集団的自衛権によって、米軍に従属して自衛隊が参戦するということは、戦場がどこであれ、相手が誰であれ、必ず、「銃後」の日本社会にも多大な影響をもたらす。社会全体が、戦争遂行体制となる。それだけでは済まない。民間人もテロという形で巻き込まれる可能性が高まる。
パリ発エジプト行きのエジプト航空の旅客機が墜落した、と発表された。テロの可能性があるという。パリで起きたテロ事件を想起する。フランスは緊急事態を宣言していた。今回の墜落事件がテロだとしたら、緊急事態を宣言してもテロは防ぎ得ない、ということだ。
島国である日本は、外との行き来は、船によるか、飛行機による他はない。第二次大戦時には、民間船舶が多数沈められ、民間人が数多く犠牲になった。当時は、軍艦による護衛も十分にないまま民間船舶が、1万5千隻余も撃沈されたという。公益財団法人「日本殉職船員顕彰会」によると、日本の船員の犠牲は6万609人で死亡率は43%。陸軍の20%、海軍の16%を上回る。
- 防衛省の有事船員活用計画、海員組合「事実上の徴用だ」(朝日新聞、2016年2月11日付)
当時は船のみの時代。今とは旅客機の本数は比較にならない。空の時代が到来したのは第2次世界大戦後である。以後、先進国同士の戦争は人類は未経験である。
日本では国内線は、1951年に旅客数がようやく1万8000人に、国際線は54年に1万人に達して、この頃から「空の時代」が本格化した。今、年間に国内線・国際線あわせて、1億1千165万人が空を飛ぶ。世界では2014だけで3740万回ものフライトで29億7千万人が空を行き来した。全世界を飛行機が飛びかうことを可能にしているその最大のインフラは「平和」である。それを多くの人々が忘れている。
第三次世界大戦の話をする時、核の撃ち合い、といった話は出ても、第二次大戦を例に挙げて、第三次世界大戦では民間航空機も片っ端から撃墜されるだろう、と言い出す人はほとんどいない。考えだすと、想像力の限界にすぐ突き当たる。グローバルな世界などというものは一瞬にして終わる。
憎悪に着火したら、止めようがない。あっという間に燃え広がる。戦争は、囲い込まれた「戦場」という領域だけで行われるものではなく、あらゆる領域に飛び火する。自民党は党内議論で「敵基地攻撃論」に前のめりの姿勢を示しているが、その結果に想像力が及んでいるだろうか。
戦争を待望している人や必要だと信じている人は、一度でいいので想像してほしい。自分自身や、自分の家族、会社の同僚、友人や知人が、ビジネスや観光など、様々な目的で飛行機に乗り、その飛行機が撃墜される、という事態を。国内線であれ、国際線であれ、起きうるということを。
政府与党は、憲法に緊急事態条項を書き入れることに躍起になっている。緊急事態を宣言して国権を極限にまで強化しても、飛行機が狙われたら、防ぎ得ない。多くの人が空の旅を避けるだろう。どれだけ経済が萎縮し、停滞するか。
あるベテランの国防族の自民党議員(大臣経験者でもある)が、現在の自民党内の空気をひそかに憂いている、という話を聞いた。党内は、若返りが進んだが、そうした若い議員たちは、公然と中国一撃論、暴支膺懲論を意気軒昂に唱えるのだという。しかも、「今なら勝てる」とまで。愚かの極みである。
そのベテラン議員は、党内のそうした若い議員の、血気盛んな声を抑えるのが大変だ、と知人にこぼした。その知人から直接聞いた話である。彼らは1930年代、40年代の歴史をまったく学んでいない。あるいは極右メディアのフィルターを通じて歪められた情報だけしか聞いてないのかもしれない。
日本外国特派員協会で会見した石原慎太郎氏は「私が中国を崩壊させたいのは、嫌いだから。あの国」と、持論の対中戦争扇動をのたまった。崩壊してやりたい国に日本が軍事力をふるえば、自分も軍事力をふるわれる。その結果かどうなるか、あの人は一回でもまともに想像し、責任ある言葉を口にしたことがあるのだろうか。
もうそろそろ保守派も含めて、全国民が真剣に考えたほうがいい。石原氏のような好戦的なポーズだけとり、責任はまったくとらない(とりようがない)政治家たち、あるいは戦争法に賛成票を投じた政治家たち。彼らの言う通りの方向へ社会が進んで行った後、我々はおちおち飛行機に乗れるだろうか、と。