「TAKAEこの星空を守りたい~」というサブタイトルがついた「ヘリパッド建設工事阻止現地集会」の直後、猛烈なスコールに見舞われました。そのスコールの洗礼のあとに、高江に満点の星空が現れました。
天空いっぱいに広がり瞬く、プラネタリウムでも見たことがない、星々のまたたき。畏怖さえ覚えるような星空を目に焼きつけながら、8月5日の夜は車中泊となりました。N1裏テントの撤去期限は5日とされており、翌6日早朝にも強制撤去があるのではないか、と考えられていたのです。
星空の片隅に雷光を見、雷鳴を聞き、数回の激しいスコールを車内で感じているうちに、起床時間の午前4時をむかえました。
▲満天の星が輝く高江の夜
ヤンバルの森に夜明けが訪れるとともに、林道に途切れることなく続く車列が現れました。車列を横目に、午前4時過ぎに入ったN1裏テントには、夜を徹してこの日に備えた人の多くが待機をしていました。
▲N1裏テントの中にテントを張って夜を過ごした市民たち
数人の方に声をお掛けしました。ある人は、先月7月22日の早朝4時には機動隊の車輌が車列をなし、5時には市民を排除にかかったと振り返り、この日も同じことが起こるのではないかと警戒されていました。
N1のテントを守れなかったこと、本来市民である自分たちを守るはずの警官機動隊から暴力的な扱いを受けたことは、多くの人の心の中に、深い傷として残っているのだと感じました。
「たくさん人が来たことで今日の強制排除を止められた。ほっとしている」
機動隊は早朝に動きを見せることはなく、私たちIWJは午前の集会を取材後、午前7時頃よりテントに集う方々にお話しをうかがってみました。
沖縄県内から、道に迷いながら駆けつけたというお二人は、前日の夜9時に到着したといいます。到着時には林道の最後尾に車を停車したはずが、朝にかけて続々と市民が駆けつけたことで、後ろには何台もの車が停車していたと驚いていました。
お二人は、「朝4時ぐらいから機動隊が来るって聞いていたけれど、辺野古でも私たちが来るときに限ってこない」「たくさん人が来たことで今日の強制排除を止められた。ほっとしている」と話されました。
東京から来られた落語家の方は、今回で3度目の高江訪問だといいます。「腹が立っては、思考もストップしてしまい、面白い噺もできない」と話されました。
■高江N1裏・市民の方インタビュー
大阪から来られた方は、「先月(7月)22日の映像を見て本当に腹が立ったので、運動に関わりのない人の間でも、『高江へ行こう』という関心が高まっている」と指摘。何よりも、大阪府警が来ていることに憤っていました。
「(大阪府警)こんなところにきて、沖縄の人を弾圧している。そんなことが仕事じゃないはずだ。大阪の仕事もろくにできていないのに高江にくるな、とっとと帰れと言いたい」
さらには、「権力が無法でやりたい放題をする土壌を作ったのは、橋下徹氏のような政治家を生み出したことから派生している。安倍さんの手口も『橋下のパクリだな』と思うところがいっぱいあって、(大阪人として)申し訳ないと思ってここにきました」と言われていました。
「ごぼう抜きの時、我々市民は『人』だと思われていなかったと実感した」
■高江N1裏・宮城康博氏インタビュー
▲98年以降名護市議会議員を3期8年つとめた宮城康博さん
「前夜の星空が素晴らしかった」と話したのは、98年以降名護市議会議員を3期8年つとめた宮城康博さんです。
「22日は本当に酷かった。500人近くの機動隊は市民の倍近い圧倒的な量だった。2012年にオスプレイが配備されるというときは、市民が普天間飛行場の全ゲートを封鎖し、やはり強制排除されたが、当時は全国の機動隊ではなく、沖縄県警が相手だったという違いがある」
さらに、「今回は東京、福岡、大阪と、全国色々なところからきていて、ごぼう抜きの時、我々市民は『人』だと思われていなかったと実感した。我々のやっている行為を慮るということは一切なく、自分たちの心を殺さないとできない任務に就いている。それは可哀想なことだ」と感想を述べられました。
1996年のSACO合意によって米軍北部訓練場の過半の返還とヘリパッド(オスプレイパッド)の建設案が浮上(※)しますが、市民らは当初から「ヘリパッドではなく、オスプレイが飛ぶのだろう」と追及し続けてきました。対する防衛局は「聞いていない」「米軍の公式発表もない」という一点張りで、住民には何の報告もないまま今日に至っています。オスプレイ配備について、住民への誠意ある説明や合意形成の努力はいまだになされていないのです。
宮城さんは、「高江の住民にとっては詐欺同然のやり方だ」と批判。「日本政府は、米国や米軍の発表で隠していた真実が明らかになっても、悪びれもせずそのまま進める。そんなでたらめな日本政府の態度を許してはいられない」と語気を強めました。
(※)1995年の米兵による少女暴行事件を受け、翌1996年12月、沖縄の基地負担軽減を目指しSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意が結ばれた。合意では、北部訓練場「過半」返還の条件として、東村高江に6カ所のヘリパッド建設(地図)があげられた。高江の集落を取り囲むようにして建設されるため、地元住民らは2007年から工事車両が出入りするゲート前で座り込みを続けている。
伊方でも同じことが!「高江で起きていることを放置したら、全国で同じことが起きる」
■高江N1裏・阿部悦子氏インタビュー
▲元愛媛県会議員の阿部悦子さん
愛媛で「辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会」を立ち上げられた、元愛媛県会議員の阿部悦子さんには原記者がお話しをうかがっています。
「参議院選挙が終わって現職の沖縄担当大臣を破って伊波洋一さんが大勝した喜びも束の間、機動隊を結集させるなどして建設資材搬入を再開させる(※)など、民主主義も議会制民主主義も踏みにじる行為を SNSなどで目の当たりにし、『吐き気』が止まらなかった」
※2016年7月10日投開票の参院選で、辺野古新基地建設、高江ヘリパッド建設反対派の元宜野湾市長・伊波洋一氏の当確が決まったわずか8時間後の11日早朝、まるで選挙結果への当てつけのように沖縄県警の機動隊を投入して、ヘリパッド建設工事に反対する住民らを排除。工事関係資機材の基地内への搬入を強行するとともに、全国から警察官の大量動員を始めた。
阿部さんは、その吐き気を止めるため現場にこられたということでした。前夜に高江に入られたという阿部さんは、車中泊の感想を、「避難するとこういう風になるのだと勉強になりました」と語られました。原発事故を念頭においてのことです。
8月12日に再稼働した伊方原発3号機は、もともと7月27日に再稼働予定でしたが、冷却水に異常があって延期となりました。7月24日には、現地で再稼働反対の抗議行動が行われ、全国から700名もの市民が集まったということです。他方で、四国4県の県警が道路を検問し、一般車両を抗議行動に合流できないよう道路を封鎖する、嫌がらせともいえるような動きがあったといいます。
「政権がこれをやろうと思ったら法律も何もないですね。高江で起きていることを放置したら、全国で同じことが起きる」と述べた阿部さん。辺野古や高江で起こっていることが、伊方の原発再稼働の現場などでもすで起こっていると知りました。
8月6日は、広島への原爆投下の日です。原爆投下があった午前8時15分、テントに集まった市民らは広島の方角へ向けて、黙祷を捧げました。
▲8月6日午前8時15分、広島への原爆投下に合わせて黙祷する山城博治氏ら
そして、午前9時「みなさんの結集で本日の工事は止められたようです。22日の凄まじい光景が脳裏によぎりましたが、9時を過ぎて異常がありません。今日の工事強行はないでしょう。皆さんの徹夜のご尽力に感謝致します」と山城博治さんが参加者に伝えられました。
最後に「ヘリパッドいらない高江住民の会」の石原さんにもお話を聞くことができました。
「高江は闘争の現場ではなく、生活の場なので、生活の場所が騒々しくなることは、住民は望まない。本来の生活を守りたいというのが高江の運動なので、高江の住民の声をきちんと伝えていくためには、表に立たなければならないこともある。時間的な制限もあり、ジレンマでもある」
高江のために集まってくれる人にも理解を求めていくことの難しさ、心苦しさを、 持ち前の明るさで語ってくださいました。
高江の空には、すでに訓練中のオスプレイが日常的に飛び交っています。
オスプレイの低周波は、「内臓を揺るがす振動」と表現されていますが、それ以上に、「アメリカでは危ないから住宅の上を飛ばない」という本国と、頭上の低空飛行も日常茶飯事となっている高江区。あからさまなダブルスタンダードを改めて突きつけられるとともに、いかに地元住民の生活を愚弄しているか、住民の方を前に噛みしめる思いでした。
(【寄稿・後編】IWJ京都中継市民・北野ゆりの高江レポート!「昭恵さんですか?」〜テントで唯一、安倍首相夫人に話しかけた女性にインタビュー!ヤンバルの森を守る闘いは続く! 2016.8.23に続く)