8月21日深夜3時半過ぎ、東京・霞が関の経済産業省の敷地内に建てられた「脱原発テント」の強制撤去が突如始まった。公務とはいうが、日曜日の未明のこんな時間帯に強制撤去を行うとは異様というしかない。テントは2011年9月11日に、脱原発を訴える市民グループのメンバーらによって設置されたものだ。国が進める原子力政策への抗議活動の拠点であり、脱原発のシンボル的な存在でもあった。
国は2013年にテントの撤去と損害賠償などを求めて訴訟。最高裁が今年7月28日付で市民グループ側による上告を棄却したことで、グループ側の敗訴が決定していた。国は「直ちに土地部分の明け渡しを強く求める」としていたが、市民グループ側は「粛々とテントを守る。自主的に引き揚げることはない」として、徹底抗戦の構えを見せていた。それを受けて、国側が強制執行に踏み切ったかたちだ。
▲強制撤去される前のテントの様子-2016年8月6日撮影
▲テント撤去後、バリケードで封鎖された
▲バリケード前で座り込みを行う市民たちを排除する警察官ら
IWJは、テント撤去後の現場の様子を中継し、市民グループの関係者にインタビューを行なった。以下、インタビューの内容を掲載する。
- タイトル 脱原発テントの強制撤去がおこなわれた経産省前から現地の模様を緊急中継
- 日時 2016年8月21日(日)5:00頃〜
- 場所 経産省前脱原発テント周辺(東京都千代田区)
「原発に反対して集まってきたわけだから、テントが一つ、二つなくなったからといって、その意志が変更されるようなことはない」~テント広場共同代表の渕上太郎氏
▲テント広場共同代表の渕上太郎氏
――テントが撤去された状況を見て、どうですか?
「感無量だね(笑)。ただ、このことでテントを立てた意義や、我々の脱原発への意志が重大な影響を受けるようなことはない。我々自身が高齢ということもあるが、原発に反対ということでここに集まってきているわけだから、テントが一つ、二つなくなったからといって、その意志が変更されるようなことはない。ただし、実際にどう闘うかは別の問題として、我々なりのやり方で闘っていく」
――その闘い方は、これから皆さんで話し合われるのでしょうか?
「そうですね。基本方針はもう決まってますから」
――請求されている損害賠償などにはどう対応していきますか?
「それは我々も分からない(笑)。どうしたらいいんだろね。金があったら払うのかという問題もあるけれども、基本的にお金はないですから。そうすると、どうするんですかね。撤去されたテントは売却されるようだけども、それが賠償の一部になっていくんでしょう。もちろん必要な物は返せと訴えていきたいと思ってます」
「テントがあったからこそ、皆さんに支えられて、元気もついた。ここが私には第二の故郷だったんです」~福島県双葉町から避難されている女性
▲福島県双葉町から東京へ避難されている女性
――テントが撤去されることはどのように知りましたか?
「朝の5時ころに電話をもらったんです。いつか撤去されるとは分かっていたけど、ここまでやられるとは思わなかった。私の第一の故郷は東電に奪われてるんですね。テントに来なかったら、私は毎日泣いてるんですね。双葉に帰りたい帰りたいと。でもここがあったからこそ皆さんに支えられて、元気もついた。ここが私には第二の故郷なんです。テントを撤去する前に、福島第一原発、あそこの責任をちゃんと取らせてください。矛先が間違ってると思うんですよ」
――テントがなくなった場所を見てこられましたか?
「もうあそこの姿を見るのが、いや。悲しくて」
「今はカンパや支援してくれた人に感謝の気持ちです。テントがなくなるのは、ある程度覚悟していました。今後、どのように訴えを続けていくかです」~テントで深夜番をしていた男性
――何時から解体作業が始まったんですか?
「執行官がきたのが3時40分頃。執行の書類を提示し、今から片づけますと。『10分間の時間を取りますので、個人の私物を持って出てください』と告げられました」
――あれだけの大きなテントの中の荷物を10分で持ち出せと?執行官は何人いましたか?
「要するに個人のものだけ持って出ろということだと思います。執行官と呼ばれる人は1人ですけど、その後ろには何人もいました。大勢で来ていました」
――皆さんの方は何人いたんですか?
「今夜の泊まりこみの番は5名でした。『きた!』と仲間が言って、『何が?』と思ったら、もう執行官らがテントの中に入ってきました。持ちだしたのは中継機材、テント用の携帯、日誌など…。今日で1807日目ですが、それを書いたプラカードは持って行かれました。
テントを出たらマスコミが大勢いました。おそらく撤去されることを知っていたんでしょう。解体が始まったのは4時頃だと思います。まずは第3、第2テントから撤去が始まりました。最後まで骨組みが残ったのは第1テントです。物が少なく、片づけやすいテントから撤去されていったのでしょう」
――外に引きずり出された?
「引きずり出されたわけではありません。自ら指示に従って外に出ました。とにかくテントに出された段階で、民間の警備会社の人がズラーっと並んでいました。制服の警察官はあちこちに配置されていましたけど、あまり多くありませんでしたね。彼らは辺野古と一緒で、話しかけても何も答えません」
――現場では揉めたんですか?
「テントがきれいになくなったのは5時くらい。作業開始から1時間ほどです。僕たちは抵抗はしませんでした。5人で抵抗しても…相手がこれだけの人数できているので。今日来るとは全然わかりませんでした。今日はたまたま5人でしたが、普段は4人で夜番をしています。本当は24時間誰かが外を見張っていたほうがよかったのかもしれないけど…。
テントはなくなったけど、原発に抗議し続けていくことには変わらない。テントがなくなっても今まで通り続けます。今はカンパや支援してくれた人に感謝の気持ちです。支えてくれた人みんなに感謝。まずはそこから。テントがなくなるのは、ある程度覚悟していました。今後、どのように訴えを続けていくかです。これからまたみんなでアイデア出して活動していきたいです。1807日も続いたテントは世界にもないと思います。本当に、お疲れ様、ありがとうございますという感じです」
▲テントに近づけないよう、交差点で歩行者への規制がかかっている。
彼らは全員、民間の警備会社だという。
▲道路封鎖された経産省前の歩道
「テントには社会的に追い込まれている人…色んな人の交流の場でもあった」~別の深夜番の男性
――撤去が始まった深夜3時40分頃の状況を教えて下さい。
「僕が寝ていたのは、通称第2テントと呼ばれているところです。外でガタガタ物音がするから起きたら、すでにそこに裁判所関係者だと思われるワイシャツ姿の者が3~40人来ていて、台車を持って、ガードマンと一緒に来て、作業を始める準備をしていました。すぐに第1テントの方に顔を出したら、ちょうどその時に『裁判所です、これから執行します、10分で私物を持って出てください』とだけ言われました。デジカメで写真を撮ろうとしたら、裁判所関係者に『写真はダメだ』と言われました」
――ついに来たな、という感じだったんですか?
「そうですね。ただ常識として夜明けとともに来ると思っていたので、まさか夜中の3時、寝込みを襲うかたちでくるとは思いませんでした。しかもウィークデーではなく、土曜の深夜というのは考えていませんでした。経産省だけじゃなく、右翼とかいろんな問題があるから、いつものように土曜日でも警戒はしていたんですけども」
――運動の関係者の皆さんは、どんな反応でしたか?
「すぐに関係者に電話しました。けが人はいるか、逮捕者はいるかと、それを皆さん気にしていました。一番早かった弁護士さんは4時頃到着し、状況を確認して帰っていきました。マスコミもきていましたが、マスコミもテントには近づけないようでした。
脱原発テントに来られなくなるのはすごく寂しいです。テントには社会的に追い込まれている人…例えば性同一性障害の方や生活に苦しい方々もきていた。テントは、色んな人の交流の場でもありました」
「深夜3時半すぎ」に行われた突然の強制執行。人の寝込みを襲うようなこのようなやり方に、国の「狡猾さ」を感じる。グループ関係者によると、今後も経産省前での原発への抗議活動は続けていくとのことだ。IWJとしても、引き続きしっかりフォローしてお伝えしていきたい。