2014年1月6日、京都市上京区の同志社大寒梅館ハーディーホールで、白井厚氏(慶応大名誉教授)の公開講演会が行われた。演題は「学徒出陣と大学」であった。
戦時中の大学と旧制専門学校などから、約10万人もの学生が、「お国のために死ぬのは当然」と戦場へと向かった「学徒出陣」から、昨年11月でちょうど70周年にあたる。慶応大学の学生時代に白井氏のゼミに学んでいる、主催者代表の浅野健一氏(同志社大教授)は、「学徒出陣70周年ということで、メディアも先生の仕事に注目している」と、太平洋戦争の研究者である恩師を紹介した。
この日の白井氏のスピーチは、「第二次世界大戦の『戦争責任』を、当時の大学にも追及すべき」との主張がベース。大半の日本の大学が、大学関係者の「戦没者名簿」を作っていない事実の裏には、大学側が「戦争責任」を問われることを嫌い、意図的にそうしている事情があるのではないか、と疑問を投げかける内容となった。
- 主催 同志社大学社会学部メディア学科 浅野健一ゼミ(告知)
講演に先立ち、挨拶した浅野氏は、特定秘密保護法の成立や、国家安全保障会議(日本版NSC)の設置などに触れ、「日本が米国と一緒に戦争ができる国へと変えられようとしている中で、70年前の日本で、どういうことが行われたかを検証することは、(今の大学のあり方を考える上でも)とても意義がある」と発言し、白井氏にマイクを譲った。
第二次世界大戦は、明らかに「悪い戦争」
登壇した白井氏は「今年は、第一次世界大戦から100年目に当たる年」と述べ、「(それ以前の戦争と較べて)戦車や潜水艦といった近代兵器が、大量に使われるようになったのが特徴だ」と説明した。そして、「これが、第二次世界大戦になると、被害規模がはるかに巨大になる」と強調した。
日本の被害について、「約230万人の軍人が戦死した。そのほかに約80万人の市民が死んでいる。東京大空襲や原子爆弾による被害が数10万人単位で発生したためだ」と語り、軍人以外にも「死」が広がったのが、第二次大戦の最大の特徴とした。
そして、「アジア全体では2000万〜3000万人が死んだとされている。これだけ大きい数値が出た理由は、日本の軍隊が、アジアの他国で戦いを繰り広げたことにある」とも言及。「これだけの死者が出た第二次大戦は、明らかに『悪い戦争』だ」と断じた。
さらにまた、日本にとって第二次大戦は「自他爆戦争」であった、とも言う。日本が、石油を米国やインドネシアから買わねばならないのに、米国に宣戦布告したことには、巷間聞かれる「自爆戦争」のネーミングが見事に当てはまる。が、日本は自国外で、一般人を大量に殺している。よって「自他爆」なのだ、という主張である。
市民に影響を与えた「大卒者」たち
白井氏は、第二次大戦前夜の日本では、「市民は、ジャーナリズムと教育の影響を強く受けた」とし、その当時、日本国内に50近くあった「大学」を話題にし、こう力を込めた。「当時の大学の『戦争責任』を問題にしないわけにはいかない」。
白井氏は、まず「人材輩出」の面で、当時の大学を批判した。「第二次大戦は、直接は軍部・内閣が始めたものだが、内閣とそれを支える役所に働く人間は、当時の高等教育を受けた者が非常に多かった。ジャーナリズムの世界でも、大きな仕事をする記者は、やはり大卒者が多かった」。
当時も「気骨ある学者」はひと握り
そして、「当時の大学は、思考を止めてしまっていた」と続けた白井氏は、「村山談話」に言及。これは1995年、当時の村山富市首相が、50回目の終戦記念日に発表したもので、公式にアジアへの植民地支配を認め、世界に対し「痛切な反省の意」と「心からのおわびの気持ち」を表明している。白井氏は「今、大半の日本人が村山談話を承認している。安倍首相も最近は、受け入れる方向に傾いている。つまり、戦後50年で、改めて当時の日本政府が犯した過ちが指摘されたのだ」と述べ、「それならばなぜ、当時の大学は、その『政府の誤り』を正せなかったのか」と喝破した。
「大学は、真理を探究する場である」と白井氏は力説する。当時のアカデミズムの世界では「言論弾圧」が激しかったと話し、京都大で、マルクス経済学を研究していた河上肇が「戦争反対」を叫んで大学を追われたことや、同大教授の滝川幸辰の著書が発禁処分にされ、滝川への休職処分が強行されたことに反対する同学部教官一同が、抗議辞職を行った京大事件(滝川事件)を紹介した。「当時の政府に対し、抵抗を示す大学の先生は、いるにはいたが、ごく少数だった。多数派は、学問の基本にある『批判精神』を失っていた」。
政府によって準備された「学徒動員」
「当時の学者たちは、『天皇は神様』という価値観に、自分たちの理論を合わせていった。その合わせ方が下手だと、逮捕されて牢屋に入れられる時代だった」とつけ足した白井氏は、当時の大学の「戦争責任」を問うような、第二次大戦の「総括」がなされていない現状に不満を示した。「当時の大学の先生の責任は、小学校や中学の先生のそれよりも重い。大学の先生が、政府のイデオロギーを助けた部分が大きいからだ」。
戦後70年間で、自己批判型の総括を行ったとされている大学は明治学院大だけ、と白井氏。確かに同大は、1995年6月にキャンパスの教会で、当時の中山弘正学院長が「当大の戦争責任と戦後責任」の告白を表明している。白井氏は「当時の大学の多くは、戦争に協力しない学生の弾圧にも乗り出しており、これは大学の、直接的な『戦争責任』と言える」と述べた。
「学徒出陣は、当時の政府によって静かに準備されていた」──。白井氏はこう続け、政府の側には、学徒出陣に反対する学生は「早く摘み取ってしまえ」との共通理解があった、と指摘した。
尹東柱詩碑と同志社大