitter.com/55kurosuke/status/587401125801791488
【岩上安身のツイ録】追い詰められた安倍政権がすがりつく、福沢諭吉の「文明と野蛮の戦争」 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/242473 … @iwakamiyasumi
国内の失策から目を逸らすために、外敵を求め作り出し、歯止めが利かなくなって暴走する。そんな歴史はもういらない。
https://twitter.com/55kurosuke/status/603677211351187456