【IWJブログ・特別寄稿】日本軍「慰安所」制度と朝日の「慰安婦」報道検証について(能川元一 大学非常勤講師) 2014.11.18

記事公開日:2014.11.18 テキスト
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◆ はじめに ◆

 みなさんご承知のように、8月5日と6日の両日にわたって『朝日新聞』が自社の「慰安婦」問題報道を検証する特集を掲載したことをきっかけに、政界とマスメディアでは「朝日バッシング」の嵐が吹き荒れました。

 問題なのは、このバッシングの過程で、「慰安婦」問題に関する内外の認識ギャップが一層深刻になったことです。

 日本軍「慰安所」における性行為の強制そのものを否認する、あるいは女性たちへの人権侵害が起きたことは認めても日本軍、日本政府の責任は否定する政治家やメディア(以下、こうした主張をする人々を「慰安婦」問題否認派と呼びます)は、『朝日』の誤報が国際社会に「誤解」を与えた結果として日本の国際的な評判を傷つけたと考え、『朝日』が過去の報道の一部を撤回したことにより「誤解」を解くチャンスがやってきたと考えています。

 菅義偉官房長官は9月5日の記者会見で、「慰安所」制度を「性奴隷」制だとした1996年の国連報告書(クマラスワミ報告)に積極的に反論するという政府の方針を明らかにしました(※1)。

 与党自民党の外交・経済連携本部国際情報検討委員会は9月19日に発表した決議において「いわゆる慰安婦の『強制連行』の事実は否定され、性的虐待も否定されたので、世界各地で建設が続く慰安婦像の根拠も全く失われた」とし、「かかる誤った国際認識には断固として正していかなければならない」と主張しています(※2)。

 安倍晋三首相も、10月3日の衆院予算委員会で、稲田朋美議員(2007年に『ワシントン・ポスト』紙に掲載され、結果として米下院の「慰安婦」決議を後押しした “The Facts” 広告の賛同人)の質問に対して「〔『朝日』の報道により〕「多くの人々が傷つき悲しみ、苦しみ、怒りを覚え、日本のイメージは大きく傷ついた。『日本が国ぐるみで性奴隷にした』との、いわれなき中傷がいま世界で行われている。誤報によって作り出された」などと答弁しました。

▲世界を怒らせたのはこの「広告」だ

 ところが『読売新聞』や『産経新聞』が『朝日』の検証特集を大々的にとりあげた8月6日、国連のピレイ人権高等弁務官が「慰安婦」問題に関して「深い遺憾の意」を表明したことが各紙で報じられました。(国連人権高等弁務官、慰安婦問題で「強い遺憾」 産経新聞 2014年 8月6日)

 ピレイ氏の「遺憾の意」はもちろん『朝日新聞』にではなく、「慰安婦」問題否認派の存在とそれを放置している日本政府に向けられています。海外のメディアは『朝日』が吉田清治氏についての報道などを撤回したことにはほとんど関心を示さず、むしろ日本の一層の右傾化を懸念する報道の方が目立ちます。

 その後国内でもインターネットメディアでは「慰安婦」問題否認派に批判的な記事も現れてきました。紙媒体では私も何度か寄稿している『週刊金曜日』が早くから「朝日バッシング」のかたちをとった「慰安婦」問題否認論に対抗する記事を掲載してきましたが、『週刊現代』も10月11日号では「日本人の反応とは大違いだった! 世界が見た『安倍政権』と『朝日新聞問題』」と題した記事で、国際社会が「朝日バッシング」をどう見ているかを報じています。

 同誌が9月6日号では「『慰安婦報道』で韓国を増長させた朝日新聞の罪と罰」といった扇情的な見出しを表紙に掲げていたこととは対照的です。私たちはいま、「慰安婦」問題に関する内外の認識ギャップを修復できるかどうかの瀬戸際にいる、ということができるでしょう。

 そこで今回は、まず日本軍「慰安所」制度の概略をご紹介したうえで、「慰安婦」問題否認派の主な主張の妥当性を検討してみたいと思います。

フジサンケイグループの元トップ鹿内信隆氏は、軍人として慰安所開設にたずさわった過去を自伝で告白

 日本軍「慰安所」の歴史は遅くとも1932年にさかのぼりますが、本格的に制度化されるのは1937年のことです。永井和・京都大学教授が発掘した史料、「野戦酒保規程改正に関する件」(※1)(漢字仮名表記を現代風に改めています。以下同じ)によって、その事情が明らかになりました。

 「酒保」とは旧日本軍の施設に設けられていた売店のようなものです。1937年の9月、戦時に動員された部隊に設置される野戦酒保に関する規定が改正されました。

 「戦地に於いて軍人軍属に必要の需品を(……)販売するを目的とす」などとされていた第一条が改正され、「野戦酒保に於いて前項の外必要なる慰安施設をなすことを得」が新たに追加されました。

 第六条では野戦酒保(慰安所を含む)の経営を業者に請け負わせることができる、と定められています。当時「特殊慰安所」などと呼ばれた、買春施設としてのいわゆる日本軍「慰安所」は、たとえ民間業者が経営している場合であっても、この改正野戦酒保規定に設置根拠をもつ日本軍(※2)の正式な後方施設だったわけです。

 マスメディアが『朝日』バッシングで沸き立っていたころ、インターネットではあるメディア人の回想がちょっとした話題となっていました。『朝日』バッシングの急先鋒である『産経新聞』の元社長、故・鹿内信隆氏と櫻田武氏の対談、『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版、1983年)に見られる、次のような記述です。

鹿内 (……)それから、これなんかも軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦場へ行きますとピー屋が……。
櫻田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。この間も、経理学校の仲間が集まって、こんな思い出話をやったことがあるんです。

 戦時中は陸軍主計将校だった鹿内氏が軍の経理学校で「ピー屋設置要綱」を教えられたのは、もちろん「慰安所」が軍の兵站部門に含まれていたからです。「調弁」とか「耐久度」「消耗度」といった言葉遣いに、女性を「兵站物資」視する意識が透けてみえます。海軍の主計将校だった中曽根康弘元首相が「土人女」を集めて「慰安所」を開設(※3)したのも、同じような理由によるものと推定することができます。

 こうした事情は、軍「慰安所」で発生した人権侵害に対する日本軍、日本政府の責任を考えるうえで重要な意味をもちます。

 当時の刑法でも略取(暴行や脅迫による拉致)や誘拐(欺罔や誘惑による拉致)および人身売買の被害者を猥褻目的で「収受」することは犯罪でした(刑法二百二十七条)。仮に女性が軍「慰安所」に到着するまでの過程に一切軍が関わっていなかった場合でも、女性を「収受」したのは軍の正式な施設だということになるからです(※4)。

 当時において売春が事実上人身売買によって強制されたものであることは常識でしたし、「慰安婦」とされた女性の中には当時10代前半だった女性も少なからず含まれていたのですから、軍が「誘拐や人身売買にはまったく気づかなかった」という弁解にも無理があります。

 インドネシア、フィリピン、中国など日本の占領地において行われた女性の略取を考える際にも、「慰安所」が軍の正式な施設であったことを念頭においておく必要があります。

 「慰安婦」問題否認派は占領地でのこうしたケースを「出先の部隊の軍紀違反であり組織的犯罪ではない」と主張します。有名な「スマラン事件」では首謀者は陸軍大佐と考えられており、他に陸軍少将(事件当時)が監督責任を問われてオランダによる戦犯裁判で有罪になっていますから、もともと「末端の暴走」として片付けるのには無理があります。しかしこの点を措いたとしても、略取された女性が連れてこられたのは野戦酒保規程に設置根拠をもつ軍の施設だったわけです(※5)。

日本軍「慰安所」の何が問題なのか?

 日本軍「慰安所」において性行為の強制という人権侵害が発生していたのであれば、被害者が「慰安所」に連れてこられるまでの経緯にかかわらず、日本軍・日本政府が責任を負うべき理由はおわかりいただけたと思います。

 そして実際に性行為の強制が行われたこと——これこそ国際社会が、日本軍「慰安所」制度を「性奴隷制」だったと考える最大のポイントなのですが——は、多くの証拠によって裏づけることができます。

 まずは被害者として名乗り出た女性たちの証言です。特に韓国人元「慰安婦」の場合、吉田清治氏が語ったような「強制連行」を訴えてはいない方が多数いること、言い換えれば「強制連行」ではなく「慰安所での性行為の強制」こそが日本軍の加害として理解されている、という点は重要です。

 第二に、「慰安所」を利用する側の元日本軍関係者の証言や回想などがあります。「日本の戦争責任研究センター」は数次にわたって国会図書館所蔵の従軍記等を調査し、日本軍「慰安所」制度を初めとする戦時性暴力(連合国側によるものも含め)に関する記述を収集しています(※6)。

 例えば1977年に刊行されたある従軍記(※7)は、朝鮮人「慰安婦」が次のように語ったことを記しています。

 「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だから、真逆慰安婦になんかにさせられるとは、誰も思ってなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かされた」

 この記述が興味深いのは、「慰安婦問題」が国際的な注目を集めるよりもずっと前に書かれている点です。朝鮮半島で「女子挺身隊」等の名を騙った詐欺が行われていた可能性、あるいは朝鮮半島では女性の戦時動員が一般に「女子挺身隊」として理解されていた可能性を示唆しているからです。

 もちろん、この種の従軍記に見られる被害女性たちの「証言」は伝聞に過ぎませんから、すべてをそのまま信じることはできないでしょう。しかし独立して書かれた複数の従軍記が同じような就業詐欺の事例を報告している事実は軽視できません。

 第三に、公文書が強制売春の証拠となっているケースもあります。例えば馬来(マレー)軍政監部が1943年11月に制定した「慰安施設及旅館営業取締規定」は第四条で「特殊慰安施設(慰安所)」が慰安施設の中に含まれることを規定し、第十二条では「稼業婦の廃業許可」を「地方長官」の処理すべき事項に含めています。

 これは、軍が「慰安婦」の廃業の自由を否定したことを意味します(実際に許可を出したか否かにかかわらず、届出制ではなく許可制にしたことが廃業の自由の否定となります)。軍にしてみれば貴重な「兵站物資」に勝手に辞められては困るということなのでしょうが、日本軍「慰安所」が性奴隷制として制度設計されていたことを示す公文書です。

 第四に、状況証拠として、軍がなるべく若く売春経験のない「慰安婦」を望んだ、ということがあります。「慰安所」設置の目的の1つが性病の予防であったためです。

 しかし売春経験のない、若い女性を多数、まっとうな手段で軍「慰安婦」として徴集することが極めて困難であることは、容易に想像できるでしょう。就業詐欺等で「慰安婦」にされたとする証言が説得力をもつ所以です。

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(※1)アジア歴史資料センター「野戦酒保規程改正に関する件」、レファランスコード:C01001469500

(※2)旧日本海軍に関してはいまのところ同様な資料は発見されていません。今後の研究課題の1つです。

(※3)2011年10月、高知県の市民グループによって中曽根元首相の「慰安所」開設への関与を示す文書の発見が発表されました。『季刊 戦争責任研究』の第75号に掲載された「ダバオ、バリックパパン海軍航空基地第二設営班慰安所の資料」がそれです。

※編集部注:『季刊 戦争責任研究』第75号掲載「ダバオ、バリックパパン海軍航空基地第二設営班慰安所の資料」では、中曽根康弘氏に関して、「『主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり』 『主計長』というのは前述したとおり、中曽根康弘・海軍主計中尉のことです」と、中曽根氏が慰安所の開設に関与したことを裏付ける資料が紹介されている。

(※4)特に太平洋戦争期に入ってからは「慰安婦」の移送自体が軍の関与なしには不可能になっていきます。略取、誘拐、人身売買の被害者を「帝国外に移送」することも刑法二百二十六条に反する行為です。

(※5)なお中国共産党軍のゲリラ戦術に対抗するため小部隊(場合によっては一拠点に一個分隊など)を広く配置する「高度分散配置」をとった中国北部地域では、「慰安所」にアクセスできない将兵が地元の女性を “私設慰安所”に拉致して性的暴行をくわえる事例も発生しました。このような事例で裁判所が国の使用者責任を認めたケースもあります(中国人「慰安婦」第二次訴訟の東京高裁判決、2005年3月18日。ただし原告の請求は棄却)。法的な責任の存否については議論の余地のあるところでしょうが、“私設慰安所”という発想が正規の軍「慰安所」によって促された側面を持つことは指摘できます。

(※6)その成果は『季刊 戦争責任研究』の第3、5、7、9、66−68、70、71、77、80号に掲載されています。

(※7)『季刊 戦争責任研究』第5号参照。

※編集部注:(出典)土金冨之助『シンガポールへの道』下、創芸社、1977年、45頁、47~49頁

『朝日新聞』の検証記事は「言い逃れ」なのか?

 「慰安婦」問題否認派の代表的な論者である西岡力・東京基督教大学教授は『正論』10月号掲載の「隠蔽と誤摩化しでしかない慰安婦報道『検証』」において、『朝日』の検証記事における5つの論点にあわせて『朝日』を非難しています。以下では私なりに西岡氏の主張に再反論をしてみようと思います。

(1)まず韓国で初めて元「慰安婦」として名乗り出た金学順さんをめぐる植村隆元記者の記事について。

 西岡氏は挺身隊と「慰安婦」との混同、「キーセン」としての経歴に触れなかったことをいずれも「捏造」だとしています。前者が結果として誤りであったことは『朝日』の検証も認めていることですが、それを越えて「捏造」だと主張するのであれば、植村元記者が挺身隊と「慰安婦」の関係について当時から正確な知識を持っていたことを証明しなければならないはずです。しかし西岡氏はそうした証明を行ってはいません。

 また「挺身隊」と「慰安婦」を混同したことが国内外の「慰安婦」問題認識にどれほどの影響を与えたか? についても疑問があります。

 もし「慰安婦」が「挺身隊」として徴集されたのであれば、それは日本政府が国策として「慰安婦」を集めていたことを意味しますから、「慰安所」への軍・国の関与を否定していた時期には「慰安婦=挺身隊」説の当否は重要な論点足り得ました。

 しかし1992年1月に吉見義明・中央大学教授が軍・国の関与を示す資料を公表して以降、どのような集め方をしたのかに関わりなく国が国策として「慰安婦」を集めていたことが明らかになったのですから、「挺身隊」との混同は些末な問題となってしまいました。

 女子勤労挺身隊では十代前半の少女も動員されたため、「挺身隊との混同により12歳の少女まで動員した、という誤解を生んだ」と主張するひともいますが、被害者として名乗り出た女性たちの中には「慰安婦」にされたのが12歳の時だったひとが現におり、十代前半だったひとは少なくありません(※8)。結果的には「誤解」ではなかったわけです。

 さらに朝鮮半島においては、「慰安婦」と「挺身隊」とを同一視するような認識が戦争中から広まっていました(※9)。『朝日』の誤報の影響は過大視されています。

 「キーセン」としての経歴(※10)に記事が触れていなかった点について西岡氏は、金学順さんらの訴訟を有利にするための捏造だとまで主張しています。しかしキーセン学校に通ったことや騙されて日本軍「慰安所」に連れていかれた経緯については西岡氏も認めるとおり訴状に書かれています。訴状を読めばわかることを、報じなければ原告に有利にはたらく、という発想が私にはまったく理解できないのですが、いかがでしょうか?

 さらに『読売』『毎日』『日経』『産経』のいずれも、金学順さんらの提訴についての第一報では「訴状によると」などとして金学順さんの主張を伝えながら、「キーセン学校に三年間通った」ことには触れていません。これら4紙の記者も原告を有利にするために「捏造」に加担したというのでしょうか? 

 単純に、キーセン学校に通ったという経歴にニュースバリューを見いださなかった、と考えるのが自然でしょう。キーセン学校に通っていたなら「慰安所」で性行為を強制されてもしかたがない、などという暴論が裁判所で通用するはずはないからです。

(2)挺身隊と「慰安婦」を混同したのは「当時の研究が進んでいなかった」ためだとする『朝日』の主張について。

 西岡氏は千田夏光氏の著書『従軍慰安婦』(1973年)ではなく、『朝日』による吉田清治証言の報道こそが、挺身隊と「慰安婦」の混同が学会に登場した原因だと断定しています。『朝鮮史』(山川出版、1985年)で「慰安婦」が「女子挺身隊」として集められたと記述した宮田節子氏本人に『朝日新聞』が取材して、千田氏の著作に依拠したとの返答を得ているにもかかわらず、です。

 だがその根拠としては、80年代に入って「戦後世代が研究者の主流」になったため「事実誤認」が看過された、としているだけです。しかしたった10年で戦前・戦中世代がそっくり引退してしまうものでしょうか?

 日本の敗戦時に30歳だったひとは80年代半ばでもまだ70歳前後です。吉田氏が『朝日』の紙面に登場した80年代前半には戦中派の研究者もまだまだ現役であったはずです。さらに、そもそも戦前・戦中派の研究者が「慰安婦」に関して信頼できる通説を確立していたのであれば、たかだか吉田氏一人の証言でそれが揺らぐはずはありません。

 西岡氏自身、朝鮮史研究会が66年、74年、81年に刊行した3冊の入門書に「慰安婦」に関する記述がたった一行しかない(74年間の『朝鮮の歴史』)ことを指摘しているように、「当時の研究が進んでいなかった」という『朝日』の主張が正しいのではないでしょうか? 西岡氏の主張は吉田証言の影響力を過大評価するという目的ありきのもの、としか思えません。

(3)吉田証言に依拠した済州島での「強制連行」に関する報道を取り消した点について。西岡氏をはじめとする『朝日』批判者がもっとも重視していたのは、『朝日』の吉田証言報道が国際社会の「慰安婦」問題認識に及ぼした影響でした。そしてこの点については、西岡氏もクマラスワミ報告が吉田証言に言及していること以外の根拠を指摘できていません。

 しかしクマラスワミ報告が直接吉田証言に言及しているのは一カ所だけで、さらに別の箇所では秦郁彦氏が吉田証言の信憑性に疑義を呈していることにもちゃんと言及があります。同報告における吉田証言の重みは右派メディアによって驚くほど誇張されていると言わざるを得ないでしょう。

(4)「軍関与」を示す資料の発見を伝える1992年1月11日の『朝日』の報道について。

 西岡氏はこの日の『朝日』の記事が「女子挺身隊としての慰安婦強制連行」を裏付ける資料が見つかったという印象をもつように仕組まれていると断言しますが、実際には「従軍慰安婦」についての用語解説の中で「挺身(ていしん)隊の名で強制連行した」としているだけで、記事本文はそれまで日本政府が否認してきた国の関与が明らかになった、というトーンで貫かれています。

 下に92年1月11日朝刊の記事の画像を提示しますが、赤枠が用語解説です。強調されているのが「軍関与」や「設置指示」などであることは明らかでしょう。

 また同日報じられた資料について西岡氏は、警察が悪徳業者を取り締まっていた「善意の関与」を示すものだという従来の主張を繰り返しています。

 しかし「善意の関与」説を明確に否定するものとして『朝日』が紹介した永井和・京都大学教授の主張(※11)については、単に「当時の朝日の報道も永井説に立つものとは言えない」と述べるのみで、永井説そのものに対する反論は皆無です。永井説は1996年末に所在が明らかになった資料を根拠としていますから、「当時の朝日の報道」が永井説に立脚したものでないのはあたりまえのことにすぎません。

(5)植民地でも就労詐欺等意に反する形で女性が集められたという証言がある、また日本軍の占領地では物理的な強制による徴集があったことを示す証拠がある、という『朝日』の主張について。

 これに対する西岡氏の『正論』10月号での実質的な主張は「朝鮮半島において奴隷狩りのような慰安婦強制連行があったという誤解が、今なお国際社会に広まっている」というただ一点です。しかし国際社会も日本の研究者・支援者も吉田証言のような意味での「強制連行」を本質的な問題とはみなしていません。例えば07年の米下院決議には「強制連行」という語は用いられていません。

 日本における代表的な支援団体、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の共同代表である梁澄子さんも「私自身、吉田氏の著書『私の戦争犯罪』を刊行直後の1983年に読んだが、その時点で「慰安婦」問題に取り組もうとは思わず、取り組むこともなかった」(※12)と、吉田証言の影響を否定しています。

 さらに今年6月に報告書が発表された河野談話「作成過程」の検討作業においても、韓国政府が吉田証言に基づいて「奴隷狩りのような慰安婦強制連行」を認めよ、と要求したことなどなかったことが明らかになっています。韓国政府が主張したのは「理論的には自由意思で行っても、行ってみたら話が違うということもある」など、就労詐欺などを念頭においた強制性でした。

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(※8)「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター編、『「慰安婦」バッシングを越えて』(大月書店)の巻末に収録された「資料2 各国別『慰安婦』連行状況」をご参照下さい。

(※9)鄭鎭星、『日本軍の性奴隷制—日本軍慰安婦問題の実像とその解決のための運動』、論創社

(※10)厳密に言えば、金学順さんは「キーセン」として営業するようになる前に日本軍「慰安所」に連れていかれているのですが、これは問題の本質には関わらないので詳しくは述べません。

(※11)永井和・京都大学教授の「日本軍の慰安所政策について」はインターネットで公開されています。 京都大学大学院文学研究科現代史学専修 永井和のホームページ

(※12)『週刊金曜日』1007号(9月12日号)

櫻井よしこ氏や池田信夫氏の事実誤認論文がまかり通る現状~「捏造」はどちら?

 朝日新聞の誤報を「捏造」となじる側が、重大な事実誤認をしているケースも目立ちます。もっとも悪質なケースを2つほど紹介しておきましょう。

 まずは「日本人捕虜尋問調書 第49号」として知られている文書についての事実誤認です。この文書はアメリカ軍が1944年にビルマで捕虜にした日本人民間人を尋問して作成した報告書であり、「慰安婦」問題否認派はしばしば「慰安婦」の待遇がよかったことの根拠として持ち出してきました。

 しかし実際にこの報告書を読んでみると、ずいぶんと奇妙な報告になっていることがわかります。「慰安所」での生活ぶりなどについて肯定的に記述している箇所と、否定的に記述している箇所が混在しているからです。

 実は尋問の対象は朝鮮人の「慰安婦」20名と2人の日本人「慰安所」業者であり、報告書ではどの箇所が誰の供述によるものであるかが明記されていないのです。米軍は強制売春という犯罪に関心をもって尋問していたわけではないため、対立する供述をそのまま並べて採用してしまったわけです。

 このようにまったく立場の異なる2つのグループの人間に対する尋問調書であるにもかかわらず、これを朝鮮人慰安婦のみの供述によるかのように紹介している論者がいます。『正論』10月号の島田洋一氏、『WiLL』10月号の湯浅博氏などです。

 報告書のうち朝鮮人「慰安婦」の供述に依拠したと推定できる箇所には、業者が「食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしたため、彼女たちは生活困難に陥った」とされていることを考えると、2人の「業者」の存在を隠蔽する手口は非常に悪質です。(※13)

 インドネシアでオランダ人女性を「慰安所」に拉致して売春を強要したケースの1つ、「スマラン事件」についても悪質な歪曲が見られます。

 『WiLL』10月号で櫻井よしこ氏は「戦後、関係した兵は裁判にかけられ」とし、『Voice』10月号で池田信夫氏は「末端の兵士が起こした軍紀違反事件」であるとしていますが(いずれも下線は引用者)、事件の首謀者と目されているのは陸軍大佐であり、戦後の戦犯裁判では陸軍少将(事件当時)を筆頭に複数の佐官旧軍人が有罪判決を受けています。

 さらに櫻井氏は、「軍の方針に反していたため直ちに罰せられた」と日本軍が関係者を処罰したかのように言っていますが、これも事実に反します。関係者の階級や彼らを処罰したかどうかは日本軍の責任を考えるうえで重要なポイントであり、櫻井氏や池田氏は極めて悪質なミスリードを行っているのです。

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(※13)なおこの報告書を信じるならば、「慰安婦」とされた女性たちは就業詐欺で集められたことになります。

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