福島県知事選挙へ無所属で立候補を表明している熊坂義裕氏(前岩手県宮古市長、医師)の政策発表会が2014年9月19日、郡山市労働福祉会館で行われ、熊坂氏が自らの政策を説明するとともに、福島県民からの質問に答えた。
市長、そして医師としてのさまざまな体験を活かし、福島県の未来のために尽力したいと訴える熊坂氏は、「原発事故に関する情報開示」「環境回復対策」「住民の生活再建支援」「風評被害対策と観光誘致」「防災機能の強化」など、福島の復興のための具体的なプランをひとつずつ説明していった。
この日は、「県民との語らい」という副題にあるように、会場の参加者との質疑応答にも時間を割いた。住民からは現状の生活、反原発への取り組み、放射線教育、緊急時の避難や小児甲状腺検査などについて、意見や要望が寄せられた。
また、この9月15日から通行規制が解除され、3年半ぶりに全線開通となった国道6号線については、福島第一原発に近い高線量の区間も通行可能になることから、健康面を憂慮する熊坂氏は「考えられない」とした。
福島県知事選挙は、他に前福島県副知事の内堀雅雄氏、前福島県双葉町長の井戸川克隆氏が立候補を表明しており、10月9日に告示、10月26日に投開票される。
宮古市長時代に学んだ「常に市民の立場で」
熊坂氏は福島県福島市生まれ。弘前大学医学部を卒業後、妻の出身地である岩手県宮古市で勤務医、開業医としてそれぞれ10年勤め、1997年には宮古市長選に立候補して当選した。
「45歳で当選したので、当時は全国で一番若い市長と呼ばれていた。2回の市町村合併なども経験し、12年間の行政時代で学んだことは、『市町村では、待ったなしで常に市民の立場で考えていくことが要求される』ということだ」と熊坂氏は話す。
さらに、当時の増田寛也岩手県知事とスクラムを組んだ際には、「県とは、どんな場合でも市町村の味方であり、国に対してはっきりものを言うべき。それが県政だと学んだ」という。
「マニフェストには簡単に実現できそうなものは書かず、取り組むべき課題を掲げ、12年かけてすべて達成したので、今の市長にバトンタッチした」と自信を覗かせた熊坂氏は、「そうしたら2011年、東日本大震災が起きた。今回の知事選に立候補した原点は、東日本大震災である」として、次のように続けた。
「震災当日は、宮古市内を流れる山口川の側にある自分の医院で診療をしていたが、あと5センチで自分の家も沈んでいた。医院の患者は130人が亡くなった。今も、その130人のカルテを診察室に置いたまま、診療をさせていただいている」。
医師として耳を傾けた、福島県民の切実な声
同年、熊坂氏は、岩手、宮城、福島を対象とするフリーダイヤルの電話相談室「よりそいホットライン」を開設し、現在も代表理事を務めている。「非常に多くのアクセスがあり、今でも70~80回コールしないと繋がらないような状態だ。被災3県の中でも、福島からの相談は非常に深刻で、解決策がない。全国では、自殺の相談は全体の1~2%であるが、福島では実に3人に1人が、自殺の相談となっている」と、厳しい状況を報告した。
そして、「原発事故に関するあらゆる情報の全面開示」と「環境回復対策の強化」ならびに「避難者及び帰還者の生活再建支援」も併せて挙げた。「避難する。帰還する。どちらであっても、個人の選択に寄り添う。住民票を二重に登録する制度があってもいい」と熊坂氏は提言する。
一方、「風評被害の一掃と観光誘客の拡大」については、2015年に予定されているJR東日本の福島デスティネーションキャンペーンを挙げて、「こういうものも、先頭切ってやっていきたい」と意欲を見せた。
熊坂氏は、2003年に津波防災都市を日本で初めて宣言した市長であることから、「津波防災地域における防災機能の強化と復興の推進」も約束した。「被災者賠償訴訟の積極的な支援」については、「これまでにも、弁護士やさまざまな団体が取り組んできたと思うが、ここに県としても加わり、被災者に寄り添っていきたい」と抱負を語った。
福島は「卒原発」へと舵を切ればいい
最後に、改めて基本政策を3つに絞って提示した。1つ目は「原発に依存しない経済社会づくり」。市長時代から、できないことは言わなかったという熊坂氏は、「原発については、今年(2014年)1月の経産省の試算で、廃炉まで含めると、もっともコストが高いことが明らかになっている。卒原発社会に向けて、舵を切ればいい。福島県は再生可能エネルギーでもやっていけることを全国に示し、モデル地域にしたい。逆に、これを福島県がやらなければ、どこがやる」と決意を示した。
2つ目は「少子・高齢社会への対応強化」。子どもは宝であり、子どもに寄り添った政策をすると強調した熊坂氏は、「そのために、子どもを産み育てる環境整備を行う。人材育成と理数科教育も強化する。そして、最先端医療体制の整備とともに、地域包括ケアシステムを確立する」と述べ、医師の視点から自信を覗かせた。
3つ目は「未来につながる産業・雇用創造」である。「仕事がなければここで暮らせない。再生可能エネルギー関連企業の誘致・育成とともに、農林水産業を再生する。私は2人の娘の名前に『梨』の字を使ったほどの梨好きだ。まず、果物王国である福島を復活させたい」。
その上で熊坂氏は、「卒原発型産業構造を構築し、魅力ある福島を創造していく。福島県がまずひとつになり、そして、日本がひとつにならなければ。かつて『福島の復興なくして、日本の再生なし』と言った人もいたが、本当にそう思っていたら、われわれは今、こんなに辛い状況ではないはずだ。大好きな福島を、皆さんと一緒に作りたい」と力強く宣言した。
「原発反対」に共鳴、勝手連が始動
質疑応答となり、参加者から「福島では、津波よりも原発事故の避難による死者の方が多い。事故から3年過ぎても、まだ仮設住宅で暮らす人もいる。『卒原発』でも『脱原発』でも何でもいいが、そうした取り組みをしている人たちとつながる気持ちはあるか?」という質問が出た。
熊坂氏は「東京では、すでに私の勝手連ができているという。東京都知事選で、細川護熙さんや宇都宮健児さんを応援されていた方々が中心だと聞いている。自分は、どの政党、どの団体からも支援は受けていないが、力強く『原発反対』と言える。それに共感して応援していただくのは、ありがたいと思っている」と答えた。
NPOで子どものケアをしているという女性は、次のように指摘した。「熊坂さんの政策を見ると、『避難させることを保障する』『健康被害を食い止める』など、すでに起こっていることへの対処を書いているが、それでは不十分。子どもたちが自分で健康管理をして、心のケアを含めて自分でマネージメントできることが大事だ。そのための放射線教育が必要だと思う。ぜひ、県として取り組んでいただきたい」。
これに対し、熊坂氏は「私も同意見だ。宝は子どもの未来。お話いただいたことは、十分に考えていく」と答えた。
国道6号線の規制解除は「考えられないこと」
それ以外のさまざまな質問に対しても、「スピーディのデータについては、非常に疑問を持っている。大事なデータの伝達が、途中で止まるなどというのは組織の欠陥。自分が県知事になったら、そんなことはありえない」と断言。小児甲状腺がんの調査については、「たとえば、九州などの(放射能汚染のない)地域でも同様の調査をすれば、疫学的に(因果関係が)証明できるが、データがないので断定的なことは言えない」とした。
また、3年半ぶりに全線開通した国道6号線については、まだ高線量の場所が残っていることから、「考えられないことである。車の走行中は窓を閉めてエアコンを切るなどの被曝対策をしたとしても、一番近いところは原発から2キロ。これから、どのような議論が起きるのだろうか。復興と健康の兼ね合いについて、説明していくのは大変なことだ」と懸念を表明し、現在の県の対応とは異なる考えを示した。