「原発と差別、戦後日本を再考する」と題したシンポジウムが2015年2月22日、東京・水道橋にある在日本韓国YMCA青少年センターで開催された。第一部では、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏と文化学園大学助教の白井聡氏が講演。つづく第二部では、原発メーカー訴訟原告でNNAA(No Nukes Asia Actions)事務局長の崔勝久(チェ・スング)氏と大阪大学特任助教の大野光明氏を加えた総合討論が行なわれ、会場の聴衆も交え、活発な議論が繰り広げられた。
(取材・記事:IWJ・谷口直哉、記事構成:IWJ・安斎さや香)
※3月4日テキストを追加しました!
「原発と差別、戦後日本を再考する」と題したシンポジウムが2015年2月22日、東京・水道橋にある在日本韓国YMCA青少年センターで開催された。第一部では、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏と文化学園大学助教の白井聡氏が講演。つづく第二部では、原発メーカー訴訟原告でNNAA(No Nukes Asia Actions)事務局長の崔勝久(チェ・スング)氏と大阪大学特任助教の大野光明氏を加えた総合討論が行なわれ、会場の聴衆も交え、活発な議論が繰り広げられた。
記事目次
■ハイライト
小出氏は、「原子力平和利用は差別の上に成り立った」というタイトルで講演。冒頭、スクリーンに広島と長崎に落とされた、二つの原子爆弾の画像を映し、この爆弾を作り出した「マンハッタン計画」から話を切り出した。
「みなさん、原子炉というと発電の道具だと思われるかもしれませんが、もともとはプルトニウムを作ろうとして、考え出された装置です」
マンハッタン計画の中で一番重要な技術は、ウランを「濃縮」する技術、「原子炉」でプルトニウムを作る技術、取り出したプルトニウムを分離する「再処理」という技術の3つだと小出氏は言う。
「この3つの技術が原爆製造を可能にする『中心三技術』。原子力の平和利用と呼ばれている技術も、すべてはこの『原爆製造の中心三技術』から始まっている」
小出氏は、国連安保理の常任理事国5ヶ国が、核兵器を保有しているが故に、常任理事国の地位にいるとしながらも、この「原爆製造の中心三技術」を持っていることが重要な意味を持っていると語る。
他方、この5ヶ国以外で唯一、日本が「中心三技術」の全てを保持しているという。現在、日本は国内外あわせて約47トン、長崎原爆にして約4000発分のプルトニウムを蓄積していると小出氏は解説した。
こうした日本の現状について、小出氏は、「原子力平和利用と言いながら、着々とプルトニウムを蓄積して、核技術を『ふところ』に入れてきたという国なのです」と評した。
日本では、核を意味する「Nuclear」という英単語が、あるときは「核」、あるときは「原子力」と使い分けられてきたと、小出氏は話す。
「『核』と言うときは軍事用語であり、『原子力』と言うときは平和利用であると、あたかもこの二つが違うかのように、ずっと使い分けてきたのです」
小出氏は加えて、「Nuclear Development」という言葉も使い分けられてきたと説明する。
例えば北朝鮮やイランが、原子炉を作ったりウラン濃縮をしようとすると「核開発」と訳される。そして、「核開発」をしようとしているから、経済制裁や軍事制裁を加えなければならないと日本政府は言い、マスコミも積極的に「核開発」という表現を用いて北朝鮮やイランを批判してきた。
一方、日本で原子炉を動かしたり、再処理をしてプルトニウムを取り出そうとする時には、英語では同じ言葉でも「原子力開発」と訳される。文明国家として原子力が必要なものであり、日本は、これからも原子力開発をどんどんやりますと言うのである。
「私はどんなことでも、公平であるべきだと思っています」と小出氏は語り、次のように言葉を継いだ。
「日本が原子炉を作る、ウラン濃縮をする、再処理をする、というのなら、他の国がそれをやるというのも、認めなくてはならないと思うし、他の国にそれをやるなというのなら、日本だってやってはいけない。そう考えるべきだと私は思います」
講演の終盤、小出氏は原子力と差別について語った。
「原子力は徹底的に危険だと思いますし、破滅的だと思います。しかし、私が原子力に反対しているのは、単に危険だからではありません。原子力は徹頭徹尾、無責任で犠牲を他者にしわ寄せするからです」
平常運転中の原発での労働や、フクシマでの事故処理作業は、その9割以上を下請け労働者が担っており、被曝を余儀なくされている。そして、原子力発電所や核燃料サイクル施設は、決して都会に作ることができず、その危険は過疎地に押し付けられてきたと、小出氏は説明した。
「私たちの世代がたくさん原子力発電を使って、電気を得てきた。しかし、私たちがその電気を生み出すために作ったゴミは、私の子ども、またその子どもと、100万年という、人類が生きているかどうかも分からない程の未来の子どもたちに向かって、残していくしかないというゴミなのです。
まったく何の決定権もない人たちに、ゴミだけ押し付けるというようなことは、私は犯罪だと思います」
小出氏は講演の最後に、日本における原子力と差別の本質について、こうまとめた。
「日本で原子力と呼ばれてきたものは、もともと核と同じものなのです。原子力というようなものをやってしまえば、核兵器と縁が切れなくなってしまう。
日本という国は、初めから実はそのことを承知の上で、核兵器を作りたい、持ちたいために、原子力の平和利用という言葉をつくって、国民を騙してきたのです。
原子力の問題というのは、単に安全か危険かという話ではなく、世界や国内の構造の中で、差別というものに基づきながら、今日まで来たのだということを分かっていただきたいと思います」
次に登壇したのは、『永続敗戦論ー戦後日本の核心』(太田出版、2013年3月)で注目を集めている社会思想・政治学者である白井聡氏。「永続敗戦」とは何か、原子力とは何か、戦後日本の本質を鋭く語った。
白井氏は、『永続敗戦論ー戦後日本の核心』を執筆するに至った経緯から、この日の講演を始めた。そのきっかけは二つあり、ひとつは2010年の鳩山由紀夫政権の崩壊劇、もうひとつは、2011年3月の東京電力福島原発事故だったという。
鳩山政権の崩壊劇とは、2010年当時、首相であった鳩山由紀夫氏が、沖縄の米軍普天間基地を国外、少なくとも沖縄県外へ移設しようとして、政権が倒れた事件である。白井氏は、この事件の本質をこう説明した。
「日本の国民の意思とアメリカの国家意思が衝突した結果、日本が敗北したということです。どちらかを選ばなければいけないといった時に、日本国の総理は、安全保障の問題をめぐっては、アメリカの意思を選ばざるを得ないということが露呈した」
アメリカの意向により、間接的に日本の総理大臣が解任された、この敗北を、当時の主要メディアは直視せず、ひたすら鳩山氏個人の資質や性格を集中的に攻撃し、ゴシップ的な「おしゃべり」にうつつを抜かすばかりだったと、白井氏は振り返る。
メディアによる問題のすり替え、誤魔化しを白井氏は目の当たりにし、これは8月15日を「敗戦の日」ではなく「終戦の日」と呼び替えているのと、まったく同じではないかと思い至ったという。
二つ目のきっかけとなった3.11の福島原発事故について、白井氏は、事故になる前までは、多くの国民と同じように「危険なものを扱っているのだから、当然それなりの緊張感を持って、事にあたっているのだろうと考えていた」と語る。
しかし、事実は白井氏の想像とはまったく異なっていたことが3.11後に判明する。原発事故により、東電の杜撰な原発運営・危機管理体制に慄然とさせられたのだ。その最たるものが、海水注入をめぐる東電幹部と吉田昌郎・元福島第一原発所長とのやり取りだという。
原発が爆発の瀬戸際に追い込まれ、とにかく水を入れて冷やさなくてはならないという状況で、東電幹部は吉田所長に向かって「海水を入れると原子炉がお釈迦になるから、少し待て」と指示していたのだ。
このやり取りを、後にテレビ会議の映像で観た白井氏は、こう感じたという。
「日本が壊滅するという事態と、東京電力に数百億円の損害が出るということ、この二つの事柄の重みを比べて、東京電力の本社の人間は、どちらが重いことなのかという判断が付かないことが判ったのです」
この原発事故を通して、白井氏は、政府や東電がとった、あまりにも酷い振る舞いに衝撃を受けると同時に、強烈な既視観、デジャブを感じたと語る。それは、政治学者・丸山真男が第二次世界大戦の戦争指導をめぐり、その悪しき意味での日本的特長を指して「無責任の体系」と述べたこととの同一性だった。
「あの戦争において、300万以上にものぼる国民を死へ追いやった、いわば殺人マシンとも言える、そのシステム(無責任の体制)というものが、ちょっとソフトに装いを変えているように見えるけれども、本質的にはまったく同じマシンが、今も動き続けているということを突き付けられた」
鳩山政権の崩壊と福島原発事故。二つの出来事から見えた、戦後日本の体制を、白井氏は「永続敗戦レジーム」と呼び、端的に言うと「永続敗戦」とは「敗戦の否認」ということだと説明した。
「日本があの戦争に負けたということは、歴史上の知識としては誰もが知っていることでありますけれども、本当のところは、それを認めていないということです。
本当のところ、それを認めていないから、ずるずる、だらだら負け続ける。それが永続敗戦ということ」
そして、敗戦の否認には、次のような論理があると白井氏は続けた。
「日本が戦争に負けていないのだとすれば、大義も勝利の可能性もなかったあの戦争を始めた責任を、誰も取る必要はないし、反省する必要もない。
無責任の体系も温存したって、ちっとも構わない、ということになる訳です。なにせ、私たちは負けていないのだからと。
実はこのロジックが、私たち日本国民を深く規定している歴史意識なのではないかと思ったわけです」
白井氏は、「永続敗戦」と「敗戦の否認」という言葉を思いついたときに、鳩山政権崩壊の本質を見ようとしない国民の態度、そして、福島原発事故における既視感が、全部ひとつながりになったと言う。
「本当のところは、あの戦争の敗北を認めていないということこそが、戦後の本質なんじゃないかと」
ではなぜ、敗戦を認めないのか。一番シンプルな理由として、白井氏はこう説明した。
「アメリカにより免責され、再登用された旧支配層。これを傀儡勢力として、アメリカは活用し、戦後の日本統治を行なってきた。つまり、属国化ということですね。
それを誤魔化すためには、敗北そのものを誤魔化すのが、一番エレガントなやり方だということになる訳です」
「永続敗戦レジーム」というシステムが、幸か不幸か、戦後日本では上手く機能してしまったために、日本は戦後、「平和と繁栄」と言われる時代を築いてこられたのだという。
白井氏は、そもそも、この「敗戦の否認」という誤魔化しに基づくレジームを、アメリカが温存してきた大前提には、冷戦構造があったという。それは、ソ連に対抗するため、アジア一の子分として、日本の存在が大切だったからに他ならない。
しかし、冷戦構造が終わりを告げると、当然、話は変わってきた。90年代初頭、冷戦構造の終焉とほぼ同時に、日本ではバブル経済が崩壊し、経済成長がほぼストップする事態に陥った。
そして、失われた10年、20年と言われる間に、この永続敗戦レジームは衰退しながらも、ずるずると続いてきてしまったのだという。
白井氏は、現在の日本の状況を、こう表現した。
「だらだらと続く戦後というものに、3.11は大きな『点』を打ち込んだと思います。すなわち、『ああ、本当に良い時代は終わったんだな』という雰囲気ですね。『平和と繁栄』が完全に終わり、その反対に転化していくとすれば、『戦争と衰退』の時代へと大きく舵を切っていく。今、そういう大変不吉な状態にあるわけです」
白井氏は、悲惨な原発事故を経験してもなお、日本が脱原発できない理由に、原発立地自治体における差別の問題があると論じた。
原発事故後、各地の原発立地自治体の首長選挙において、原発問題は争点にすらなっていない現実がある。政府や電力会社へ断固たる抵抗を示しているのは、泉田裕彦新潟県知事ら、ごく少数に限られると、白井氏は言う。
なぜ、このような状況になっているのか。白井氏は、沖縄と福島を対比させながら、そこには「差別の構造」があるからだと説明した。
「都市住民が貧乏な田舎に原発を押し付けてきた、という差別構造が現実にある。しかし、その差別は否認されているのだろうと、私は思うのです。
沖縄には多くの米軍基地があり、その基地に依存している側面も持ちながら、基地との共存というスローガンがないんです。いわば、基地を『抱きしめよう』としないんです。
対して、原発立地自治体は、原発と共存のスローガンを掲げてきた。(原発を)『抱きしめた』と言っていい」
白井氏は、こうした背景には「差別の否認」があったのだと指摘した。
「差別されているということを認めるのは、誰しも辛いことです。自分は差別なんかされていないと思いたい。原発という迷惑施設を押し付けられている状態、差別されている状態を、むしろプライドに転化するということが行なわれてきたんだと思います」
自分たちが原発を受け入れたことにより、日本の経済や国民生活は成り立っているんだ、というプライドを持つことで、差別を否認し、誤魔化してきたという構造があると、白井氏は言う。しかし、脱原発という主張によって、そのプライドは傷つけられてしまう。
この差別を否認する感情について、白井氏はこう語った。
「そのプライドの在り方はおかしいんじゃないかという問題があり、錯綜した感情を、ひとつずつ解きほぐしていかなければ、原発問題は片が付かないとみています」
白井氏は最後に、戦後日本にとって原子力とは何であったのか、次のように結論付けた。
「それは、戦前を中途半端にしか清算できなかった『戦後レジーム』『永続敗戦レジーム』の象徴であり、その中核である」
(…会員ページにつづく)