福島第一原子力発電所の事故から4年半あまりが経過した。原子炉内で溶解した核燃料はいまだ取り出しの目途が立たず、大気中にばらまかれた放射線物質や、海へ流れる汚染水が今後どのような被害をもたらすのか、その全容は不透明なままである。
私たちは、原発事故の深刻さを、今改めてどのように理解するべきなのか?そして、そもそも戦後日本が推し進めてきた原子力政策とは、一体何だったのか?
2015年9月19日(土)、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』の出版を記念し、45年にわたって原発の危険性を唱えてきた小出裕章氏が講演を行った。
- 講演 小出裕章氏(元京都大学原子炉実験所助教)「原発と戦争を推し進める愚かな国、日本」
- タイトル 「小出裕章氏『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』出版記念講演会」
- 日時 2015年9月19日(土)19:00〜
- 場所 毎日ホール(東京都千代田区一ツ橋)
- 主催 毎日新聞出版(詳細)
60年前に語られた「原子力の夢」~「すべてが誤りでした」
まず小出氏は、戦後日本が抱いた「原子力の夢」について語った。例えば、原子力は、石炭などの資源が減少するなかで、今後不可欠な存在となること。原子力発電には、火力発電所のような大工場を必要としないこと。あるいは山間僻地を選ばず、ビルの地下室でも発電所ができること。密閉式のガスタービンを利用すれば、ボイラーの水もいらなくなること。さらには電気料金が2000分の1にもなること・・・。
今読み返せば奇想天外の理想に過ぎないものだが、小出氏が紹介する1954年7月2日の毎日新聞の記事には、確かにこのような「原子力の夢」が書かれている。1954年とは、日本で初めて原子力予算が通過した年であり、当時のマスコミはこぞってこのような“夢”を喧伝したという。そして小出氏自身、それらを「完璧に信じた」。
「すべてが誤りでした。地球上にあるウラン資源というのは大変貧弱です。それを地底から掘ってきて、原子力発電をやって得られるエネルギーは石油を燃やして火力発電をやるのに比べて、数分の一しかありません。石炭に比べれば数十分の一しかないというような、まことに馬鹿げた資源だったんです。
日本はすでに、世界一高いと言われるほどの電気料金になってしまいました。火力発電所と比べても、はるかに巨大な工場になった。また、決して都会にはできずに、僻地に押しつけるということをやってきた。その頃にかけていた夢というものは、すべてが幻だったということです」
広大な汚染地帯に現在も人が住み続けていることの不条理~今も解除されていない原子力緊急事態宣言
2011年3月11日、福島第一原子力発電所の事故で大気中に噴き上げられた放射性物質のうち、上空に達したものは偏西風に乗って太平洋へ流れた。だが、地上の風に吹かれたものは、東西南北にわたって日本の陸地を汚染した。小出氏は、国が発表している汚染地図をもとに、東北地方・関東地方にまで広がる広範囲なエリアで、1㎡あたり3~6万ベクレル、または6万ベクレル以上のセシウムが降り積もったと指摘する。
「本当のことを言えば、福島県の東半分を中心にして、東北地方と関東地方の広大なところを『放射線管理区域』(※)にしなければいけないほど汚れたのです」
本来であれば「放射線管理区域」に指定しなければならないほどの広大な汚染地帯に、現在も人が住みつづけている。それが今起こっている現実だと小出氏は語る。しかし、なぜそのような事態が許されるのか?
「2011年3月11日に事故が起きて、日本という国は原子力緊急事態宣言というものを発令しました。今は緊急事態だと。日本は法治国家と言ってきたけど、もう法律を守ることができない、法律を停止する緊急事態にあるという宣言をしたのです。その宣言は4年半経った現在も、実は解除されていないのです。
本当なら放射線管理区域にしなきゃいけない汚染地帯に、人が住んでいる、赤ん坊も含めて住んでいる、本当に悲惨な状態が今でも続いていて、緊急事態が解除できないと。そういう事態にあるのです」
2011年12月には、民主党政権下で当時の野田総理が、「事故収束宣言」を発表し、2013年9月には安倍総理がIOC(国際オリンピック委員会)の総会で、「事故はアンダーコントロールだ」と表明した。だが実際には、2011年3月11日に発令された原子力緊急事態宣言が、事故から4年半経った現在においても、解除されてはいなかったのである。
(※)「放射線管理区域」とは、原子炉や核燃料物質、放射線発生装置等を取り扱う従事者の安全を確保するため、法令で定められている区域である。一定の値を超えると管理区域として指定され、従事者の出入りの管理や被爆管理が行われる。セシウム137の場合、4万ベクレル/m2以上の表面汚染度で管理区域となる。管理区域内では水を飲むことや食べ物を食べることは許されない。一般人の立ち入りは禁止されている。
何のための原子力か?~2012年6月に行われた原子力基本法の改定をめぐって
このように悲惨な現実をもたらした日本の原子力政策とは、一体何だったのか? 小出氏は、原子力政策が「エネルギーを目的としたものではなかった」と述べ、1992年11月29日朝日新聞に掲載された記事を紹介する。
その記事は「外務省幹部の談話」として、「日本の核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力は持つが、当面、政策として持たない。そのためにもプルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケットは開発していかなければならない」と、核武装を公式の政策の枠外で進めるべきだと表明したものだ。
実際に日本は、1990年代の初めから着々とプルトニウムの保有量を伸ばし続け、現在までに48トン分を保有するようになったと小出氏は指摘する。これは長崎原爆にして4000発分とのことだ。
さらに小出氏は、政府が核兵器の開発を意図している決定的な証拠として、2012年6月20日に改定された「原子力基本法」をあげる。
「2012年6月20日。福島第一原子力発電所の事故が起きた後のことですけれども、政府は原子力基本法を改定しました。もともとの原子力基本法にはこう書いてあります。『(基本方針)第2条 原子力利用は平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営のもとに、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする』
ここにこんな条文を書き加えました。『2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする』」
このように、「安全保障」という用語が、「いつの間にかこっそりとふくまれてしまった」と小出氏は述べる。「安全保障」のための原子力とは何か? それは明らかに「核兵器の開発」を念頭に置いたものだと小出氏は言う。
だとするならば、これまで国民に隠されるように保持されてきた原子力政策の“もう一つの意図”が、ここに来てはじめて政府による表だった政策として公言されたと言わざるを得ないのである。
小出氏は最後に、第二次世界大戦下でナチス・ドイツにより強制収容所へ送られ、奇跡的に生還したニーメラー牧師の境遇を紹介しつつ、次のような言葉で講演を締めくくった。
「歴史はどんどん流れていって、気が付いた時にはもうどうにもならない。すべての抵抗手段が失われているということが、これまでの歴史にもあったわけです。一人一人の頭でちゃんと考えて、考えるだけではなく行動していくという責任、そのことだけが今求められているんだろうと思います」
【広瀬隆】全国のみなさま、連日ご苦労さまです。
◆9月23日(水)は、「秋分の日」の休日に、東京では、12:30から代々木公園-野外音楽堂で「9・23さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」がおこなわれます。
◆インターネットのダイヤモンドオンラインで、連載記事を掲載してきましたが、堀潤さん、田中三彦さん、古賀茂明さんとの対談が大反響です。
全国の「無関心層」に、みなさまの大声で事実を広めてください。
http://hibi-zakkan.net/archives/45455077.html