「『強い日本』。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。『一身独立して一国独立する』。私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません」――。
これは、2013年2月28日、第183回通常国会における、安倍総理の施政方針演説の中の冒頭の一節である。
「一身独立して一国独立する」という文言は、福沢諭吉『学問のすゝめ』の中に登場するものである。
前年の2012年末の選挙で自民党が勝利し、政権交代をなしとげた安倍政権が、明けて、通常国会に臨み、最初の施政方針演説の、その冒頭で、福沢諭吉の『学問のすゝめ』に登場する、あまりにも有名な一節を引用したのである。安倍総理がいかに、福沢諭吉に肩入れしているかがわかる。福沢の教えをいわば政権の思想的な背骨として、真ん中にすえて、この第2次安倍政権をスタートさせようとしているのだということが誰にでも伝わってくる。
この施政方針演説で、安倍総理は続けてこのように述べている。
「私たち一人ひとりが、自ら立って前を向き、未来は明るいと信じて前進することが、私たちの次の、そのまた次の世代の日本人に、立派な国、強い国を残す唯一の道であります。『苦楽を与(とも)にするに若(し)かざるなり』。一身の独立を唱えた福沢諭吉も、自立した個人を基礎としつつ、国民も、国家も、苦楽を共にすべきだと述べています。『共助』や『公助』の精神は、単に可哀想(かわいそう)な人を救うことではありません。懸命に生きる人同士が、苦楽を共にする仲間だからこそ、何かあれば助け合う。そのような精神であると考えます」
安倍総理が引用した「一身独立して一国独立する」というこの言葉は、通常は、「個人が独立することではじめて、国家は独立したものとなる」という意味に理解されている。別の言い方をすれば、市民的な自由と個人としての権利が確立されてこそ、一国の独立がある。国権の前に民権あり。そう読めるし、実際、そうした解釈が一部では横行してきた。
1984年以来、31年間も一万円札の肖像画として国民に親しまれ、慶應義塾大学の創始者として、そして明治維新以降最大の「進歩派」知識人として、日本人に親しまれている福沢諭吉。そのような福沢像は、実は、戦後、政治思想学者の丸山眞男を中心に、いわゆる「リベラル」とされる知識人達によって形作られてきた。
だが、明治の「時代精神」をリードした福沢諭吉とは、本当にそのような民権尊重の市民的自由主義者であったのだろうか。
しかし、ひとたび福沢のテキストそのものを精読すると、そうした人口に膾炙している福沢像を裏切るような言葉に数えきれないほど遭遇する。
例えば、「腐儒の巣窟」「奴隷の群衆」「牛馬豚犬」等々…。これらは、福沢が、1894年の日清戦争勃発の直前に、朝鮮の人々に対して向けた言葉である。これは、現在の口汚い「ヘイトスピーチ」と寸分変わらない。
『福沢諭吉のアジア認識』『福沢諭吉と丸山眞男』『福沢諭吉の教育論と女性論』など、福沢に関する数多くの研究書を発表している名古屋大学名誉教授の安川寿之輔氏は、丸山眞男らによって形作られた福沢像は過剰に美化されたものであり、実際の福沢は、大日本帝国による朝鮮、中国、台湾への侵略を肯定するイデオローグだったと指摘する。
「元祖ヘイトスピーカー」とも言い得る福沢諭吉は、実際にはどのような言説を残したのか。そして、安倍総理が、政権の思想的バックボーンとして「政治利用」をはかろうとしているのは、どのような「福沢思想」なのだろうか。
安川氏に導かれつつ、福沢が残したテキストを詳細に検討し、福沢の知られざる実像と、そのような福沢を大知識人として仰いだ「明治の時代精神」の実相に迫った。
明治以来、最初で最大の侵略的帝国主義のイデオローグ、ヘイトスピーチの元祖・福沢諭吉
▲安川寿之輔氏
岩上安身(以下、岩上)「皆さん、こんにちは。ジャーナリストの岩上安身です。
私は今、古本屋で買った私の蔵書、福沢諭吉全集に憑りつかれています。もちろん、一万円札に憑りつかれているわけではなく、一万円札には相変わらず恵まれていません。
『学問のすすめ』『文明論之概略』『脱亜論』(※1)の著作者として、誰でも知っている福沢諭吉。近代日本の最大の精神的指導者、知の巨人、そして明治政府のお師匠様と言われてきた、大変な大知識人ですね。長年にわたり、一万円札の肖像画になっていることでおわかりのように、今日もなお多くの人に知られ、影響を与え続けています。
今日は、幕末そして明治維新を生き抜き、日本を近代化させていく上で、大変大きな影響を与えてきた知識人・福沢諭吉にスポットを当てて、批判的に取り扱います。ですが、福沢諭吉個人を批判したいわけではありません。福沢諭吉が明治期最大の、代表的な知識人であるからこそ、福沢に代表される、明治日本の時代精神を丸ごと俎上に載せて、批判的に検討を加えていきたいと思います。
私が全集まで買って、福沢諭吉を調べなければいけないと思ったきっかけは、実は、帯広畜産大学教授の杉田聡さん(※2)がまとめた『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』(※3)という評論集を読んだことです(※4)。
福沢諭吉は、朝鮮・中国・台湾について、大変な量の時事評論を書いていますが、それらを集めたもので、杉田さんご本人も批評をお書きになっています。福沢の文章は、弟子に下書きを書かせたものもあるといわれていますけれども、監修したのはやはり福沢諭吉であり、本人が最後に筆を入れているでしょうから、福沢諭吉の文章であると考えてよいだろうと思います(※5)。
福沢諭吉は、慶応大学を作ったというだけではなく、『時事新報』という、当時最大の発行部数を誇る新聞を経営していました。主筆であり、経営者でもあったわけです。つまり、今日でいえば、世界最大の発行部数を誇る読売新聞の渡邉恒雄さんのような立場ですね。しかし、はるかに大知識人であり、かつ影響力のあった人といっていいでしょう。
今は、新聞だけではなく、テレビ、ラジオ、インターネット、書籍、もう本当にたくさんのメディアがありますけれども、当時は、テレビもありませんし、もちろんインターネットもラジオもありません。したがって、新聞の与える影響は大変大きかった。その社説でどのようなことを書いてきたか。どのように世論をリードしてきたかということは、大変に重要なことです。
この『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』は、全集の抜粋のような本ですけれども、私は本当にびっくりしました。そして、福沢諭吉の言説についての研究をしなければならないと思いました。
名古屋大学名誉教授の安川寿之輔先生は、福沢諭吉研究の本を4冊出されています。いずれも本当に重要な本ばかりです。これを読んで、安川先生にお話をうかがおうと思いました。
さて、9月1日は関東大震災の日でしたが、8月31日から9月2日の3日間、『九月、東京の路上で1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(2014年、ころから)の著者、加藤直樹(※6)さんのインタビューを行いました。この9時間半にわたるインタビューを8時間ぐらいに編集し、それを3つに分けて、皆様にお届けいたしました(※7)。
関東大震災のあとで、なぜ朝鮮人虐殺が起こったのか、今日のヘイトスピーチにつながるような差別、嫌中、反中、嫌韓といった、隣人に対する憎悪、排外主義の高まり、そしてその政治利用はなぜ起きているのかということを、我々は考えなくてはいけないと思い至ったわけです。
しかし、そうした差別が起こったのは、昭和からではありません。福沢諭吉に代表されるような、明治以来のイデオローグが長年、鼓吹してきたことです。日本人の頭に叩きこまれてきたアジア蔑視のイデオロギーを批判的に検討しないわけにはいかないと思いました。
これから、安川寿之輔先生にお話をうかがいます。安川先生、よろしくお願いいたします」
安川寿之輔氏(以下、敬称略)「はい。安川です。今日は、膨大な目次を作ってみたのですが、大変たくさんの話になるのではないかと思います」
岩上「戦後はよい時代だと思われてきたけれども、ここへ来て大きく変化していますよね。
この間インタビューした加藤直樹さんも、今のヘイトスピーチが横行する時代と、関東大震災の時に『朝鮮人をぶっ殺せ』と言って本当に殺してしまった時代が、あまりにも重なり合っているので、本当に気持ちが悪くて気分が落ち込むとおっしゃっていました。やはりこれは、戦中・戦後の昭和のことだけ考えるのではなく、明治にまで遡って考えなければいけないのではないかと思うようになったと、彼はおっしゃっていたんですね。私も、それは本当にその通りだと思います。
これまでに、中塚明先生にもお会いしました(※8)。安川先生は中塚先生ともお仕事をされていて、NHKがテレビドラマ化した司馬遼太郎『坂の上の雲』を批判したご本をまとめられています(※9)。『司馬さんの考えの中には、典型的な輝ける明治があり、他方に昭和ファシズムがあって、明るい明治から暗い昭和ファシズムへ逸脱が起こったんだ』、『明治に戻れば我々はうまくいくんだ』という宣伝が、NHKをはじめ、まかり通っていると思います。
そういう、輝ける明治精神の自由的市民主義者、自由主義者の代表として、福沢諭吉という人が位置づけられていますが、それでよいのかということが、安川先生の問いなのではないかと思います。
幕末まで遡らないと、侵略と日本の帝国主義、植民地主義、そして、その前提となった、国民の隅々まで染みわたった民族差別、ヘイトスピーチ、ヘイトクライムを説明できないのではないかと思います」
(※1)『学問のすすめ』は、1872年~1876年に断続的に出版された17編の小冊子。のち1巻にまとめられた。(ブリタニカ国際大百科事典より【URL】http://bit.ly/1HVOltH)『文明論之概略』は、西洋文明の大要を記して、この文明に向って進むことが日本の独立を全うする所以を説いたものである。(【URL】http://bit.ly/1yqhG73)『脱亜論』は、1885年3月16日の「時事新報」に掲載された社説。(世界大百科事典第2版【URL】http://bit.ly/1HdSvcX)
(※2)杉田聡氏は、帯広畜産大学教授で、主な研究テーマは、ジェンダー論、自動車論、官僚制論・民主主義論、美術史、哲学全般(参考:帯広畜産大学HP【URL】http://bit.ly/1ERV3ur)。3月29日、岩上安身が杉田氏に直接インタビューを行った。
このインタビューの中で杉田氏は、農民や職工、女性、被差別民に対する福沢の差別的言説を紹介しながら、国家が軍事力を増強するため、搾取の対象として、意図的に「人の下に」差別階層を作ろうとしていた、と述べた。インタビューは第2回が予定されている(写真URL:http://bit.ly/1aof0AY)。
(※3)杉田聡編『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』(2010年、明石書店)は、市民的自由主義者として知られる福沢諭吉が、他方では帝国主義西欧列強の世界観を模倣し、朝鮮・中国を日本の国権拡張の対象とするアジア観の持ち主だったことを示す論集(【URL】http://bit.ly/1G0d4fu)。(写真URL:http://bit.ly/1DLo5kR)
(※4)岩上安身は杉田聡編『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集~「国権拡張」「脱亜」の果て』を読んだ感想として、2014年1月1日から2日にかけ、連投ツイートを行った。その中で、1882年3月の「時事新報」に掲載された福沢の論説「圧制もまた愉快なるかな」に触れ、福沢の対外拡張的な言説を引用し、紹介している。
(※5)思想史研究者の平山洋氏は、著書『福沢諭吉の真実』(文春新書、2004.08)の中で、「時事新報」紙上で展開された福沢諭吉の拡張主義的な言説について、福沢自身が書いたものではなく、その弟子筋であると主張している。
この平山氏の主張に対して杉田聡氏は、『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 「国権拡張」「脱亜」の果て』の中で、「福沢が立案し弟子に起草させた後に添削して仕上げた論説が一部にあるのは事実だとしても、それさえ紛れもなく福沢の思想の表現である。絵描き工房を指揮する親方――それがレオナルドの師匠たるヴェロッキオであろうと、有名なルーベンスであろうと――の作品には、工房職人の手が入っている場合があるが、それを知っていればこうした擬似問題は提出されるはずもなかったのだが。福沢が朝鮮・中国・台湾論集を公表したのは『時事新報』紙上においてでが、同紙はいわば福沢『工房』において、親方である福沢の宰領下において発行され続けたのである。『時事新報』紙上の社説は、福沢の思想以外の何ものでもない」と反論している(写真URL:http://bit.ly/1FoJfQI)。
(※6)加藤直樹著『九月、東京の路上にて1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(2014年、ころから)は、関東大震災の際に起きた朝鮮人虐殺について書いた歴史ノンフィクション(【URL】http://bit.ly/1NuGaVk)。四つ木や亀戸、両国、神楽坂など、関東大震災の混乱に乗じて発生した朝鮮人虐殺の現場に趣き、ルポルタージュとしてまとめている(写真URL:http://bit.ly/1IuOvZa)。
(※7)IWJでは、岩上安身とスタッフが加藤直樹氏とともに朝鮮人虐殺の現場に趣き、その模様をレポートする番組を制作した。(【IWJ追跡検証レポート】『九月、東京の路上で』~関東大震災・ジェノサイドの跡地を加藤直樹氏と歩く【URL】http://bit.ly/1G5ZAxr)(写真URL:http://bit.ly/1JqPhnD)。
(※8)中塚明氏は、歴史学者で、奈良女子大学名誉教授。専門は日本近代史、特に近代日朝関係史。著書に、井上勝生氏との共著『東学農民戦争と日本~もう一つの日清戦争』(高文研)などがある(【URL】http://amzn.to/19NY1rj)。岩上安身によるインタビューの中で中塚氏は、日本軍による朝鮮王宮占拠事件に関連し、福島の県立図書館にある佐藤文庫に保管されて日清戦争当時の参謀本部が書いた戦史の草案を精査し、日清戦争が偶発的なものではなく、周到に仕掛けられたものであることが分かる、と語った(2013/02/16 旧日本軍による朝鮮侵略の真実 岩上安身による奈良女子大学名誉教授・中塚明氏インタビュー」【URL】http://bit.ly/1ONMvwR)(写真URL:http://bit.ly/1H6AmzI)。
(※9)中塚明・安川寿之輔・醍醐聰共著『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う~日清戦争の虚構と真実』(高文研、2010.06)では、NHKで2009年から5回にわけて放送されたスペシャルドラマ「坂の上の雲」について、日清戦争を大陸からの脅威に対する「祖国防衛戦争」として描いた同ドラマの歴史認識の「ウソ・誤り」が指摘されている(【URL】http://amzn.to/1DFNcFv)(写真URL:http://bit.ly/1FDXl3l)。