雨雲に覆われた空の下、福島からバスで到着した父母や子ども、被災者を支援しようと駆け付けた市民ら総勢600人が文科省の玄関前を埋め尽くした。目的は一ヶ月前の4月19日、文科省が学校の校庭線量の上限を年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)に定めたことに抗議するもの。
(取材・文:ぎぎまき、写真:原佑介)
雨雲に覆われた空の下、福島からバスで到着した父母や子ども、被災者を支援しようと駆け付けた市民ら総勢600人が文科省の玄関前を埋め尽くした。目的は一ヶ月前の4月19日、文科省が学校の校庭線量の上限を年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)に定めたことに抗議するもの。
■ハイライト
母親らは年間20ミリの即時撤回を求め、涙を流しながら「子どもたちの命を守ってください」と声を上げた。事前に高木大臣や政務三役に面会を申し入れるも断られ、渡辺格科学技術・学術政策局次長1人が主に対応した。
福島原発事故前、一般公衆が浴びても大丈夫だとされた被曝線量は年間1ミリシーベルト。20倍の「年間20ミリシーベルト」とは、放射線業務の従事者に適応される値だ。「この数値は夏休みまでの暫定だ」といい続ける文科省だが、まだ5月。夏休みまで毎日、子どもは被曝を強要されるわけだが、親として到底受け入れられないのは当然だろう。
「私たちの苦悩や悲しみがどれほどのものかお分かりですか…。子どもたちは、毎日毎日学校で被曝させられています」
福島からきた女性が子どもと共に、渡辺氏に向かって声明文を読み上げた。涙を流し、言葉につまる女性に対し、参加者からは「がんばれ」と声援が上がった。
文科省は原発事故後からこれまで、放射線量低減策を何も講じてこなかった。唯一、やってきたといえば、放射線モニタリング。数値の計測のみだ。言い訳を重ねる文科省の渡辺次長に対し、「それは策じゃないだろう」、「福島から来て手ぶらで帰れるわけがない」、「大臣や政務三役はどこにいるんだ!今すぐ連絡しろ」と、怒号が飛び交った。のらりくらりと中身のない弁明を繰り返す渡辺次長に対し、シュプレヒコールが途絶えることはなかった。約2時間に及ぶ直談判の末、渡辺氏は以下、3点に言及した。
「わざわざ福島から来て、実りがあったことと言えば唯一、こんなにも多くの人たちが福島の子どもたちを応援してくれていることが分かったことです。ありがとうございます」
救いの手を差し伸べない国を前に、打ちひしがれる福島の人々。「応援に駆け付けてくれた人々の数に勇気づけられた」。抗議の後、何度も耳にしたセリフだ。
5月の福島はすでに気温が高く、30度を超えているという。クーラーを買う予算もない中、児童たちは、閉め切った校舎の中で被曝を避けながら勉強を続けているという。