米国海兵隊の英雄スメドリー・バトラー将軍の「告発」 ~「戦争はいかがわしい商売だ」後編(吉田健正著『戦争はペテンだ バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定』より) 2015.2.16

記事公開日:2015.2.16 テキスト
このエントリーをはてなブックマークに追加

記事目次

ツケを払うのは誰だ

 あの20パーセント、100パーセント、300パーセント、1千500パーセント、1千800パーセントというどでかい収益は、誰が負担するのだろうか。われわれみんなだ。そう、税金で。われわれが100ドル〔約40万円〕で自由公債〔米国政府が第一次大戦中に発行した証券〕を買い、銀行に84ドルあるいは86ドルで売り返したときに、われわれは銀行にそれだけ稼がせた。

 つまり、銀行は100ドルとプラス・アルファをいただいた、というわけだ。簡単な操作だ。銀行は証券市場をコントロールしているから、これらの公債の市価を下げるのはわけない。われわれ、つまり一般大衆は市価低下にびっくりして84ドルか86ドルで手放す。それを銀行が買う。それからこれらの同じ銀行が市価上昇を剌激し、公債は額面価格またはそれ以上に上がる。そして銀行は収益をあげる。

 しかし、最大のツケを払うのは兵隊だ。

 ウソだと思ったら、海外の戦場の米国人墓地を訪れてみたらよい。あるいは国内の在郷軍人病院へ行ってみたらよい。この原稿を書いている最中に、私は国中を回り、18の在郷軍人病院を訪問した。これらの病院にずたずたになった人間がおよそ5万人も収容されている。18年前に国から選ばれた男たちだ。ミルウォーキー〔米ウィスコンシン州の南東にある都市〕にある、生ける屍となった人が3千800人も収容されている政府病院のきわめて優秀な外科医が私に言うには、在郷軍人の死亡率は国内に留まった人々の3倍も高いそうだ。

 正常な視点をもった青年たちが農場や企業や工場や教室から連れ去られ、軍隊に放り込まれた。彼らは改造され、作り直され、「回れ右」をさせられ、殺人を当然と教え込まれる。彼らは互いに肩の組みあいをさせられ、群集心理によって完全に改変される。われわれは、2、3年彼らを使用し、殺すこと、殺されることを何とも思わないよう訓練した。

 そして、突然、われわれは彼らを除隊させ、もう一度「転換」するよう申し渡す。今度は群集心理や、上官の助言や、全国的なプロパガンダなしに、自分で対処しなければならない。われわれはもはや彼らを必要としない。そこで、「三分間スピーチ」と言われた「自由公債(宣伝)スピーチ」もパレードもなしに、彼らを放り出す。これらの好青年たちのうち、多く──あまりに多くが自分自身による「回れ右」に失敗して、最後には精神的に病んでしまう。

 インディアナ州マリオンの政府病院では、1千800人の青年たちが独房のような部屋に入れられていた。そのうち500人は、周囲とポーチのところに鉄条網をめぐらした、鉄格子つきの兵舎に。すでに精神が破壊された彼らは、もはや人間のようにさえ見えない。彼らの顔の何とひどいこと! 体はしっかりしているが、心はいかれているのだ。

 こういうケースは何万、何十万といる。そして、今も増加の一途をたどっている。戦争のものすごい興奮、その興奮からの突然の断絶。若い青年たちには、耐えられない衝撃だ。

 以上はツケの一部に過ぎない。命で戦益のツケを払った兵隊もいれば、肉体的に、精神的に傷つき、今なお戦益のツケを払い続けている人もいる。

 ほかの兵士たちは、居間の炉辺そして家族から切り離されて、すでに誰かの収益になった米国軍隊の制服を身につけたとき、胸の張り裂ける思いがした。ほかの人々が町や村で彼らの仕事や場所を占めている間、彼らは訓練キャンプで厳しい訓練を受け、しごかれ、それぞれのツケを払った。恐ろしさに子守唄を求めて死にゆく者たちのうめき声と叫び声を聞きながら、誰かを撃ち、自分自身が撃たれ、何日も腹を空かし、泥と冷気と雨のなかで眠る塹壕のなかで、彼らはツケを払ったのだ。

 ただ忘れてはならない。兵士はお金でもツケを払ったのだ。

 米西戦争*まで、米国には報償制度があり、兵士や水兵たちはお金のために戦った。南北戦争では、彼らは多くの場合兵役に入るまえにボーナスを支給された。政府や州は、兵役ごとに1千200ドル〔当時のドル=円換算比率は不明だが、現在の日本円で年俸およそ300〜400万円と考えてよいだろう〕も払った。米西戦争では、報償金が支払われた。船舶を捕獲すると、兵士も分け前にあずかった。少なくともあずかることになっていた。

*キューバとフィリピンをめぐって米国とスペインが争った戦争(1898年)。戦争の結果、スペインはキューバの支配権を失い、グアムとプエルトリコを米国に割譲し、フィリピンに対する主権を2千万ドルで米国に譲った。これを機に、米国は国際的な権益をもつ世界国家として登場した。

 その後、われわれはすべての報奨金を取り上げ、代わりに徴兵制を敷くことによって、戦費を引き下げることができると知った。兵士たちは自分たちの労働について交渉することはできなかった。ほかのみんなはできたのに、兵士たちには許されなかった。

 ナポレオンはかつて言った。「すべての人は勲章にとりつかれている。彼らは、のどから手が出るほど勲章を欲しがっている」と。

 若者たちは勲章を欲しがっていた。だから政府は、ナポレオンの教えに従って勲章制度を作った。若者たちを安く使えるようにするためだ。南北戦争まで、勲章なるものは存在しなかった。その後、連邦議会栄誉章が授与された。これにより、召兵が容易になった。南北戦争後は、米西戦争まで新たな勲章が発行されることはなかった。

 大戦では、われわれは若者たちが徴兵に応じるよう、プロパガンダを使った。入隊しないのは恥だ、と思わせたのである。

 戦争プロパガンダは醜悪で、利用できるのは神様さえ利用した。ごく少数の例外を除いて、聖職者たちも「殺せ、殺せ。殺せ」という合唱に参加した。ドイツ人を殺せ。神はわれわれの味方だ。ドイツ人が殺されるのは神の意志だ、と。

 ドイツでも、よき牧師は、神を喜ばせるために敵を殺せ、と人々に説いた。これは、人々の戦意と殺意を高めるための、一般的なプロパガンダだった。

 死ぬために戦場に送られる若者たちのために、すばらしい理想が描かれた。「すべての戦争を終わらせるための戦争」とか、「世界を民主主義にとって安全にするための戦争」とか。彼らが戦場にでかけ、彼らが死ぬことが、莫大な戦益になるのに、それは誰も彼らに言わなかった。

 彼らは、国内にいる自分たちの兄弟が作った銃弾で倒れるかもしれないのに、それは誰も彼らに告げなかった。彼らの乗った船は、米国の特許を得て建造された潜水艦によって撃沈されるかもしれないのに、誰もそれを言わなかった。彼らが言われたのは、「すばらしい冒険」になるということだけだった。

 愛国主義を兵士たちの頭にたたきこんだあと、彼らに戦争のツケの一部も払わせることが決定された。その代償として、政府は彼らに月額30ドル〔現在の日本円で約12万円〕の大金を支払った。

 この大金と引き換えに、彼らは愛する人たちと別れ、仕事をなげうち、沼のように湿った塹壕に横たわり、缶入りのコーンビーフを食べ(手に入ればの話だが)、殺しに殺しまくり、そして殺されるのだ。

 だが、ちょっと待てよ。

 兵士がもらうのは、造船工場のリベット工や弾薬工場の労働者が安全な国内で稼ぐ日当よりちょっと大目の給与だが、その半分は彼の扶養家族のために即刻差し引かれる。家族が、村や町の負担にならないために。加えて、先進的な州で雇用主が払う事故保険金のようなものを、兵士にも払わせる。月額六ドルだ。1カ月に9ドル弱〔約3万5千円〕が彼に残ったことになる。

 そして最大の侮辱。自由公債を買わざるを得ないので、弾薬も服も食料も、ほとんど自腹で払ったも同然、ということになる。大半の兵士は、給料日でも一銭もない。

 政府は、彼らに自由公債を100ドルで買わせた。そして、戦争から戻ったものの、仕事が見つからないという彼らから、84ドルや86ドルで買い戻した。兵士たちは、こうした公債を20億ドル分も買ったのだ。

 このように、兵士はツケの大半を払う。彼の家族もツケを分担する。彼と同じような傷心でもって。彼が傷つくことは、すなわち彼の家族が傷つくことだ。彼が塹壕に横たわり、銃弾の破片が彼の周りを飛び交う夜、彼の父、母、妻、兄弟、姉妹、息子たち、娘たちはベッドで横になり、寝つかれぬままにひたすら寝返りをうつ。

 彼が、眼や足を失い、あるいは心に傷を負って帰宅すると、家族も同じように、あるいは彼以上に苦しむ。そうだ、弾薬メーカーや銀行や造船会社や製造業者や投機家たちが稼いだ儲けに、家族も貢献したからだ。自由公債を買い、休戦のあと、手品のごとく操作された自由公債価格による銀行の収益に、家族も貢献したからだ。

 負傷兵や精神的に異常を来たした男たちの家族、そしてどうしても再調整できなかった人たちの家族は、今も苦しみ続け、ツケを払い続けているのだ。

いかがわしい商売をつぶす方法

 そうだ、戦争はいかがわしい商売だ。

 わずかの人が儲け、多くがツケを払う。

 しかし、それを止める方法はある。軍縮会議でそれを終わらせることはできない。ジュネーブの講和会議で根絶することも不可能だ。善意に満ちた、しかし非現実的なグループが決議によって戦争を撤廃することもできない。

 戦争を効果的につぶすには、戦争から儲けをなくせばよい。

 このいかがわしい商売をつぶす唯一の方法は、若者たちが徴兵されるまえに、資本家、事業家、労働組合指導者を徴兵することだ。政府は、わが国の若者たちを徴兵する1カ月まえに、資本家、事業家、労組指導者を徴兵しなければならない。銀行、投機家、武器メーカー、造船会社、航空機メーカー、戦時に収益をもたらす、その他もろもろのものを製造する企業の役員たち、部長たち、強力な経営幹部たちを徴兵せよ。そして、塹壕で若者たちが得ているのと同じ月30ドルを支払ったらよい。

 これらの企業で働くすべての従業員、社長、経営幹部、部長、課長たち、すべての銀行家たちにも、同じ給料を払ったらよい。

 そうだ。あらゆる将軍、提督、将校、政治家、官僚たち──この国のすべての人は、塹壕にいる兵士に支払われる月給以上の給料をもらってはならない。

 王様も大君も事業主もすべての労働者もすべての上院議員や知事や市長も、30ドルの月給の半分を家族に渡し、戦争危険保険に加入し、自由公債を買うようにさせたらよい。

 当然ではないか。

 彼らは、殺されたり、体を切り裂かれたり、心をずたずたにされたりする危険をまったく負っていない。泥だらけの塹壕に寝ているわけでもない。腹を空かすこともない。兵士とは違うのだ。

 資本家、事業家、労組指導者に、考える時間を30日間与えよう。そうすれば、戦争はなくなる。戦争のペテンとはおさらばだ。

 私はもしかしたら楽観的過ぎるのかもしれない。資本家にはまだ影響力がある。だから、実際に苦難を背負い、ツケを払っている一般の人々が、選挙で選んだ代表者に不正利得者ではなく自分たちの意思に従わせるよう決意しない限り、資本家たちは利益の剥奪を許さないだろう。

 戦争といういかがわしい商売をつぶす戦いに必要なもう一つの方法は、宣戦を認めるかどうかについて、限られた住民投票を行うことだ。すべての有権者ではなく、徴兵の対象になる人々だけによる住民投票にすればよい。

 戦争になれば巨大な収益をもくろむ弾薬メーカーの76歳の社長や国際銀行の足を引きずって歩く頭取や軍服メーカーの斜視の工場長に、この国が参戦すべきかどうかについて投票させる意味はあまりない。彼らが銃を担がされ、塹壕で寝て、殺されることはあり得ないからだ。国家のために徴兵され、命を失うかもしれない人々だけに、参戦の賛否を決める特権がある。

 影響を受ける当事者だけに投票を制限するのは、数多く先例がある。米国の多くの州では、投票資格に制限を加えている。投票できるためには、たとえば読み書き能力がなければならない。州によっては、一定以上の財産がなければならない。大戦の徴兵でやったように、毎年、兵役年齢に達したらそれぞれの市町村で登録して、身体検査を受けるようにすれば簡単だ。

 身体検査にパスできる人、すなわち戦争になったら軍務につける人は、この限定的な住民投票で一票を投じる資格を得る。彼らこそが決定権をもつべきだ。連邦議員たちはほとんどがこのような年齢枠に入らないし、体も武器をもてるほどの状況にないから、議会が決定すべきではない。苦労する人だけが投票権をもつべきだ。

 いかがわしい商売をつぶす第三のステップは、米国の軍隊の目的を真に専守防衛とすることだ。

 連邦議会が開会されるたびに、海軍増強支出問題が浮上する。重役椅子に座るワシントンの提督たち(かなりの数だ)は、すばらしく腕利きのロビーイストである。頭もいい。彼らは、「この国やあの国に対する戦争のために多くの軍艦を必要としている」と叫びはしない。とんでもない。

 彼らは、まず、米国がどこかの海軍大国から脅威を受けていると言う。この「敵国」の大艦隊が、明日にでも明後日にでもわが国を急襲し、1億2千500万人を壊滅させるだろう、と言うのだ。いやはや。それから提督たちは海軍増強を訴え始める。何のために? 敵と戦うため? いやいや。国防だけのためだ。

 それから、思い出したように、太平洋における演習を発表する。国防のため、だとか。

 太平洋は巨大な海だ。太平洋に面するわが国の沿岸線はきわめて長い。演習は200〜300マイルの沖合で行うのだろうか。いや違う。2千マイル〔約3千200キロメートル〕、あるいは3千500マイル〔約5千600キロメートル〕沖合だという。

 自尊心の高い日本人は、当然ながら、米国の艦隊がその沖合に近づくのを、表現し難いほど喜ぶだろう。ちょうど、カリフォルニア住民が、朝霧のなか、ロサンゼルス沖で日本艦隊が戦争ゲームをするのを見て、大喜びするのと同じように。

 米国海軍の船舶は、沿岸から200マイル〔320キロメートル〕以内を航行するよう、具体的に法律で制限されている。この法律が1898年に存在していたら、メイン号*がハバナ港にでかけることも、そこで爆破されることもなかっただろう。スペインとの戦争が起こり、結果的に多くの命が失われることもなかっただろう。

 専門家によれば、自衛のためには200マイルあれば十分だ。わが国の船舶が沿岸線から200マイル以上行けなければ、わが国が攻撃戦を始めることはない。飛行機は偵察のために沿岸から500マイル飛んでもよい。陸軍はわが国の領域から踏み出してはならない。

*1898年2月、船艦メイン号はハバナ港で爆発を起こした。原因は不明だったが、米国の議会内外で「メイン号を忘れるな」の合唱が起こり、米西戦争の引き金となった。

 要約すれば、戦争のペテンをつぶすにはこれらの措置をとる必要があるということだ。戦争から利得を除外しなければならない。

 戦争の是非については、銃をとることになる若者たちに決めてもらわなければならない。わが国の軍隊を、国土防衛のためだけに限定しなければならない。

戦争はまっぴらご免だ

(…会員ページにつづく)

アーカイブの全編は、下記会員ページより御覧になれます。

一般・サポート 新規会員登録

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です