下記の原稿は、水上貴央『ガチで立憲民主主義』(集英社インターナショナル)同書の96ページから103ページの内容です。
昨日7月7日のトークイベント「七夕クロストークカフェ~岩上安身×孫崎享×水上貴央×三宅洋平」の内容と大いに関連する内容ですので、特別にIWJのサイト上で公開することにいたしました。ぜひともお読みいただき、また、拡散していただければと思います。
本書では、民主主義も立憲主義も崩壊しかけた日本で、私たちは今後どうしていくべきかという議論も展開していますので、そちらも是非ご一読くださいませ。(弁護士 水上貴央)
1 三権分立は人権保護のために必要な仕組み
特定の国の機関に権力があまりに集中してしまうと、その権力が暴走して主権者である私たち国民の人権を制約してくる恐れがあります。そこで、近代憲法では、立法を担う国会、法律に基づいて行政活動を行う内閣、司法手続きを行う裁判所のそれぞれがお互いを監視しあう権力分立という仕組みを整えています。つまり、権力分立とは、権力の集中によって人権侵害が生じることを防止するための、相互監視の仕組みなのです。
今回のいわゆる安保法の成立過程では、内閣や国会の暴走が現実に生じました。政府は議論すればするほど違憲性が明確となる法律案を内閣法制局に圧力をかけてまで提案し、国会は、民主主義の適正な手続きを全く無視した「かまくら採決」によってこの法案を国民に押し付けました。これは、十分な相互抑制が働いていない状況では権力は暴走するということを示す貴重な事例であり、日本における三権分立が、現時点においても十分に機能していないことを意味しています。
本来の三権分立の趣旨に照らせば、国会に高度な自律権が認められているとしても、その国会が国民主権をないがしろにし、民主的な手続きを著しく無視した方法で法律を制定した場合などには、裁判所がその法律を無効としなければならないはずです。
2 緊急事態条項とは
一般に、国家緊急権とは、戦争・内乱・恐慌ないし大規模な自然災害など、平時の国家機構をもってしては対処できない緊急事態において、国家権力が、人権の保障や権力分立などを一時的に停止して非常措置をとる権限を言うとされます。三権分立が一応機能している現時点でさえ暴走しがちな権力を、政府に集中してしまうことを認めるのですから、この濫用や人権侵害の危険は非常に大きくなります。
政府与党が憲法改正の目玉として挙げている「緊急事態条項」は、一般に言われる緊急事態条項およびそれにより認められる国家緊急権よりも、さらに危険な内容となっており、すべての権力を政府に集中させようとするもので、およそ人権保護や三権分立という立憲主義の考え方を否定するものです。
政府は、自然災害等が起きた際に、それを口実に緊急事態を宣言し、さらにその期間を一方的に延長して、私たちの人権を制約し続け、立法権を含むすべての権力を独占し続ける恐れがあります。
3 あえて日本国憲法には盛り込まれず
緊急事態条項は、適切に限定をかけた内容であったとしてもなお、立憲民主主義の観点からは危険な制度です。そのため日本国憲法では、制定時に十分に議論を尽くしたうえで、あえて緊急事態条項の規定を入れませんでした。それは、この条項の危険性に加え、それが存在しなくても他のより穏当な手段で対応できると考えたからです。
旧憲法から日本国憲法への改正を議論していた1946年の帝国議会において、金森国務大臣は、①国民の権利を十分擁護するためには非常事態に政府の一存で行う措置は極力防止しなければならないこと、②非常時に乗じて政府の自由判断が可能な仕組みを残しておくとどれほど精緻な憲法でも破壊される可能性があること、③憲法上準備されている臨時国会や参議院の緊急集会(衆議院の解散中に緊急で開催する)による対応で十分であること、④特殊な事態に対しては平常時から法令等の制定によって対応を定めておくことが可能であること、という4つの理由から、明確に緊急事態条項を導入しないことを答弁しています。妥当で理屈にかなった判断がなされたといえるでしょう。
4 大災害を理由とした緊急事態条項の導入は全く筋違い
最近、政府与党内を含め、大規模な自然災害に対応するために緊急事態条項が必要であるなどと主張する立場がありますが、これは、全く筋の通らない暴論です。国家緊急権があるからと言って人々は救われませんし、日本では国家緊急権がなくても十分に対応可能な精緻な法制度が既に存在しているからです。
行政を担う政府の官僚や地方公務員は、日常から、法律を根拠にして行政活動を行っています。過去に類を見ない、法的整備も全くされていないような緊急事態が本当に起こった場合に、緊急事態条項により行政に全権を与えて人々の救出や復旧活動等をゆだねたとしても、彼らが有効な手立てを選択し続けられる保障は全くありません。むしろ、指揮命令系統は混乱し、対応は恣意的で不公正なものとなり、十分な災害対応が実施されない危険が極めて大きいと言えるでしょう。結局のところ、想定外のことをいかに起こさないかが重要であり、地震にせよ水害にせよ、大規模な火災にせよ、原発事故にせよ、平時から様々な事象を想定したうえで適切な対応方針を決めておくことこそが重要なのです。
また、本当に必要であれば、災害対策基本法という既に存在する法律に基づいて、相当大胆な緊急対応を行うことができます。内閣は、どうしても国会を開けない場合には、「緊急政令」を制定できます。これは、一時的に立法権を内閣に与えるものです。緊急政令として制定できる事項は、①生活必需品の配給等、②物やサービスの価格、③金銭債務の支払いの延期等、④外国からの救助の受け入れの4つに限定され、その場合、その後直ちに内閣は国会を召集し、国会の承認がなければ緊急政令は効力を失うことになります。
さらに、同法では、内閣総理大臣に行政上の権限を一時的に集中させ、効率的な行政執行を行うための仕組みも整備されています。
このように、既に整備されている災害対策基本法により、一時的な内閣による立法権の行使や迅速な行政権の行使を実現するために十分な手立てが整えられています。
5 自民党案はまともな緊急事態条項でさえない
このように、精緻な災害対策法制が既に存在する日本において、少なくとも自然災害を理由とする緊急事態条項の導入は不要ですし、それ以外に緊急事態条項を定めなければならない特段の事情もありません。さらに言えば、自由民主党が2013年に提案し現在検討されている憲法改正案に盛り込まれている緊急事態条項は、以下のように、十分な限定をかけることなく政府に全権を与えてしまう一種の全権委任制度であり、一部の国が極めて厳しい限定の下で認めている緊急事態条項とは、その内容自体が全く異なるものです。
①緊急事態の発動要件を法律で定められる(98条1項)
②緊急事態の期間に制限がない(98条3項)
③内閣が制定した法律と同様の効果を有する政令について、国会の承認を事後的に得られない場合に効力を失う旨の規定がない(99条1項2項)財政処分についても同様
④政令で規定できる対象に制限がない
これは大変恐ろしい規定です。まず、発動要件を法律で定められるとすると、国会における多数派の判断によって、その対象はいくらでも拡大できます。さらに宣言された緊急事態の期間が定められていないため、実際には緊急事態が終結しても、なお内閣がそれを終結させずに濫用する危険があります。そのうえ、政令によりあらゆる人権を広範に制約でき、後から国会がこれを不承認としても、その効果は失われません。
明治憲法下であっても、議会の承認がなければ緊急勅令は将来に向けて効果を失う旨の規定がありましたから、現在の憲法改正案は、明治憲法よりもさらに人権保障に対して後ろ向きの、国家による権力独占を正面から認めるような内容となっていると言えます。
6 憲法改正で国家緊急権が規定されれば立憲民主主義は崩壊
私たちが懸命に、立憲民主主義促進法の立法や、より適正な民主的プロセスを実現させるためのルールの設定を努力したとしても、憲法改正によって緊急事態条項が導入され、実際に何らかの理由で発動されてしまえば、国民の権利はすべて無制限に制約され、日本は全く立憲民主国家としての体を失ってしまいます。そうなると、この本で取り上げたような議論はすべて意味をなさなくなるのです。
私は、あらゆる内容の憲法改正が常に許されないとは必ずしも考えていませんが、少なくとも、現在議論されているような、緊急事態条項を導入するための憲法改正は、決して認めてはなりません。日本の立憲民主主義が根底から崩壊してしまうからです。
巨大災害から人々を守るためには緊急事態条項が必要だという説明は、不正確というレベルを超えた虚偽です。日本が現在整備している災害対策法制を活用することで、巨大地震を含む様々な事態に対して対応することが可能です。また、現時点の制度では不十分な点があるのであれば、さらに、想定の範囲を広げ、災害対策法制の高度化を図っていくことこそが重要なのです。
いざとなったら政府に全権を委ねるというような制度を許してしまえば、むしろ大規模災害の際の対応は無原則となり、その一方で、人権を制約する方向で悪用される危険が極めて大きくなるのです。
「ガチで立憲民主主義」 水上貴央 より
集英社インターナショナル刊
(表現を緊急事態条項に統一しています)