自民党で早期の原発再稼働を求める議連の事務局長を務め、「原発銀座」福井県選出である高木毅復興大臣の原発推進の姿勢は、父親ゆずりだったのか。1983年、高木大臣の父親で福井県敦賀市長だった高木孝一氏は、原発推進の講演会で「50年後、100年後に生まれた子どもが片輪になるかもしれないが」「原発は金になる」などと発言し、問題となった。原発災害からの復興をあずかる高木大臣は、自身の父親のこの発言をどう考えるのか。
2015年10月23日、閣議後の定例会見でIWJ記者が聞いた。
(取材・文:佐々木隼也)
自民党で早期の原発再稼働を求める議連の事務局長を務め、「原発銀座」福井県選出である高木毅復興大臣の原発推進の姿勢は、父親ゆずりだったのか。1983年、高木大臣の父親で福井県敦賀市長だった高木孝一氏は、原発推進の講演会で「50年後、100年後に生まれた子どもが片輪になるかもしれないが」「原発は金になる」などと発言し、問題となった。原発災害からの復興をあずかる高木大臣は、自身の父親のこの発言をどう考えるのか。
2015年10月23日、閣議後の定例会見でIWJ記者が聞いた。
記事目次
■ハイライト
IWJの質問に高木大臣は「昔のことで、つぶさに父親の発言を知っているわけではないが、もしそういう発言があるならば、遺憾なことだ」と述べつつも、父・孝一氏の擁護に徹した。
「私の推測だが、(父・孝一は)必ずしもそうした趣旨で言ったのではなくて、よくありがちなことだが、多分、前後の発言等を話を聞いていただければ、それだけがすべてではないと思います。しっかりと、地元の皆さん方と、共同歩調しながら、理解をいただきながら、そしてあくまで安全というものを最優先に、父親と私もそうですが、原子力政策を進めてきたと認識している」
「そういう趣旨ではなかったのでは」「あくまで安全を最優先に原子力政策を進めてきた」と主張した高木大臣だが、しかし講演録を見ると、孝一氏は終始、原発がもたらす恩恵(カネ)について言及しており、安全性についてはむしろ重要視していない。講演では、敦賀発電所一号機の一般排水溝から放射性物質コバルト60が漏れた1981年4月の事故に触れ、次のように持論を展開している。
「新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラ(海藻の一種)に付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない」「いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人もおりません。まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです」「笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ」「(原発ができると電源三法交付金が貰えるが)その他に貰うお金はお互いに詮索せずにおこう。キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、裏金ですね、裏金!」
「裏金」を含めた原発の恩恵をこれでもかと強調した孝一氏は、最後に「その代わりに…」として「100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…」と締めくくっているのだ。
「前後の発言等」を見れば見るほど、原発は金になるから、その代わりに将来子どもの片輪が生まれても今は原発を推進した方がいい、という「趣旨」で一貫している。
国が原発の安全性を軽視した結果の事故により、今も多くの被災者が苦しい避難生活を強いられている。そんな現状で、自身の父親の問題発言を擁護し、原発依存の体制を省みることができない高木氏に、原発事故の被災地復興を担う資格があるのだろうか。
「都合の悪い質問が来たら課題があっても帰ってしまうのか」——。
会見ではもう一つ、高木氏の復興大臣としての資質を問う質問が飛んだ。
「下着泥棒」疑惑が週刊誌に報じられた高木大臣は16日、復興推進会議が行われた直後の、官邸での囲み会見(いわゆる「ぶら下がり」)で、この疑惑について記者から聞かれ、「今日はそういった場所ではございませんので…」と回答を拒否。内閣改造後初めての復興推進会議とあって、被災地からの注目も高かったが、大臣は2分で会見を打ち切り、その場を立ち去った。
この大臣の行動について、福島民友の記者が「復興推進会議についての質問に応えるつもりはあり、その時間も確保していたのか?」と質問した。これに高木大臣は「もちろんです」と強調し、「復興推進会議に関する会見だと思っていたので、質問があればお受けする予定でした」と振り返った。
「お受けする予定だった」とする高木大臣だが、実際は前述の通り、一つ質問が出た時点で「失礼します」と一方的に会見を打ち切った。「なぜ打ち切ったのか?」という福島民友記者の質問に、「あの場は復興推進会議の記者会見ですから、まずはそういった質問が出るだろうと思っていたが、いきなり関係のない質問が出たので、勝手な判断だと言われればそうかもしれないが、復興に関する質問は今日はもうないのだな、と判断した」と釈明した。
「少なくとも私は質問を用意していたのですが」と前置きした福島民友記者は、この大臣の釈明に疑問を投げかけた。
「時間も用意していたが、関係のない質問がきたから(会見を)切ってしまうというのは、都合の悪い質問が来たら課題があっても帰ってしまうのか、という印象を、実は持っています。被災地復興への向き合い方として大臣は間違ったメッセージを発信しているのではないか」
東北の復興よりも、自身の保身が大事なのだろうか。