【岩上安身のツイ録】米朝戦争が再開すれば核の飛び交う第三次世界大戦に! 危機の根源には大日本帝国の植民地化・皇民化による朝鮮民族に対する徹底した文化的ジェノサイドが! 2017.11.12

記事公開日:2017.11.13 テキスト
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(岩上安身)

 (民進党解体のバックに米国の意向があったというツイートを受けて)その通りだ。そして、なぜそうなってしまっているかを、日本人自身がまともに頭を使い、歴史を省みて、自ら考えるべきだ。

▲日韓合併の「慶事」にあやかった口腔清涼剤の広告(1910年8月30日の朝日新聞より)

 北朝鮮が今日もまだ国家として存在しているのは、地政学的な均衡の産物あると同時に、米国の執拗な敵視、そしてそれに先んじて幻想としてであっても金日成に抗日パルチザンという正当性を与えてしまった日帝支配があったからだ。

▲北朝鮮・大成山革命烈士陵にある抗日パルチザン群像(wikimediaより)

 日本人はことごとくこの事実を都合よく忘却している。あるいは忘れる以前に全く知らない。朝鮮戦争は、米国にとっても「忘れられた戦争」と言われている。が、日本にとっては、全くの他人事。何が起きたのかも、その意味も原因も、ほとんど理解していない。しようともしていない。

 朝鮮戦争の時代を直接知っている世代は、もう老人ばかりである。その世代の子供の世代として50代も終わりの僕らの世代が聞いたことと言えば、朝鮮戦争は朝鮮特需をもたらした好都合な戦争であり、戦後復興に大いに役立った歓迎すべき事態だった、ということだけだった。

 「大日本帝国」は、明治維新というクーデターを成し遂げてわずか8年目で江華島事件という朝鮮半島侵略の第一歩を踏み出した。維新なる前から執拗に積み上げられてきた偏執的で計画的な犯行の最初のひと嚙みだ。以後、35年もかけて完全な植民地として朝鮮半島を丸ごと呑み込んだ。散々に朝鮮の人々の血を流した上で。

▲ジョルジュ・ビゴーによる1887年の風刺画 日本と中国(清)が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている

▲朝鮮総督府章

 日韓併合の1910年から「大日本帝国」崩壊の1945年までの間に、長い長い歴史を持ち、日本に稲と鉄と文字と仏教と建築技術と、その他ありとあらゆる文化や技術をもたらしてきたひとつの民族に対して、言語を取り上げ、日本語を押し付け、皇民化を強制し、つまりはまるごと文化的に根絶やしにしようという残忍な試みが組織的に実行に移された。

 これは途方もないスケールで起きた政治的な徹底支配であり、収奪であり、文化的なジェノサイドだ。義務教育で朝鮮語の教育を禁じ、日本語を強制的に教えこみ、さらに朝鮮語辞典を編纂していただけの学者たちを投獄までして弾圧した。ナチスなど、たかだか第一次大戦後に登場した1930年代から40年代前半までの成り上がりのファシズムに過ぎないとすら思われてくる。明治国家が対外的に犯してきた侵略と植民地化・皇民化の犯罪は、ナチスやイタリアのムッソリーニに比べ、その射程ははるかに長い。

▲朝鮮人による宮城遥拝

 朝鮮民族は、「大日本帝国」によって、そこまで民族のアイデンティティも政治的な自立の足腰もボロボロにされたところで、ある日突然放り出された。「大日本帝国」のクレージーとしか表現のしようもない夜郎自大な「大東亜」征服の野望は、連合国によって粉々に叩き潰され、大敗戦を喫した。同時に植民地においては、政治的な、そして現実的な統治上の空白がポッカリと訪れ、その空白を埋めるかのように、米ソの軍が緊張を孕んだまま荒々しく南北に進駐した。

 日本の帝国主義支配への激しい敵愾心を持っていた点では、南の李承晩だろうと北の金日成だろうと、共通している。

 彼らは、北と南とで別々の国を建国しようと考えていなかったことまで共通していた。彼らはどちらも、統一コリアとして帝国から独立し、主権国家を再建し、同時に自分自身がその統治者になるのがふさわしいと考えていた。そこまで共通していたのだ。

 しかし、ついこの前まで、大日本帝国の二級の皇民として洗脳も動員もされていた南北のほとんどのコリアンの大衆に、独自の自立した国家像の共有や準備などできているはずもない。

 「大日本帝国」の敗戦は、複雑なことに、民族の解放であると同時に皇民化されたコリアンにとっても、やはり敗戦でもあった。それは日帝の乱暴な統治の突然の撤収に続き、新たな異国の支配者の理不尽な登場という体験だったのだ。要するに日帝の無責任な棄民とさらに別種の分断支配が突如、同時にふりかかってきた、ということなのだ。

 終戦5年後の1950年、そんな混乱からほとんど間髪おかずにといっていい北朝鮮からの武力侵攻が始まった。終戦と日帝の植民地からの解放、駐留軍による東西分断統括という混乱の中、朝鮮全土は逃げ場のない地獄の戦場と化した。北朝鮮が軍事的に有利に立てた理由の1つは、日帝時代に日本がインフラ投資を北に重点的に行なっていたためでもある。工業力で当時は北は優っていた。今では信じがたいことだけど。

 スターリンと毛沢東という、現代史に特筆すべき途方もない軍事独裁者がバックにあり、金日成がその後押しを期待したことは疑いようもない。毛沢東もまた、内戦を戦っていた。毛沢東が内戦の勝利を宣言したのは1949年、第二次大戦後の4年後だった。彼が中華人民共和国の建国を宣言したばかりのその1年後、北朝鮮は南への侵攻に踏みきった。

▲スターリンと毛沢東

 何度も言うように、朝鮮戦争は途方もなく苛烈で、一般民衆の多大な犠牲を払った大戦争だった。当初、韓国軍も国連軍も押されに押されて南の釜山から、玄界灘まで落ちそうになるまで追い詰められた。その後必死の巻き返しを図った国連軍の中核をなす米軍は、北朝鮮軍を38度線を超えて押し返し、中朝国境、つまり日本が満州事変によって傀儡国家を樹立していた旧満州へも攻め込んだ。

▲映画「ラストエンペラー」のモデルとなった旧満洲国皇帝の愛新覚羅溥儀

 しかも、全軍を指揮していたマッカーサーも、大統領のトルーマンも、核兵器の投下を画策し、実行の準備も進められ、実際に北朝鮮の地に数十発もの核爆弾が投下される予定だった。さらに中国との間に人が全く立ち入れないほどの放射能汚染地帯を出現させ、中国の人民解放軍が一歩も入れないようにする狂気の計画も立てられた。万が一、実行に移されていたら、東アジアは、荒涼たる、無人の、汚染の大地と化していただろう。

▲朝鮮戦争への参戦文書に署名するトルーマン大統領

 歴史は同じスピードで進まない。ある時、のちの時代を決定的かつ長期的に支配するエポックが連続する。

 米国が核を開発し、しかも銃後の非戦闘員へ無差別殺戮のために投下したのは45年。米国が核を独占する状況が生まれた。

 しかしその独占は長くは続かなかった。ソ連はあっという間に核開発で追いついた。ソ連が独自に核実験を行い、核保有を宣言したのはわずか4年後の49年。共産中国が日本軍との戦い、さらに国民党軍との内戦に勝利した49年と同じ年であったことは興味深い。こうした核の冷戦の始まりを告げた年の、その1年後に、先述した通り、朝鮮戦争は勃発したのだった。この朝鮮戦争は、核超大国同士の核戦争へのエスカレートの可能性を秘めて始まった人類最初の戦争だったのだ。

 ナチスを陸上戦で完全粉砕した世界最強の陸軍を持つソ連と、戦略性と知性とに大きく欠けてはいるものの、自国の兵士の命も人権も軽んじることでは、ナチスも遠く及ばないほど世界一冷酷な「大日本帝国」という狂信的軍事国家を完全粉砕した米軍とが、ユーラシアで激突する第三次大戦の悪夢を、全世界が垣間見た。

 北朝鮮軍を支援するために前面に立っていたのは毛沢東の人民解放軍であり、最前線からソ連が一歩引いていたことは、この米ソという核超大国同士の直接戦争を少しだけ遠ざけた。だが、恐れはまだ十分にあった。

 新生したばかりの中国に対するマッカーサーの暴走攻勢が看過され、途中まで核投下に乗り気だったトルーマンが最後の最後でためらわなかったとしたら。

▲1951年4月11日深夜、異例の記者会見でマッカーサー解任を発表したトルーマン大統領

 そして、仮に毛沢東の決断が鈍く、人民解放軍の兵士の朝鮮戦争への投入をためらい、38度線まで押し戻すこともなかったら。

 そして1953年3月5日、あの時代、世界の命運を握るほどの実力をもったヨシフ・スターリンが急死しなかったら。

 同年53年6月23日の朝鮮戦争休戦協定は成立しなかったはずだ。

 もし、強硬なマッカーサーが更迭されず、徹底的な強権派だったスターリンが生きていたら。

 戦争の局面どころか、戦争の性格そのものが全く変質し、途方もない核の大戦へとエスカレートしていたかもしれない。

 今、書店では北朝鮮本は店頭に溢れかえっているが、スターリンについてもソ連についても理解も言及もない薄ら馬鹿本ばかりで呆れ果てる。

 この時、トルーマンは当初、核を用いることを考えてはいたが、毛沢東とだけでなく、スターリンとことを構えるのを、現実的ではない、大変な事態になるとようやく気づいたことだろう。

 しかし、将来は米大統領選に出馬しようとまでの政治的な野心を抱いていたマッカーサーは圧倒的な勝利を求めるあまり、激しく反発し、命令に従おうとはしなかった。

 北朝鮮軍はもとより、人民解放軍はてひどく疲弊していたものの、毛沢東の、米軍に対する「喧嘩上等」との意志には揺るぎもなく、米軍の60万人の兵力を上回る80万人の兵力を配置したことで、マッカーサーはキレた。中朝国境を超え、朝鮮内戦への干渉という枠を超えて、新生中国への国内への攻撃を事実上、開始し始めた。こうなるともはや侵略そのものである。

 さらには、マッカーサーは、内戦に敗れて台湾に逃げ込んだ中国国民党軍を、朝鮮半島へ投入することまで画策した。もうメチャクチャである。国民党軍は中共からすれば絶対に妥協できない政治的・軍事的な敵。これを朝鮮戦争の戦線に送り込んできたら、もう中共は、米国との全面的な戦争への決意を固めたことだろう。

 そこへスターリンが最強の陸軍機甲師団を率いて援軍に駆けつけ、しかも核兵器も準備した上で、マッカーサーが核兵器を使ったら即、核報復、という構えで臨んだら……。ああ、もう想像するのも、もうたくさんである。核兵器の飛び交う第三次世界大戦は、極東を発火点に欧州にも飛び火して全世界を覆ったことだろう。

 この時、スターリンが朝鮮戦争の前面から一歩退いていたのは、欧州が極めて不安定だったからだ。ベルリン封鎖は48年である。スターリングラードの地獄の攻防戦に43年2月に勝利してからは、ソ連赤軍はそれまで連戦連勝だったナチス軍に対して反撃を開始。ソ連赤軍の怒涛の進撃は続き、ソ連からみて西側、ドイツからみて東側のミッテルヨーロッパは、次々赤軍が「解放」していった。

 1948年6月、ソビエト連邦政府が西ベルリンに向かう全ての鉄道と道路を封鎖した事件であり、冷戦初期を象徴する出来事。

 ドイツを押し返し、広大な勢力圏を手に入れたソ連ではあるが、これらを大急ぎで共産化・サテライト国家化しなければならない。分割したドイツを挟んで同じ連合軍でもある米英との緊張も増すばかりである。ここを政治的にも軍事的にも一歩も譲るわけにはいかない。スターリンにとって、極東はやはり第2戦線だった。

 決して忘れてはならない。

 朝鮮戦争が複雑で悲惨なものになったのは、敗戦によって至る前までに、「大日本帝国」による1875年から1945年までの約70年に渡る侵略・植民地支配・皇民化という究極のハラスメントにより、統一民族国家の基盤がボロボロにされていたこと。そこに米ソ中共という戦勝したばかりの大国が御構いなしに戦場としたことである。

 米軍はこの3年間にとてつもない空爆を行った。米空軍と海軍の航空隊による空爆は125万回以上。その標的の8割が民間施設であり、爆弾の総重量は60万トン以上。第二次世界大戦で米軍が日本全土への空襲で用いたのは16万トン。そのなんと3.7倍である。

 戦線が南北に大きく動いたことにより、朝鮮半島は南北問わず、満遍なく戦場となった。地上戦も猖獗を極め、民間人の犠牲者は400万人にものぼった。北朝鮮側の死者250万人、韓国側は133万人といわれる。総人口の5人に1人という割合の犠牲者である。また米軍にも、中国の人民解放軍や志願軍にも数十万人もの犠牲者が出た。

 その戦争は、まだ過去になっていない。休戦協定があるだけで、戦争状態は70年余にわたって継続している。冷戦期には人類を数十回殺せるほどの核兵器があげく蓄積されてしまい、北朝鮮はついに核ミサイルを独自開発・保有もしてしまい、日本や韓国にはミサイルの格好の標的となる原発が、林立するまでになってしまった。

▲北側から見た板門店

 そして、今の米朝開戦再開の危機は、新たな緊張なのではなく、これまで全ての経緯を踏まえて起こっているのであり、米国の非人道的な空爆への恨みも、核兵器の仕様をちらつかせて脅されてきたことも、そしてそれ以前に70年にわたって朝鮮半島を侵略し、植民地支配してきた日本との間でいまだ何の精算も保障も行なわれていないことも、全て背負って起こることなのである。米韓との間では戦争は終わらず、休戦としてにらみ合ってきた、ということを忘れてはならない。

 そしてそれ以前に、日本は韓国に対しては植民地支配を謝罪し、戦後処理を行ってきたけれども、北朝鮮に対してはいまだに、植民地支配への謝罪と戦後処理、そして和解も国交回復もできていないということも忘れてはならない。

 日本人はあまりに何もかも忘れてしまい、あるいは忘れる以上に、歴史的な事実を知ろうとすらしていないのではないか。

 歴史的事実を知らないならば、老いも若きも、急いで知るべきである。日本はどんなことがあっても、朝鮮戦争が再開されたら局外中立を貫くべである。北朝鮮はもとより、韓国が、日本とは同盟国ではない、と言い切る意味をよく理解すべきだ。自衛隊という名前であろうとないであろうと、日本の軍人が二度と朝鮮半島内に軍靴で入ってきてほしくない、という思いを深く知るべきだ。局外中立を貫くために米軍に盲従する集団的自衛権くらい危険な足枷はない。

 幸いに、というべきか、立憲主義と民主主義を守るべきだ、という理念的な主張をし続けた立憲民主党の支持は伸び続けている。

 他方で、選挙期間中、プロパガンダマスコミは、これでもかと北朝鮮のミサイルの危険性だけを流し続けた。そうしたぼんやりとした危機感を煽ることで、自民党は選挙に大勝した。麻生氏の言葉通り「北朝鮮のおかげ」なのである。

▲国連総会・ガラガラの会場で「必要なのは対話ではない。圧力だ」と訴える安倍総理

 自民党は、「この国を守り抜く」というスローガンを掲げ、「北朝鮮の脅威」を喧伝することで勝った。しかし、実際は、北と戦争となれば北のミサイルからこの国を「守り抜く」手だては何もない。ミサイル防衛などは竹槍と何ら変わらない。ミサイルを全て迎撃することなどまったく不可能である。

▲2015年5月3日のニューヨークタイムズより

 現実的には何ひとつ武力で丁々発止する力も守りもない。戦争はしたくない。第二次朝鮮戦争に当事国として関わりたいと思っていない。そのためにも憲法は守るべきだ。多くの人がそう憂えている。その一方で、北朝鮮のミサイルは怖いと不安にもとらわれている。国民のそうした思いは立憲民主の伸びと、自民党の手堅い勝利、その矛盾する2つの結果に現れている。このことを、とにかく一刻も早く、自民支持層、あるいは無党派層に気付かせるべきだ。NHKのような亡国の洗脳宣伝放送しか流れていない田舎のおじいちゃんおばあちゃんなんかが、難しいことはわからないが、核戦争なんてやっちゃいかん、と言い出すようにするのだ。緊急事態条項を止めよう! われわれにはまたやるべきこと、やれることがある。

▲2017年10月21日、新宿での立憲民主党の最終演説

▲凍った田んぼで手作りのスケート遊びをする北朝鮮の子どもたち(初沢亜利氏インタビュー画像より)

※2017年11月12日付けのツイートを並べて加筆し、掲載しています。

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