沖縄を侮辱する「無知」を許してはならない!「ニュース女子」出演者らが知ろうともしない沖縄の歴史!蟻塚亮二著『沖縄戦と心の傷~トラウマ診療の現場から』を読む!(第12弾) 2017.2.8

記事公開日:2017.2.8 テキスト
このエントリーをはてなブックマークに追加

(文:福田玲子 記事構成:岩上安身)

 「基地反対派の言い分を聞く必要はない」――。

 番組制作会社のDHCシアターは2017年1月20日、沖縄ヘイトデマを放送して非難を集めた報道バラエティ番組「ニュース女子」に対する見解をホームページに公表し、こう開き直ってみせた。

 なんであれ当事者の言い分を聞くことは、報道に関わる者としての最低限度のルールである。そのルールさえ自ら否定するのだから、DHCシアターは、報道の原理原則を否定しているに等しい。

▲DHCシアターの「ニュース女子」についての見解。「基地反対派の言い分を聞く必要はないと考えます」とはっきり書いている。なぜ当事者の「言い分を聞く必要はない」などと開き直るのだろうか?
▲DHCシアターの「ニュース女子」についての見解。「基地反対派の言い分を聞く必要はないと考えます」とはっきり書いている。なぜ当事者の「言い分を聞く必要はない」などと開き直るのだろうか?

 基地反対派の言い分を聞き出したら、「基地反対派はカネをもらってやっている」という彼らの主張が覆されてしまうだろう。自分たちに都合のいい「結論」を維持するためにも、あえて言い分を聞かず、あえて調べないのかもしれない。

 少し調べれば、「カネ」などもらわずとも、沖縄県民の多くが新基地建設に反対して自らの意志で行動していることなどすぐわかる。

 琉球新報と沖縄テレビ放送が2016年5月30日~6月1日に実施した県内の世論調査では、83.8%が普天間飛行場の辺野古移設に反対したという。そもそも、辺野古新基地建設反対を掲げた翁長雄志県知事は、県民の圧倒的な支持を受けて当選している。沖縄県民の民意は明らかだ。

▲反対運動に日当が出ていると報じる「ニュース女子」(DHCシアターホームページよりhttps://www.dhctheater.com/movie/100690/)
▲反対運動に日当が出ていると報じる「ニュース女子」(DHCシアターホームページより)

 「ニュース女子」では、こうした事実がまったく無視されている。武器輸入商社の正社員である井上和彦氏は、ジャーナリストを名乗り、「(沖縄の)大多数の人は別に、そんなねぇ、米軍基地に反対という声なんて聞かない」などと放言している。取材などしないにも関わらず、である。井上氏がいかに取材しない「ジャーナリスト」であるかは、IWJが検証している。

 慶應大学大学院の岸博幸氏も同番組内で、「沖縄に昔関わっていた経験から、沖縄の人たちはみんなアメリカが好きなんですよ。ここまで明確な体を張った過激な反対をするとはとても思えない」などと、根拠なく好き放題しゃべっているのである。

▲岸博幸氏(慶應大学大学院ホームページより)
▲岸博幸氏(慶應大学大学院ホームページより)

 「ニュース女子」制作者たちや同番組に出演した井上氏、岸氏、あるいは司会を務める東京・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏は、基地の現実のみならず、すべての元凶たる沖縄戦のこともおそらくはご存じないし、調べるつもりもないのだろう。

 沖縄戦を語らずして、現在の基地問題も、ひいては沖縄そのものも理解することも語ることもできない。

 沖縄戦は、1945年3月から6月にかけて行われ、死者20万人という多大な犠牲を生んだ。犠牲者のうち沖縄県民が12万人以上(終戦前後の餓死・病死を含めれば15万人以上とも言われる)にものぼり、県民の4人に1人が亡くなったといわれている。

 本土では、空襲による民間人死者は広島・長崎を合わせても50万人で、当時の日本の人口が約7000万人だから人口比0.7%である。人口比約25%、12万人以上もの県民が死んだ沖縄戦が、いかに甚大な被害をもたらした戦禍であったかがよくわかる。

 なぜこれほど甚大な被害に至ったのか? それは沖縄戦が、「本土決戦」を遅らせるために、住民を巻き込んで戦闘すべしという「捨て石作戦」として米軍を迎え撃ったからである。住民を守るどころではない。日本軍は本土上陸を遅らせるためなら、沖縄の一般住民に被害を与えることをいささかもためらわなかった。そして戦後は、昭和天皇の地位保全と引き換えに米国へ「譲渡」され、米軍の占領下に置かれ、日本国憲法の適用も受けない中で「米軍基地の島」と作り変えられてしまったのだ。

 敗戦から72年が経った今も、沖縄戦は過去の話ではない。沖縄には今もなお、戦争の後遺症に苦しんでいる人々がたくさんいる。そうした中で米軍基地の存在は、沖縄の人々の心に残る「トラウマ」を刺激し続けてきた。

 今もなお続く沖縄の苦しみを書いて話題になった本がある。精神科医・蟻塚亮二著『沖縄戦と心の傷~トラウマ診療の現場から』(大月書店)だ。

▲蟻塚亮二著『沖縄戦と心の傷――トラウマ診療の現場から』
▲蟻塚亮二著『沖縄戦と心の傷――トラウマ診療の現場から』

 「ニュース女子」に代表される、「無知」「無理解」を背景とした沖縄への侮辱を、決して許してはならない。この稿では、沖縄が抱える深い傷を理解するために、同書の概要を紹介したい。

「トラウマは二度目のトラウマに弱い」〜「奇妙な不眠」は精神疾患でなく「晩発性PTSD」

▲蟻塚亮二氏(2017年2月3日、「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」設立についての記者会見で)
▲蟻塚亮二氏(2017年2月3日、「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」設立についての記者会見で)

 蟻塚亮二氏は、1947年、福井県生まれの精神科医。2004年から2012年まで、沖縄のメンタルクリニックで診療にあたった。その過程で蟻塚氏はあることに気づく。

 「うつ」「統合失調症」と診断されてクリニックを訪れる高齢者の症状が、一般に知られる「うつ」「統合失調症」の症状と異なっているのである。たとえば断続的な不眠(突然目が覚める)などで、これは「うつ」「統合失調症」の症状ではない。蟻塚氏はこれを「奇妙な不眠」と名付けた。ずっと引っ掛かっていたが、明確な答えは出せないでいた。

 そんなある日のこと、アウシュビッツ生還者の40年後の精神状態に関する論文を読んだ蟻塚氏は、同様の「奇妙な不眠」をはじめ、特徴が酷似していることを知った。それで思い切って患者にこう聞いてみたという。

 「沖縄戦のときは、どこにおられましたか?」

 すると、「米軍の爆撃によって目の前で肉親を殺された」「日本軍にガマ(自然の洞窟)から追い出された」「艦砲射撃の中で死体の山の中をひたすら逃げた」といった戦場体験を、患者らが次から次へと語り出したという。

「視点を変え、沖縄戦のトラウマによるストレス症候群を調べたところ、またたく間にそうした事例は100例を超えた」と、蟻塚氏は記す。

 診療と調査の結果、蟻塚氏はある結論に達する。不眠、うつ、老人性うつ、原因不明の痛み、身体障害、解離(記憶が飛ぶ)、フラッシュバック、不安、幻聴・幻視、怒りを抑えられない、暴力衝動、人格障害、発作、パニック障害、……精神病と診断されていたこれらの人たちは、実際には精神病ではない。戦時のトラウマから来る「PTSD」(心的外傷ストレス障害。以下、PTSDと記述)というべきなのだ。それまで普通の生活を送ってきたはずの人が高齢になって突然発症するPTSDであり、蟻塚氏はそれを「晩発性PTSD」と名付けた。

 なぜ晩発なのか? それは、壮年期は生きていくことに必死で、戦争や基地のむごい記憶を封じ込めることができたからである。しかし時を経て、定年、肉親の死、自身の病気、加齢から来る心身の衰えなどとともに、「脳内に刻み込まれていたトラウマが表面化する」のだという。

 これは「ただちに健康に影響はない」という、福島第一原発事故直後に繰り返されたフレーズを思い出す。戦争で負った心の傷も、放射能の負の影響も、どれもあとからじわじわと効いてくるのだ。

 たとえば、肉親の死のような深い「喪失感」によって、過去の「喪失感」が思い出され、今度は歯止めがきかなくなる。蟻塚氏は「トラウマは二度目のトラウマに弱い」と表現する。

▲日本軍の潜む洞窟を火炎放射器で攻撃する米兵(ウィキペディアより)
▲日本軍の潜む洞窟を火炎放射器で攻撃する米兵(ウィキペディアより)

抑えていた過酷な沖縄戦のトラウマが表面化〜「晩発性PTSD」の具体症例

 以下、「晩発性PTSD」具体症例を抜粋する。

 「中途覚醒の不眠、日中の頭痛。頭がぼうっとなってどうしていいかわからなくなる。記憶が飛んだりする(解離)、運転しているときも頭がぼうっとなり、どこを走っているのかわからなくなる……そんな症状に悩まされていた76歳のMさん。

 Mさんは11歳の時、艦砲射撃を受けながら摩文仁(まぶに。沖縄県島尻郡に存在した村。現在の糸満市南東部)を逃げまどい、母親と妹を亡くし、目の前で住民が日本軍に殺された……若いころは家族を養い事業を発展させるのに必死だった。最近、息子に仕事を譲ってから寝られなくなり不安発作や頭痛がおき、母親が亡くなったときのことが突然思い出されたりする」

 「70代の女性。急に興奮したり怒ったり家族を叩いたりするようになった。日ごろから言動が荒っぽく男っぽいので家族からも距離を置かれていた。10年前、息子が死んでから眠れなくなり泣いて暮らすようになった。肺炎で入院したときは、幻聴・幻視が現れるようになり、周囲に敵が見えたため、周囲に暴力をふるって病院を逃走した。彼女は戦時で親と親戚をなくし、自身は壕に隠れていたところを弟妹達とともに米軍に保護された」

 「夜中に死体のにおいがして眠れなくなるという男性。日の丸を見ると身体が怒りで震えるという。だから大相撲中継のときの日の丸をみると、戦時に死体の上を逃げまどった辛い記憶を呼び起こされ、身体が震える。だから大相撲でもその場面だけ見ないようにする」

 原因不明の足の痛みを訴える患者が、「死体を踏んで逃げた罰」と語ることはよくあることだというが、足の裏の灼熱痛を訴えていたUさんの場合は、違う理由からだろうと蟻塚氏は考察する。

 「Uさんは当時14歳皇民化教育で率先して旗を持ってきた。米軍に攻撃され、壕に逃げたが、あるとき5人の日本兵が入ってきて、軍が使用するから出て行けと言われた。Uさんたち家族は土下座をして追い出さないでくれと頼んだが、『天皇陛下の命に背くのか非国民め、叩き切ってやろうか』といわれ、結局、家族で壕を出てた。今もUさんの耳には、「非国民め」と言われたときの声が耳にこびりついて離れない。誇り高くまっすぐな思想の持ち主だったUさんは、非国民と罵られ土下座した屈辱感や口惜しさが人生時間をつらぬくトラウマとなったと考えられる」

宮森小学校ジェット機墜落事件、沖国大ヘリ墜落事件…米軍事故が想起させるトラウマ

 なおPTSD発症の引き金は、肉親の死や加齢による心身の衰えだけではない。「社会的事件」も多い。

 「59年の宮森小学校ジェット機墜落事件(*1)で息子を亡くした女性。長い間、記憶を封印してきたが、2004年の沖国大ヘリ墜落事件(*2)以来、その惨事がよみがえり、ひどいうつ状態になるようになった」

(*1)宮森小学校ジェット機墜落事件 1959年6月30日、嘉手納基地から飛び立った米軍のジェット戦闘機が石川市(現在のうるま市)に墜落し、民家を巻き込みながら宮森小学校に激突、住民6名、学童11名が死亡した。なおパイロットは事前にパラシュートで脱出しており無事だったという。

▲宮森小学校ジェット機墜落事件、1959年(ウィキペディアより)。事故直後から現場は米軍により封鎖され、日本の警察・消防・学校関係者等は立ち入りできなくなった。
▲宮森小学校ジェット機墜落事件、1959年(ウィキペディアより)。事故直後から現場は米軍により封鎖され、日本の警察・消防・学校関係者等は立ち入りできなくなった。

(*2)2004年8月13日、米軍普天間基地所属の大型輸送ヘリコプターが訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学1号館北側に接触、墜落、炎上した。搭乗していた乗員3名は負傷したが、民間人には負傷者は出なかった。事故直後から、米軍が現場を封鎖し、事故機を搬出するまで日本の警察・消防・大学関係者らも一切現場に立ち入れなかったため、強い反発を招いた。

 「米軍による女性への強姦を目撃した女性。長い間、思い出さないようにしていたが、95年の少女暴行事件(*3)のとき、それがよみがえり、以来、米軍の犯罪が報道されるたびに、悩まされるようになった」

(*3)1995年、9月4日、米軍海兵隊員ら3名が、12歳の少女を拉致した上、集団強姦して致傷させた事件。日米地位協定によって容疑者らの身柄引き渡しも行われず、当時の米軍上層部が「バカなやつらだ。レンタカーを借りる金で女が買えたのに」と発言し、県民の怒りが爆発した。

 米兵の犯罪はなぜ多発するのか。罪を犯しても、日本の法律で裁かれないことを熟知しているためである。米軍将兵の特権的地位を定め、戦後、沖縄県民をずっと苦しめてきたのが「日米地位協定」だ。同協定については、以下の記事等でも詳細に解説されているので、ぜひ参照されたい。

▲トレーラー落下事件。1965年6月11日、米軍の物資投下演習のトレーラーが集落に落ち、小学生の女児が死亡した事件(読谷村バーチャル平和資料館より転載)
▲トレーラー落下事件。1965年6月11日、米軍の物資投下演習のトレーラーが集落に落ち、小学生の女児が死亡した事件(読谷村バーチャル平和資料館より転載)

右翼が「空襲警報」に似たサイレンを鳴らし「文子おばぁ」が発作

 辺野古・高江の反対運動に参加している、「文子おばぁ」こと現在87歳の島袋文子さんも戦争体験者だ。少女の頃、米軍に追われて摩文仁を逃げまどい、半身を米軍の火炎放射器で焼かれ、その後、米軍に救出された。

 IWJでも報道したが、昨年5月、島袋さんが高江で抗議活動をしていたところ、「日本のこころを守る会」の和田宗則議員の同行者が、抗議現場に現われて島袋さんらの抗議の模様を撮影していたところ、87歳の島袋さんから「暴力」を受けたとして警察に被害届を出した。

 同年10月、島袋さんは名護署に出頭し、事情聴取を受けたが、その際、右翼の街宣車が名護署前で「空襲警報」を連想させるサイレンを大音量で流した。悪質な嫌がらせである。

 87歳の老女に対して「暴力を受けた」などと大げさに被害届を出す大の男もどうかしているし、その老女に対して大音量のサイレンで嫌がらせをする「右翼」も、人としてどうかしている。島袋さんは急に青ざめ、動機や震え、悪寒などを訴え、喋れなくなってしまい、事情聴取は中断された。

 蟻塚氏は、このことを報道で知ったが、島袋さんの変調は「空襲を思わせる大音量のサイレンで、トラウマが表面化しPTSD症状が出たもの」と推測した。「右翼」らは、何をしたら沖縄戦を体験した高齢者が苦しむのか、知っていてサイレンを大音量で流したのであろう。それがどれほど人を深く傷つけるか、どれだけ罪深い行為か、思い知るべきである

▲成人男子への暴行容疑で事情徴収を受けた87歳の島袋文子さん(2016年8月5日、沖縄・高江で)
▲成人男子への暴行容疑で事情徴収を受けた87歳の島袋文子さん(2016年8月5日、沖縄・高江で)

 島袋さんの身に起きた一連の出来事は、IWJではくわしく取材している。壮絶な沖縄戦の記憶、島袋さんから安倍総理に宛てて書いた手紙、島袋さんから暴行されたなどという人々の主張などについては、下記をご参照いただきたい。

 蟻塚氏は言う。「これまでお会いした戦争体験者の多くが『自分はフラー(きちがい)だと自分を責め、自分を無価値な人間だとして追い詰めてきた。しかし戦争PTSDだと知ると自分を責めるのでなく合理的な説明がついて助かること、自分ひとりではなくて沖縄に何千人もの同じ症状のひとがいると知ることにより。孤独の淵から救われる可能性を知った』」

▲南ベトナム解放戦線の拠点へ投下されたナパーム弾。ベトナム戦争帰還兵でも、深刻なPTSDリスク予備軍は2割にすぎない。沖縄の戦争体験者はその倍である。
▲南ベトナム解放戦線の拠点へ投下されたナパーム弾。ベトナム戦争帰還兵でも、深刻なPTSDリスク予備軍は2割にすぎない。沖縄の戦争体験者はその倍である。

 なお蟻塚氏は、診療の結果、沖縄戦体験者のほぼ4割が、深刻なPTSD発症の危険の高いリスク予備軍だと結論づけている。これはベトナム帰還兵などと比べても突出して高い数字だという。

 また蟻塚氏は現在、仙台に居を移し、福島県相馬市の「メンタルクリニックなごみ」院長として、福島での震災・原発事故のトラウマを負った患者に向き合う日々を過ごしている。通勤時間が長いため、睡眠は4~5時間という日々が続く中で、週末をあててこの著書は書かれたとのことである。

 傷ついた人々に寄りそいながら、過酷な毎日を過ごす蟻塚氏のような方がいる中で、一方、この国の姿勢はどうなのだろう?沖縄に、福島に、その癒やし難く大きな傷に、政府はどれだけ本気で向き合っているのだろうか?

 最後に、PTSD問題については、過去に起きたことについてだけでなく、今後も多くのPTSD発症の懸念が存在することを記しておく。自衛隊の海外派遣がそれである。

 去る2月3日、東京都で「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」の設立記者会見が行われた。蟻塚氏は同会の共同代表を務めるイラクエイドワーカーの高遠菜穂子氏、整形外科医の大竹進氏(スカイプで参加)とともに、会見を行っている。こちらもぜひ、ご覧いただきたい。

(後編に続く)

IWJのこうした取材活動は、皆様のご支援により直接支えられています。ぜひIWJ会員にご登録いただき、今後の安定的な取材をお支え下さい。

新規会員登録 カンパでのご支援

一般会員の方で、サポート会員への変更をご希望される場合は、会員ログイン後、画面上部の会員種別変更申請からお進み下さい。ご不明の際は、shop@iwj.co.jp まで。

関連記事