過去の罪を素直に認める者に対し、「自虐史観」とトンチンカンな非難を繰り出す愚か者がいる。開き直りのあとに抗議を受けては謝罪を繰り返すという「自爆」を性懲りもなく繰り返す者こそ「自爆史観」の持ち主と呼ばれるべきである。
どんな人間であれ、どんな国であれ、自らが振るった暴力の忌まわしい過去を喜々として思い出し、自ら吹聴して回りたいものなどいるわけがない。それは人の情である。
しかし、忘れてしまいたい恥ずかしい過去を本当に忘れてしまうのは、「痴呆」である。
書きかえ、修正して、矮小化しようとするのは、「姑息」な「卑劣漢」である。
恥を恥とも思わなくなったら、ただの「恥知らず」である。
いっそ「史実」を「なかったことにしてしまえ」と否定するのは、真実に対する新たな「罪」の「上塗り」である。
幼稚な「自爆史観」の持ち主は、「他にもひどい侵略をしていた国はいたじゃないか」と口を尖らせて言い張る。。しかし、他者の罪は他者の罪だ。我々の罪の免責には役立たない。
もちろん、我々に罪があるからといって、我々が他者の侵略を受け入れる理由にはならない。我々には、どんな「帝国」であれ、不当利益を得る厚かましい「帝国主義」に対してこれからも遠慮なく非難する権利がある。
また、これから先、我々が過去の罪ゆえに侵略されたり、蹂躙されたり、植民地にされても仕方がない、などという理屈には、一切与する必要がない。
我々はいつまでも米国の「属国」に甘んじるつもりはないし、まして中国に併合されるのを黙って受け入れるなどといういわれは微塵もない。
我々には他者の侵略をはねのける権利がある。また、そうであるからこそ、これの過去の侵略の史実を潔く認め、謝罪し、過去は過去として罪を精算した上で現在から未来にかけての「発言権」を確保すべきなのだ。
にもかかわらず、「自爆史観」論者は後を絶たない
日本では今、唾棄すべき歴史修正主義の病理が流行風邪のように猛威をふるっている。安倍総理の「お友達」や「取り巻き」らが、歴史認識についての問題発言を連発させているのは周知のとおりだ。それらの妄言は、いずれも公人によるものである。
1月25日、新しくNHKの会長に就任した籾井(もみい)勝人氏(日本ユニシス前社長)は、就任会見で、旧日本軍の従軍慰安婦について、「戦争をしているどこの国にもあった」と発言した。重ねて、「なぜオランダにまだ飾り窓(売春街)があるんですか」などとも述べ、売春婦はどこにでも存在する例としてオランダを持ち出しながら、あたかも旧日本軍による従軍慰安婦の制度に何の問題もなかったかのように発言した。
※NHK籾井新会長「従軍慰安婦、どこの国にもあった」
(朝日新聞、1月26日【URL】http://bit.ly/M8Ezug)
この発言が問題視された籾井氏は、国会に参考人として招致され、野党から追及を受けたものの、辞任要求はかわし続けている。3月19日の参議院予算委員会では、民主党の徳永エリ議員から出された辞任要求に対し、「NHK会長の重みをしっかり受け止め、放送法に基づいて公共放送の使命を果たしていくことで、会長の責任をまっとうする」などとこれを拒否。安倍総理は籾井氏を、「会長は経営委員会によって適切に選任されている」と擁護した。
※NHK会長「会長の責任を全うする」辞任改めて否定
(テレビ朝日、3月19日【URL】http://bit.ly/OXeqiL)
同じくNHKの経営委員である作家の百田尚樹氏は、東京都知事選の応援演説で、「1938年に蔣介石が日本が南京大虐殺をしたとやたら宣伝したが、世界の国は無視した。なぜか。そんなことはなかったからだ」と、あろうことか、南京虐殺の「史実」そのものを全否定した。「極東軍事裁判で亡霊のごとく南京大虐殺が出て来たのは、アメリカ軍が自分たちの罪を相殺するためだ」などと、白昼、銀座のど真ん中で「自爆」演説を繰り返した。
▲街頭演説する百田尚樹氏
百田氏のこの「南京大虐殺・否定論」には、同盟国であるはずの米国が激しく反発。2月8日、在日米国大使館は、米政府公式の統一見解として、百田氏の発言を「非常識だ」と強く批判した。さらに、NHKがキャロライン・ケネディ駐日大使の取材を米国大使館に申し込んだところ、百田氏の発言を理由に、大使館側から難色を示されていたことが判明した。
※百田氏発言「非常識」=米大使館
(時事通信、2月8日【URL】http://bit.ly/1c8I9ht)
※百田氏発言、報道に波及 NHKの取材 米大使館難色
(共同通信、2月15日【URL】http://bit.ly/1dSfucO)
米国大使館が、米国政府の統一見解として声明を発表している以上、これは紛れもなく外交問題である。米国がこのように外交問題化したのは、籾井氏も百田氏も、NHKの会長あるいは経営委員という、まぎれもない公人の立場にある人間だからだ。
「自分には言論の自由がある」と百田氏は開き直ったが、公人には公人としての節度や責任がある。言論一本で飯を食っているという矜持がカケラほどでも残っているなら、NHKの経営委員というポストに未練がましくしがみついていないで、すっぱりと辞職して、一人の物書きとして「言論の自由」を謳歌したらどうなのか。
また、百田氏と同じく安倍総理の「お友だち」として、NHKの経営委員の座に座った長谷川三千子・埼玉大学名誉教授が、新右翼の活動家で、朝日新聞東京本社で拳銃自殺した野村秋介氏について、「神にその死をささげた」などと称賛する追悼文を寄稿していたことが、2月5日に報じられた。
※長谷川三千子氏、政治団体代表の拳銃自殺を称賛
(朝日新聞、2月5日【URL】http://bit.ly/1eAIQwg)
菅義偉官房長官が、「日本を代表する哲学者」などと称賛する長谷川氏の近著『神やぶれたまはず 昭和二十年八月十五日正午』(中央公論新社、2013年7月)の結語には、次のような一文が記されている。
「歴史上の事実として、本土決戦は行はれず、天皇は処刑されなかつた。しかし、昭和二十年八月のあの一瞬ーほんの一瞬ー日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコーストのたきぎの上に横たはつていたのである」
これは長谷川氏が、1945年8月15日、昭和天皇による玉音放送が流れたその瞬間を描写したものである。ホロコーストとはナチスによるユダヤ人の大虐殺を指す言葉だ。「日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコーストのたきぎの上に横たはつていた」というのは、天皇と日本国民とが、連合軍によって大虐殺される瀬戸際にあった、としか読みとりようがない。
だがこれは、事実とはかけ離れた「言いがかり」である。日本はポツダム宣言を8月14日に受諾し、15日に天皇によるラジオ放送(玉音放送)によって国民にその事実を伝えた。では、日本が受諾したそのポツダム宣言には実際には何が書かれていたか。「日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではない」「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める」といった文言である。どこをどう読めば、「日本国民全員の命と天皇陛下の命」が、「ホロコーストのたきぎの上に」くべられようとしていたことになるのか。歪曲もはなはだしい。英語が堪能である長谷川氏は、自ら英文にして出版すればどうか。中央公論社は伝統ある出版社だったが、読売に買収されて、とうとうここまで堕したのだから、英文の出版まで面倒みたらよかろう。
この本の内容が英文に翻訳され、海外で読まれれば、激烈な反発が寄せられることであろう。長谷川氏も、NHKの経営委員という、紛れもない公人である。その言動の責任は問われなければならない。
このような、事実を平然と歪曲する、きわめて質の低い極右的な言論が横行するのは、世代が交代し、戦争の現実を体験者から語り伝えられることがなく、近現代史についての知識が欠落した人の数が、かつてなく増えているからであろう。
2月9日に投開票が行われた東京都知事選では、元航空幕僚長の田母神俊雄氏が約61万票を獲得。田母神氏を支持したのは、主に20代を中心とした若者であると言われ、朝日新聞が都内180ヶ所の投票所で実施した出口調査によると、20代では、36%の舛添氏に次いで、田母神氏が24%で2位。30代でも、17%で3位と、若年層を中心に、広範な支持を得ていたことがはっきりと分かる。
田母神氏は、2008年10月に発表された『日本は侵略国家であったのか』
(【URL】http://bit.ly/1kUggeN)という論文で、「蒋介石はコミンテルンの手先だった」「大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決される ようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力 によるものである」「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」など、唯我独尊、夜郎自大の歴史観を披露し、航空幕僚長を更迭されている。公人として歴史修正主義的な見解を披露した、代表的な人物である。
▲田母神俊雄氏
籾井氏、百田氏、長谷川氏、田母神氏といった公人から、歴史修正主義的な発言が連発し、それに対して多くの若者が共感を寄せているという現状。そうした「右傾化」の波に乗った安倍政権は、「公的」なお墨付きを与えるような動きすら見せてきた。
2月28日、菅義偉官房長官は、「河野談話」について、検証を行う作業チームを作ると発言した。「河野談話」は、第二次世界大戦中の慰安所が、「当時の軍当局の要請により設営された」ものであり、慰安婦の移送について「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」のものであることを認め、「お詫びと反省」を表明したものであり、代々の政権によって継承されてきた。その「河野談話」の検証を行うということは、これまでの日本政府の姿勢の見直しや修正を画策しているということではないかと、国内外からの疑念と批判を呼び起こした。
※河野談話をめぐる安倍首相・菅官房長官の発言詳細
(朝日新聞、3月14日【URL】http://bit.ly/1qstjHQ)
安倍総理と菅官房長官はともに、河野談話の見直しについては、「政府の基本的立場は官房長官談話を継承するということだ」などと否定してみせた。しかし、見直しを行わず、歴代内閣の立場を継承するというならば、慰安婦問題そのものについての大がかりな実態調査を行わず、なぜわざわざ「河野談話」についてのみ検証を行うのか、その理由がわからない。ここには、検証チームの作業によって、慰安婦問題の実態の解明は回避しつつ、「河野談話」の信用性のみを貶めたいとの安倍政権の姑息な意志が透けて見える。
現在の日本社会において、南京大虐殺や従軍慰安婦など、過去の醜悪な歴史的事実を否認し、それを塗り替えようとする欲望が巻き起こっているのはなぜなのか。そのような歴史修正主義の考えは、どこから生まれ、どのような論法を用いているのか。何よりも、果たして事実はいかなるものであったのか。
証拠となる史料を膨大に積みあげて、南京大虐殺や従軍慰安婦の否定論の論破を試みている知識人がいる。哲学者・能川元一氏である。
能川氏は、膨大な一次資料をもとに、歴史修正主義者の発言をひとつひとつ論破し続けている。そのうえで、歴史修正主義者に特有の論法も巧みに分析している。中国、韓国との関係が「戦後最悪」とまで言われ、日本人の歴史認識が改めて問われている今、必読のインタビューである。
以下、能川氏へのインタビューの全文を掲載する。
私の父は、中国に行っていた戦争兵士です。
命からがら引き上げてきたそうで、貨車に隠れるように
して、もうだめだと、何度も覚悟して。帰国したそうです。
戦争に対して、どうしてこのように、美化するのかは、ひとえに、
日本の支配者のご先祖を守る為でしょう。
それに、若者がうまい具合に乗せられたように、
思います。
我が家でもこの話となった時、私は、いつになく怒り心頭と
なり、子供たちに「戦争はきれいごとではない、殺し合いなのよ
物資の補給は現地で調達せよと、言われてする戦争だから、
奪って当たり前の、戦争だよ。」と言ってしまいました。
息子は最近戦争のジャーナリストの方の講演を聞く
ことができ、誰かが「戦争ってなんですか?」との質問に
「殺し合いです」と答えていたと、話してくれました。
本当に、恐ろしいことに、動画でも多くの歪曲された
ビデオが流されていて、若者たちの心まで、曲げている
のが、残念です。
自分の国の過ちを正面から見つめてほしいです。
それが本当の侍ジャパンだと、思うからです。
最近のニュースで気になるのは、
韓国船の沈没です、大統領を下ろすためだと
いうことで、策略ではないかと、言う人もいます。
そして、オランダでの大統領の首相への態度に
腹をたてた、日本がかかわっているのか?
歴史修正主義のみなさんの考え方は外から見るに世界の流れから非常にずれているように思える。
私はシンガポールに15年ほど住んでいる。アジア系の友人、ヨーロッパ系の友人が多くいるが、実際、この15年の中で、ある人には「日本人に祖父を目の前で殺されたんだおまえ謝れ!」とアキューズされたことも、また日本軍が上陸してきた時のこと、若い女性が次々と連れ去られる中で、日本軍が村に来ていると聞くたびに、屋根裏に隠れて息を凝らしていた思い出を、とつとつと私に語ってくれたおばあさんもいた。ドイツ人の友人の祖父はヒトラーに反対したことで、財産をすべて没収され、不発弾処理につかされたと話してくれた。
私が思うのは、やはり戦争は絶対NOということ。代理で殺し合いをさせられるのは市民だということ。
歴史のおこった事実をそれとして正しく教え、学び、反省し、謝罪と保障を行い、みなで前に進むこと。歴史を修正しても、何かを抑圧しても、決してそれは終結しないし、抑圧されたものは必ずどこかで噴出す。
私にできることは、このようにIWJなどの質の良いメディアや書籍などで正しい情報を受け取り、学び、自分で考え、また戦争体験者の実際の話聞きながら、草の根国際交流を続けていくことだと思っている。
能川先生ありがとうございます。また岩上さま、IWJのスタッフのみなさま、いつも非常に良いコンテンツを提供して頂き、ありがとうございます!こういうメディアは、私にとり、非常に勉強になるとともに、実際沢山の人(声をあげられない人も含めて)の背中を押してくれる、またそういう私達がつながれるきっかけをつくってくれるものだと感謝してます。