【岩上安身のツイ録】チョムスキー氏の講演を終えて/犠牲を強いられたユダヤ人の歴史と今後のウクライナ政変の展開 2014.3.7

記事公開日:2014.3.7 テキスト
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(岩上安身)

※2014年3月6日の岩上安身の連投ツイートを加筆し、再掲します

 チョムスキー氏の講演。アダム・スミスの著作について解題始める。スミスは、今日、自分のものは自分のもの、人には渡さない、という邪な格率を標榜する支配的な人間たちのアイコンになってしまっている。しかし、スミスは、そうは考えていなかった。

 スミスは、いわば新自由主義に反論していた。今、理解されているのとは、まったく違う。利己的競争がベースになるビジョンと、人への共感、他者への幸福を気にかける互助の精神、ビジョンがある。スミスは今日、新自由主義者によって理解されているのとは違って、他者への共感を唱えていた。

 このような読まれ方は、スミスだけでなく、進化論を唱えたダーウィンにも当てはまる。こういうことは、延々続いている。資本主義によって古典的なリベラリズムは押しやられてしまった。ネオリベラルの邪な格率が跋扈している。「他に代替はない」とサッチャーが言った。

 米国には仕事がない。仕事は隠されており、米国の失業統計は当てにならない。金は世界を崩壊させた張本人である銀行に集められている。富の過度の偏在が起きており、富の集中は政治力になり、自分に有利な法律ができる。米国は史上かつてない不平等な国になっており、米国で増えた富の95%は、人口の1%が占めている。これは意図的な政策がもたらしたもの。この一世代ですべてが変わってしまった。金融機関がこの間、肥大化し、複雑なオペレーションを行い、規制がなくなって、レーガン時代以降、金融危機が頻発するようになった。

 二日間に渡った上智大学でのチョムスキー氏の講演、初日は専門の言語学。二日目は格差を拡大し続け、「労働貧民」を生み出し続けるグローバルな新自由主義批判。

 新自由主義者の元祖に祭り上げられているアダム・スミスが、利己的動機に基づいて、自己利益を拡大することのみをよしとしていたのか、スミスのテキスト、とりわけ主著の一つ「道徳感情論」を参照しながら、読み替えてみせた。スミスは、実際、社会を支えているのは相互の「共感」であると説いた。

 チョムスキー氏の講演は、内容がびっしり詰まっていて、素晴らしいものではあったのだが、その後、時間がたっぷり取られた質疑応答には、少し複雑な思いも抱いた。質問者の誰もが流暢な英語を用いる。ポライトでインテリジェンスもあるが、その多くが具体性を欠き、質問ではなくアドバイスを求めていた。

 多くの人が、つまるところ、「私たちはどうしたらいいんでしょう?」と尋ねるのだ。チョムスキー氏は、穏やかに、だが明らかに苛立ちをにじませ、自分で考えよ、情報は有り余っている、あとは本人の意思の問題だと繰り返した。

 誰かが、「富の追求ではなく精神文明が必要だと思うが、どう思うか?」と漫然と尋ね、チョムスキー氏は、「彼は何を言っているのか?」と聞き返していた。もったいないことを、とはがゆく思わざるを得なかった。チョムスキー氏の著作を読めば、彼が極めて具体的に考える人であることはわかるはずだ。

 具体的な政治的事件、具体的な報道、具体的な事実。彼は常に具体的で客観的な事実に基づいて考え、分析し、発言している。彼に「質問」するならば、質問者は具体的な事実に基づく質問をした方が実りのある質疑、問答になっただろう。ちょっと残念である。

 英語の達者な日本人に混じって外国人も質問していたが、彼らの質問は比較的具体的なものだった。この彼我の差は何だろう、と考えた。具体的な事件や報道に触れることを回避するような姿勢は、日本人が日頃から生々しい政治的事件への言及を避けて抽象的思考へ逃げ込んでいるためだろうか。

 チョムスキー氏は、一貫して、搾取されている現代の労働貧民について、賃金とともに政治力も失っている階級について、それらが連帯して、自身の権利を取り返すための具体的な行動に出ることを語っていた。主体性を具体的に取り返すために。人にアドバイスを求めていたら主体性は取り返せない。

 天安門事件を引き合いに出して、命まで賭けて抗議するのは恐ろしい、命がけではない抗議のあり方はないか、というアドバイスを求める声もあった。チョムスキー氏は、あなた方は天安門事件が起こるような国に住んでいるわけではないだろうと素っ気ないものだった。

 具体性、と書いたが、それは時事性でもあるし、歴史性でもある。地理的な歴史性、と言った方がいいかもしれない。私も挙手していたが残念ながら当たらなかった。当たっていたら、ウクライナの政変について、彼がどう分析しているか尋ねたいと思っていた。

 彼はユダヤ系知識人であり、米国人である。でありながら、呵責なくイスラエルのタカ派を批判し、米国の外交安全保障政策を批判し続けている。一方で、先述の通り、人々に行動を求め、ピープルズパワーを肯定する傾向もある。

 であれば、キエフの独立広場に集まった人々の、腐敗した政権への怒りの声が、気がついたら米国の地政学的な戦略に利用されてしまっているこの複雑な事態を、どう評価するだろうか。どちらかを善、どちらかを悪と、単純に定め難いこの大事件をどう切りさばいてみせるか、聞いてみたかった。

 ウクライナ西部にはガリツィア地方がある。ここは東欧ユダヤ人、アシュケナージの多くが住んでいた。その西部のポーランド、隣国のベラルーシが、アシュケナージの主な居住地で、ポーランドが世界史の中でも特筆される悲劇的事件、ポーランド分割によって分割されてしまうと、18世紀、三度にわたるポーランド分割によってアシュケナージの居住地もロシア帝国に編入されてしまい、忌まわしいポグロム(ユダヤ人虐殺)の対象となった。ウクライナとロシア帝国の名前は、残念なことに、このポグロムの記憶とともに世界史に刻まれている。

 そして、20世紀においては、東欧ユダヤ人は、ナチスによる民族絶滅政策、ホロコーストの犠牲となった。ベルリンとモスクワを結ぶ東欧の空間において、時にポーランド人もウクライナ人も受難を受けたが、わけてもユダヤ人は途方もない犠牲を払わされたのである。

 ノーム・チョムスキー氏の父であるウィリアム・チョムスキーは、この、ロシア帝政下のウクライナで生まれ育ったアシュケナージである。ウクライナで起きている事態について、彼が無関心でいるはずはない。

 キエフの独立広場で、民主主義の名の下に政権打倒を叫んだ群衆の一部に、反ユダヤ主義のネオナチが混じっていたことを、チョムスキー氏ほどの卓越したメディアリテラシーを持つ人物が知らなかったはずはあるまい。

 ウクライナ新政権が公用語としてロシア語を禁じる措置をとったことについても、どう考えるかも聞きたいところだった。行動する知識人の代表であり、現代の言語学の世界的権威でもあるのだから。

 彼が日本人相手の講演ということで、遠慮したかもしれないこのテーマを、日本人の聴衆の方こそ引き出す知的責任があったのではないか、と思う。

 チョムスキー氏は、85歳。残り時間には限りがある。彼と共有できる時間を惜しむからこそ、真剣な対話に時を費やすべきだった。彼がどこで講演しようと、その言葉は世界を駆け巡る。他の国にいる聴衆のためにも、聞くべきことだった。連帯とは、本来、そういう意味ではなかっただろうか?

 チョムスキー氏は、海の彼方から母国米国政府の政策に反旗を翻して、沖縄の辺野古への米軍基地建設反対を表明している。これこそ「連帯」の表明であろう。

 東京の人間による沖縄への「連帯」意識はどうだったろう? 顧みる必要があるはずだ。沖縄の米軍基地の問題や日米同盟の問題を正面から取り上げる質問も少なかった。が、関連の質問に答える形で、チョムスキー氏は「この問題は東京の問題だ」と言い切った。

 最後に主催者からこのニ日間にわたる講演は、ラッセルやデューイの歴史的な講演と並び、「2014年の上智におけるチョムスキー講演」として後世に残るだろうという挨拶があった。

 その通りだ。チョムスキー氏は偉大な知識人であり、この講演も歴史に特筆すべきであろう。できれば2014年3月の日本人が政治的危機意識をいかに欠いていたか、という社会学的研究を、この後に追加してあわせて歴史に残していただきたい、と思う。これもまた、歴史に特記すべき事態である。

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