日本最大の食品公害・カネミ油症事件から「フクシマ」が見える 原田和明氏講演 2013.8.31

記事公開日:2013.8.31取材地: テキスト動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

  2013年8月31日(土)14時から、福岡県北九州市小倉北区の小倉生涯学習総合センターB会議室にて、元化学会社社員で、現在、大学職員を務める原田和明氏が「カネミ油症事件から『フクシマ』が見える」と題し、約2時間にわたって講演をおこなった。

 原田氏は、2013年1月に、「真相 日本の枯葉剤 日米同盟が隠した化学兵器の正体」(五月書房)を出版している。

■全編動画

  • 講演 原田和明氏(大学職員)
  • 日時 2013年8月31日(土) 14:00~
  • 場所 小倉生涯学習総合センター(福岡県北九州市)
  • 主催 日台油症情報センター(詳細

カネミ油症事件とは

 1968年に、福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油)「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化した。 (後に、「工作ミス説」と呼ばれている。)

 このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロルアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こす健康被害をもたらした。また、妊娠中に油を摂取した患者からは、皮膚に色素が沈着した状態の赤ちゃんが生まれた。胎盤を通してだけでなく、母乳を通じて新生児の皮膚が黒くなったケースもあった。この「黒い赤ちゃん」は社会に衝撃を与え、事件の象徴となった。

 厚生省は、油症原因物質のひとつに、ダイオキシンがあったことをなかなか認めなかったが、2002年に当時の坂口厚生労働大臣が、厚生官僚の反対を押し切り、「カネミ油症の原因物質はPCBよりもダイオキシン類の一種であるPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)の可能性が強い」と認めた。発症の原因物質はPCDF及びCo-PCBであると確実視されており、ようやく2004年に、油症の診断基準として血中ダイオキシン濃度が採用された。

事故原因

 原田氏によると、カネミ倉庫の工場では、事故油を生産ラインから分離して保管していたのであるが、「いつの間にか何者かによって」生産ラインに戻され、修繕された脱臭工程で再加熱後に多くの被害者を出したという。

 犯人は脱臭工程で、悪臭を伴うPCBを取り除けると考えたかもしれないが、沸点の高いPCBは過熱で除去することは不可能なだけでなく、逆に過熱によりさらに毒性の高いダイオキシンを副生させ、被害を深刻化させる原因となった。

九州大学病院の責任

 1968年3月頃から、西日本各地で身体の吹き出物や手足の痛み、しびれなどさまざまな症状を訴える人が続出した。

 九州大学病院などでは、同様の症状の患者が多数診察を受けているにも関わらず、病院側は保健所への届け出を怠るなど、食中毒に気付いた医師として適切な対応をしなかった。保健所にも通報しなかった理由を聞かれたある医師は、「学会で発表してあっと言わせたかった」と答えている。
「患者の命よりも自分の研究成果を優先した」と原田氏は説明した。

消滅した民事裁判

 カネミ油症事件では、被害の規模が甚大となった為、民事裁判では事故原因の究明よりも、その損害賠償を誰に負担させるのかが最大の争点となった。

 PCBメーカーである大企業・鐘淵化学工業株式会社(現・株式会社カネカ)に責任を負わせるため、製造機械内のパイプのピンホールからPCBが漏洩していたことに、カネミ倉庫は気付かなかったという「ピンホール説」が弁護団によって持ち出され、鐘淵化学に対しても「製造物責任」を負わせようとした。

 裁判では当初「ピンホール説」が採用され、さらに、油症事件発生から16年後の1984年3月の第一陣第二審で、原告・被害者が勝訴し、国は第一陣と第三陣の原告829人に対し、一人300万円の仮払金を支払った。

 ところがその後、カネミ倉庫社長の姉が唱えた「工作ミス説」が採用されると、弁護団が組み立てたシナリオが瓦解。1986年5月の第二陣二審では、鐘淵化学と国(農林省)の責任が否定されるに至って、ついに農水省は仮払金の返還請求という牙を被害者に向けてきた。

 追い詰められた被害者団体は提訴を取り下げる事態に発展し、裁判そのものが消滅してしまった。

 カネミ油症五島の会の宿輪敏子事務局長は「罪もない患者を救いもしないで、仮払金を返せと迫る国に憤りを感じる」と語っている。

新たな民事裁判の問題点

 2008年5月、新認定患者とその遺族計59人が、「カネミ油症新認定訴訟」を福岡地裁小倉支部に提訴する。

 小倉地裁は、カネミ倉庫(株)の製造・販売した過失を認め、原告らがカネミ汚染油を摂取した為に、カネミ油症にり患したと認めながらも、「除斥期間により、損害賠償を求める権利が消滅している」として、原告の請求を棄却した。

 原田氏は、この裁判についても主な争点は、「民法の除斥期間(権利の法定存続期間、20年)の経過で賠償請求できなくなったかどうか」になっており、事件の本質とかけ離れたものに摩り替ってしまっていると指摘する。

 「そもそも、新認定制度自体に法的基準はない。当初、事件を公表せず適切な処置を取らなかった九州大学病院。油症原因物質がダイオキシンであることを30年以上も認めなかった農水省。80年代の裁判で『ピンホール説』に固執して裁判を消滅させた弁護団など、裁判の争点とすべき重要なことは、もっと他にあるのではないか?」と、原田氏は語った。(IWJボランティアスタッフ・こうのみなと)

記者メモ

 1960年代に西日本一帯で起きた国内最大の食品公害とされるカネミ油症事件であるが、事件発生から40年以上経っても、被害者は苦しみ続け、十分な生活の補償をなされていない。

 福島第一原発事故で、放射能汚染が深刻な地域に、未だに小さな子供を含めて国民を住まわさせ続けている現状を見ると、「学会で発表してあっと言わせたかった」と言った医師と全く同じことが、現代の福島では行われているのではないだろうか?

 過去の悲惨な公害から、現代に生きる我々が学ぶべき教訓は多い。そんなことを感じさせる講演会だった。

IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。ぜひ会員にご登録ください。

新規会員登録 カンパでご支援

関連記事

「日本最大の食品公害・カネミ油症事件から「フクシマ」が見える 原田和明氏講演」への1件のフィードバック

  1. 荒井信一 より:

    これは非常に大切な話しだと思う。原田氏の話をじっくり聴くと政府や学者や企業の怖さが分かる。
    (1)現存していた本来の有効な効力のある法の枠組みが無視される。法律にない別な枠組みを都合で作る。
    (2)被害者を線引きする基準や期限を作る。グレーゾーンにある沢山の被害者がお互いに啀み合い争いを始める。
    (3)原因の真犯人が特定されいままに賠償請求が進行する。
    (4)学者が虚偽の学説を主張する。証拠となるデータが隠蔽される。本来の筋の通った主張や根拠ある異説が無視される。原因と特定された物を、関係者が裁判や賠償の有利不利で隠し公表を怠るために被害が拡大・増大する。主因と分かってからも対策が打たれずに放置される。人体事件と考えられる様なものもある。
    (5)国が加害企業を裏から支える構図がある。加害企業は潰れない。
    (6)直接の関係者だけでなく、弁護士や学者などの対応の誤りが被害をさらに甚大にしている。

    これから、福島の原発事故の裁判に関わる人は、是非知っておくべき事項だろう。

荒井信一 にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です