「この沖縄は、翁長が心の底から愛して、140万県民を、本当に命がけで守ろうとした沖縄です。今、デニーさんの話を聞いて、うちの人の心をデニーさんが継いでくれるんだ、と思ったら涙が止まりません」
2018年8月8日に急逝した翁長雄志知事の、後任を決める9月30日の沖縄県知事選挙まで、残りわずかとなった9月22日。沖縄県那覇市の新都心公園中央広場で開催された「玉城デニー うまんちゅ大集会」で、翁長夫人の翁長樹子(みきこ)さんは、声を詰まらせながら話した。
知事選に立候補した玉城デニー氏を応援するため、ひやみかちうまんちゅの会(気合を入れてがんばるオール沖縄の会)が主催したこの集会には、富川盛武沖縄県副知事、謝花喜一郎同副知事、宜野湾市長選予定候補(当時)の仲西春雅氏、伊波洋一議員ら国会議員、城間幹子那覇市長らが参加。主催者発表で約8000人が集まり、雨が降る中、登壇者のスピーチに耳を傾け、玉城氏に大きな声援を送った。
終盤に登壇した樹子夫人は、「私は今回、本当は静かに、県民の一人ひとりの出す結論を待とうと思っていました。ところが、日本政府の方のなさることが、あまりにひどいから……。たった140万の、(日本の人口の)1%の沖縄県民に、『オールジャパン』と称して、政府の権力をすべて行使して、私たち沖縄県民をまるで愚弄するように押しつぶそうとする。民意を押しつぶそうとする。何なんですか、これは?」と静かに怒りを表明し、次のように聴衆に語りかけた。
「簡単には勝てない。それでも、簡単には負けない。翁長がずっと言っていた、私たちウチナーンチュの心の中を、すべてさらけ出してでも、マグマを噴き出させてでも、必ず勝利を勝ち取りましょう、みなさん! ヌチカジリ(命の限り)、がんばりましょうね!」
集会は、冒頭で故翁長知事に黙祷を捧げて始まった。
ひやみかちうまんちゅの会会長の呉屋守將(ごや もりまさ)氏は、盟友の翁長知事について、「本来、保守系の人であったが、これ以上、ウチナーンチュが差別に苦しむのは我慢ならないと、本当の意味での『保守の道』を全うした。道半ばで倒れた本人が一番無念だろうが、その無念を晴らし、ウチナーンチュの尊厳、アイデンティティを守るために、われわれはがんばっていこう」と呼びかけた。
沖縄の経済振興にも触れて、「この場所(新都心公園)は昔、米軍基地だったが、今は多くの商店や住宅が立ち並び、市民の憩いの場になっている。那覇空港南岸の使われていない米軍兵站地は素晴らしいロケーションで、リゾート都市としてポテンシャルが高い。このように、沖縄経済発展の余地は、皮肉にも米軍が握っている。政府は沖縄の所得は低いと言うが、誰が低くしているのか」と訴えた。
富川盛武沖縄県副知事は、「玉城デニー候補は、翁長知事の遺志を引き継ぎ、沖縄を発展させることができる唯一の候補だ」と力を込めた。その上で、翁長知事が進めたアジア経済戦略構想の実績として、観光客の増加、企業誘致の成功、失業率の改善などを挙げ、「翁長知事は『誇りある豊かさ』を強調してきた。札束で顔を叩くやり方では、それは実現できない。基地返還の方が、はるかに沖縄は発展する。誇りある豊かさを実現できるのは、玉城候補だ」と語った。
2014年秋、知事選出馬のために那覇市長を辞職した翁長氏の、後継者となった城間幹子那覇市長は、「私は、翁長さんから市政のバトンを渡された。そして今度、翁長さんから(県政の)重いバトンを受け取って新たな沖縄の未来をリードしてくれる人は、玉城さんしかいない。誇りある豊かさを持った沖縄を、前へ進めていきましょう」と挨拶した。
若者代表としてマイクを握った18歳の照屋美波氏(ひやみかちうまんちゅの会青年局)は、「私たちの未来に、きれいな海を残してもらいたい。安全な空をつくってもらいたい。私たちの未来を、私たちで決められるように。デニーさんを応援する時、私たちは『デニってる!』と言います。皆さーん、デニってますかー?」と呼びかけ、会場から大きな歓声を受けた。
宜野湾市長選挙に立候補予定の仲西春雅氏は、昨年12月7日、普天間基地がある宜野湾市の保育園で起きた、米軍ヘリの部品落下事故に言及。「私は保育園の父母らと署名を集め、『市から米軍に抗議を』と佐喜真市長に会いに行ったが、対応は冷たかった。子どもの命、安全な教育環境を守るためにも、日米両政府にものが言える知事を出していこう。玉城デニーさんに、沖縄を引っ張ってほしい」とエールを送った。
ひやみかちうまんちゅの会・調整会議議長の照屋大河氏は、「ウチナーンチュの未来は、ウチナーンチュが決める。翁長知事は『辺野古の新基地建設を認めない決意は、県民とともにある』と命を削って訴えてきた」と話し、その遺志を継ぐのは玉城氏だと訴えた。
そして、沖縄県知事候補の玉城デニー氏が壇上に立つと、一段と大きな大きな拍手と歓声が上がった。
玉城氏は、「翁長知事の2期目当選に向けて準備を進めていた矢先、知事が亡くなり、(後継として)私の名前が出て、みんなが支えてくれるということになった。その、一人ひとりの思いに真剣に応えていく」とし、翁長知事が掲げていた「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉について、次のように語った。
「個人の中から湧き上がってくる考えや思いは、その人の信念。それぞれのイデオロギーは尊重する。しかし、イデオロギーだけで解決できない問題が生じた時、お互いを理解するのがアイデンティティ。つまり私たちは、沖縄のためなら、思想信条を乗り越えて、右も左も、富める人も貧しい人も関係なく、みんなでひとつになって大きな力を発揮できる。これが翁長知事が遺してくれた、未来への確かな遺言だ。私は、翁長知事の理念を全うして、貫いていく!」
さらに、子どもの貧困対策を重視した翁長知事の政策を引き継ぐこと、経済面ではアジアのダイナミズムを取り入れ、その利益を沖縄の優しい社会を作るために還元することを表明。「そのためには平和でなければならない。辺野古に、新しい基地は絶対に作らせない!」と力説した。
また、2017年12月13日に、米軍ヘリが約8キロの窓を落下させた普天間第二小学校の状況に触れて、「先生が、子どもたちにシェルターへの避難を呼びかける。こんな小学校が、世界のどこにあるんですか!?」と怒りをにじませ、「普天間基地は閉鎖、返還です」と明言した。
「私たちは誓いましょう。この県知事選挙で、日本政府から、アメリカから、沖縄を取り戻す!」と玉城氏が高らかに宣言すると、会場のスピーカーから生前の翁長知事の「ヌチカジリチバラナヤーサイ(命の限り、がんばろう)!」という肉声が流れた。場内は大歓声に包まれ、あちこちから「デニー」コールが響きわたった。
最後に、翁長知事の次男で、那覇市議会議員の翁長雄治(たけはる)氏がマイクを握り、「私たち、もう一度、心をひとつにして走り抜けましょう。この選挙は『勝ちたい』のではなく、子や孫のために『勝たなくてはいけない』選挙なんです」と訴え、全参加者で「がんばろう!」を三唱した。散会となっても、会場はしばらく熱気に包まれていた。
※2018年9月27日、テキストを追加しました。