1954年版「ゴジラ」で初主演を果たし、その後は二枚目俳優として数多くの映画に主演してきた俳優・宝田明氏が2015年8月22日、神戸市内で講演。自身の衝撃的な戦争体験を語り、安保法制を進める安倍総理に退陣を促した。
今年で81歳になる宝田氏は講演で、自身が幼少期に戦争末期の満州で体験した、生々しく残酷な「戦争のリアル」を語った。
(記事:佐々木隼也)
1954年版「ゴジラ」で初主演を果たし、その後は二枚目俳優として数多くの映画に主演してきた俳優・宝田明氏が2015年8月22日、神戸市内で講演。自身の衝撃的な戦争体験を語り、安保法制を進める安倍総理に退陣を促した。
今年で81歳になる宝田氏は講演で、自身が幼少期に戦争末期の満州で体験した、生々しく残酷な「戦争のリアル」を語った。
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父親が満州鉄道の技師であった宝田氏は、戦争末期の5年間を旧満州のハルビンで過ごした。1945年8月6日と9日、ラジオは広島と長崎に「化学爆弾」が落とされたことを伝えたという。
8月15日に玉音放送を耳にした時、大人たちは内蔵をえぐり取られた思いだったが、子ども達は「急にクラッチをバックに入れて走りだされた」思いだったと宝田氏は語る。
8月22日には、ソ連軍が85トンの重戦車などを侵攻させ、現地のあらゆる公的機関が制圧された。その日までに大部分が南へ下っていた関東軍は無条件降伏し、ハルビンの街は無政府状態に陥った。
ある日の夕方、ロシア兵2人が略奪のため家に入り込んできた。頬に突きつけられた銃筒に「ガタガタ」と歯の震えが止まらなかった。街では、ロシア兵をおそれ、昼間のうちに外で買い出しをしようとした日本人女性をロシア兵が辱める光景も目の当たりにしたという。
満州鉄道の線路からすぐ近くの社宅に住んでいた宝田氏は、ある日、強制労働のために列車で北部に運ばれる日本兵達を目にした。兵隊となった兄恋しさに列車に近づいた時、ロシア兵に右腹を撃たれた。
熱した裁ちバサミで元軍医が傷口から取り出した銃弾は、国際法違反の鉛弾だった(鉛は鉛毒で人体を腐らせる)。敗戦の窮状の中、多くの日本人が中国の方々に子どもを委ねることとなったという。
「もう8年もすれば、10歳の子が選挙権を得るわけです。その時に今を生きている我々が、間違った選択をしている時代を渡すのか、只々、傍観して見守るのか、それに掛かっていると思います」
俳優である以上、極右も極左もお客さん。(宝田氏との)意見の違いで「排除された」という思いをお客にさせるわけにはいかない——。そう考えてきた宝田氏だが、しかしそうであっても自分の生きざまと戦争の現実を伝えたいという思いから、最近になり、少しずつ政治的な発言をし始めたのだという。
「もう、安倍さん、白い旗をお上げなさい、白い旗を掲げることは不名誉なことではありませんよ。掲げて下さい。そうしたら歴代首相の中で最高に素晴らしい首相としてあなたは100年、200年、1000年と名前が残るでしょう。名誉ある撤退があるはずです」
安倍総理へ「撤退」を呼びかけた宝田氏は、最後に自ら作詞した反戦歌を披露し。講演を締めくくった。
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