米軍新基地建設が進む沖縄県名護市辺野古で暮らし、基地建設への抗議活動を長年続けている島袋文子さん(88)が、2017年8月17日参議院会館(東京・永田町)で講演。「基地があるゆえに戦争が起きる。基地はどこにも置いてはいけません」として、辺野古新基地建設反対を訴えた。その後、首相官邸前でも抗議行動を行なった。
主催者の発表によれば講演会の参加者は約500名。開始一時間前から参議院会館入館のセキュリティ・チェックを待つ人々が、ビルの外まで列を作って並んでいた。会場となった講堂に入りきれない人々が多数発生したため、急遽第2会場が設けられ、そこでは音声のみが流された。
▲参加者で埋め尽くされた参議院会館の講堂。車椅子の島袋文子さんは「基地があるゆえに戦争が起きる。基地はどこにも置いてはいけません」と訴えた
沖縄戦で防空壕内に火炎放射器を噴射した米軍~島袋さんは左半身火傷。消えぬ傷痕
島袋さんは、1929年沖縄県糸満市生まれ。15歳で沖縄戦を経験し、米軍の火炎放射で半身に火傷を負う。戦後は米軍基地でメイドとして働いた後、夫とともに辺野古に移住、以来60年暮らしている。同地に新基地の建設計画が浮上すると反対運動に参加。足が衰えた現在も、埋め立て工事の中止を求め、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続けている。
講演会の冒頭、三上智恵監督による映画作品『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』の6分間ダイジェスト版が上映された。
沖縄戦の際、島袋さんが逃げこんだ防空壕の中に米軍は火炎放射器を噴射。島袋さんは左半身のほとんどに火傷を負った。映像は70年以上経っても消えることのない火傷の痕を映し出していた。
▲三上智恵監督作品、映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』は2017年3月25日にDVDも発売されている
講演会では聞き役を務めた三上氏が、「(このダイジェスト版を)島袋さんに見ていただいたが、戦争のシーンがあって、とても具合が悪くなってしまった」と深い反省の意を述べた。その上で、この日、島袋さんは上映終了後に会場入りすることが伝えられた。
車椅子に乗った島袋さんが入場すると、割れんばかりの拍手で迎えられた。島袋さんは両手を振って笑顔で応えた。
「『戦争のできる国』を造るんだったら、死んだ人間の血の泥水を飲んでからやれと安倍総理に言いたい」
島袋さんは、目の見えない母と10歳の弟を連れて戦火の中を逃げたこと、遺体が浮かんだ池の水を飲んだことなど壮絶な沖縄戦での体験を語った。
「安倍晋三という人が総理になって、いいことは一つもない。口では『美しい日本』とか『国民の命や財産を守る』と甘いきれいな良いことを言っているが、その半面、やっていることは皆殺しをするようなことばかり。戦争のできる国を造り出そうとしている。
そんなにまで戦争のできる国を造るんだったら、死んだ人間の血の泥水を飲んでからやれと私は言いたい」と、安倍総理を厳しく批判した。
島袋さんは続けて、「私たちは戦争に追われて、自分たちの兄弟でも親でも救いきれなかった。あの弾の中で、火の海の中で、どういうふうにして国民の命を守ることできるのですか」と語気を強めた。
▲「文子おばぁ」の愛称で呼ばれる島袋文子さん
「私は戦争の話をする度に、苦しくて夜も眠ることができない」
島袋さんは「アメリカの肩を持つわけではないが」と前置きをした上で、「もし日本軍が戦争に勝っていたら、私たちのような怪我でウジ虫の湧いている人間を生かしてはくれなかったと思う。アメリカが勝ったからこそ、すぐさま野戦病院に連れて行って私たちを生かしてくれた」と訴えた。
「日本軍は戦争に負けると分かっていて、民間が作った防空壕から住民を追い出して、自分達が奥に隠れた。暗闇に置かれた子どもが泣くと、『米軍が来る』と言って、口の中にタオルを入れたり、見せしめだと言って殺した。
自分の子どもたちを日本軍に殺させるよりは、親子共々弾にあたって死んだほうがいいと言って出ていった人が多い。私たちは戦争の弾よりも、亡くなった人たちの上を跨いで逃げるのがとっても苦しかった。私は戦争の話をするたびに、苦しくて夜も眠ることができない」
島袋さんは言葉を詰まらせ、涙を拭いた。
「奇妙な不眠」―沖縄戦を体験した高齢者が抱える苦しみは、アウシュビッツ生還者40年後の精神状態に酷似~精神科医・蟻塚亮二氏
かつて、辺野古基地建設現場に嫌がらせにきた「日本のこころを大切にする党」参議院議員の和田政宗議員(現在は自民党に入党)らが、「島袋さんから暴力行為を受けた」などとして警察に被害届を出したことで、島袋さんは警察から事情聴取を受けることになってしまったことがある。
87歳(当時)のおばあちゃんから「暴力を受けた」などとのたまう自称「保守」には呆れ果てるばかりだが、島袋さんが事情聴取を受けた際、またしても「右翼」が、「空襲警報に似たサイレンを大音量で鳴らして取り調べ中の名護署に押しかける」という最低の嫌がらせを行い、島袋さんは発作を起こしてしまった。
精神科医の蟻塚亮二(ありつか りょうじ)氏は、島袋さんの変調は「空襲を思わせる大音量のサイレンで、トラウマが表面化しPTSD症状が出たもの」だと指摘している。
2004年から2012年まで沖縄のメンタルクリニックで診療を行なっていた蟻塚氏は、「うつ」「統合失調症」と診断されて同クリニックを訪れる高齢者の症状が、一般的な症状と異なることに気づく。他方、アウシュビッツ生還者の40年後の精神状態である「奇妙な不眠」など、特徴が酷似していることを発見。蟻塚氏はこれを「晩発性PTSD」と名付けた。
IWJでは蟻塚氏の著書『沖縄戦と心の傷~トラウマ診療の現場から』を紹介すると共に、代表である岩上安身が蟻塚氏に直接インタビューを行なっている。沖縄戦を体験された高齢者の方々が抱える苦しみを少しでも理解できる一助になればと思う。是非この機会にお読みいただきたい。
▲精神科医の蟻塚亮二(ありつか りょうじ)氏
▲蟻塚 亮二著『沖縄戦と心の傷: トラウマ診療の現場から』(大月書店)
「ミサイルが落ちる前に撃ち落とすという考え。私ね、一年生の考え方じゃないかなと思う」
沖縄戦で使用された砲弾の数は60,018発。地形が変わるほどの激しい艦砲射撃は「鉄の暴風」などと表現される。
雨あられのように降り落ちる砲弾の中を生き延びた戦争体験者の島袋さんの話は、北朝鮮の新型の中距離弾道ミサイル「火星12」を途中で撃ち落とすという地上配備型ミサイル「PAC3」にも及んだ。