陸上自衛隊のイラクでの活動状況を記録した「日報」は、2017年2月の時点では「存在しない」と当時の稲田朋美防衛大臣が答弁していた。ところが、その年の3月27日に一部の職員が当の日報を研究本部教訓センターの外付けハードディスク内で発見。しかし、それから一年以上にもわたって大臣や政務三役、統合幕僚監部らに報告されることはなく、明るみに出たのはようやく2018年4月2日の小野寺五典防衛大臣による会見だった。
▲民進党・小西洋之参議院議員
この問題を受けて4月5日に衆議院本館内で行われた第2回「イラク日報隠ぺい疑惑」野党合同ヒアリングでは、「組織ぐるみでの隠蔽ではないか」と疑う声が高まった。
4月5日のヒアリングで、防衛省の鈴木敦夫統合幕僚監部総括官は、今まで存在しないとされていたイラクの日報が見つかった経緯について、「2018年3月5日に知り、その日のうちに文書課へ伝えた。さらに3月29日に官房長、30日に次官や統合幕僚長、31日に小野寺大臣に報告した」と述べた。これを受けて4月2日の大臣の会見につながったというストーリーだ。
民進党の小西洋之参議院議員は「防衛省の文書課長は大臣官房の総務課長に相当する。3月5日に文書課へ伝えた時点で当然、小野寺大臣まで報告が上がらないわけがない」と指摘。一方で「31日にようやく大臣に報告したというなら、それまで伝えなかった理由は何か」と追及した。
これに対し、鈴木総括官は、大臣に伝えるまでに26日もかかった理由について「全体の量や航空自衛隊、海上自衛隊の保管状況も確認していたため」と説明した。小西議員は3月5日時点の国会が財務省による公文書改竄問題で炎上していたことに触れ、「火に油を注がないように、防衛省で隠蔽しておけという指示を官邸から受けたのではないか。年度が変わり、予算案の成立を見届けて公表したのでは」と発表のタイミングについても疑問を投げかけた。
- 日時 2018年4月5日(木) 14:30頃~
- 場所 衆議院本館(東京都千代田区)
- 主催 野党6党(民進党、立憲民主党、希望の党、共産党、自由党、社民党)
ジャーナリストの布施祐仁氏「隠蔽の連鎖の最初のきっかけを作った責任は政府にある」!
防衛省では、大野敬太郎政務官をリーダーとする調査チームを結成し、さっそく当時の関係者に対して聞き取り調査などを開始した。結果発表の時期について、鈴木総括官は「確認でき次第、発表したい」「期限は明示していないが、できる限り早く出したい」と答えた。しかし、小西議員は「隠蔽・改竄内閣で調査チームを作っても信用できない。第三者で作るべきではないか」と追及した。
▲布施祐仁氏(IWJ撮影)
今回、新たに日報が見つかった陸上自衛隊のイラク派遣は2004年1月から2006年7月の約2年半にわたって行われた。イラク南部のサマワで学校や道路などの施設整備、給水活動や医療技術の指導など、イラク戦争後の復興支援に当たった。サマワはイラク支援法にもとづいて「非戦闘地域」とされていたが、部隊の宿営地やその周辺には前後13回にわたって迫撃砲弾やロケット弾が撃ち込まれるなど、予断を許さない治安情勢が続いていた。
イラク派遣の日報には、部隊の活動状況や現地の治安情勢のほか、外国の部隊とのやり取りの状況など、部隊の安全な活動に欠かせない重要な情報が記され、東京の陸上幕僚監部などに毎日、報告されていたという。当時、部隊の日報は陸上自衛隊の文書管理規則で、保存期間が1年未満とされ、用済み後は破棄する扱いになっていた。
イラクの日報が発見されたという2017年3月27日時点で防衛大臣だった稲田朋美衆議院議員は2018年4月4日、「驚きとともに、怒りを禁じ得ない。上がってきた報告を信じて国会で答弁してきたが、こんなでたらめなことがあってよいのか」とまるで自身が被害者でもあるかのようにコメントした。
「組織的隠ぺい行為が行われていたのではないか!?」イラク日報問題について民進・小西洋之参院議員が鋭く追及! https://iwj.co.jp/wj/open/archives/417007 … @iwakamiyasumi
問題の発端は政府にあるが、防衛省が米国の意向に沿ったのでは?という疑問が残る。いずれにしろ国という仕組みが崩壊しているのは間違いない。
https://twitter.com/55kurosuke/status/982377148856979456