性被害当事者の話を聞けば、それでジャーナリストとしての仕事は一つ仕上がったことになる、のか? 自問自答している。詩織さんは精力的に発信し続けている。それに対して加害者側の山口氏は極右雑誌で反論手記。ネット番組にも出て弁明し、さらに詩織さんの傷を深めた。
- 山口敬之氏が月刊誌で反論へ、「独占手記 私を訴えた伊藤詩織さんへ」(スポーツ報知、2017年10月25日)
こうしたメディアを通じてのセカンドレイプに、どう抗したらいいのか。月刊HANADAに登場して、心無い侮辱を加えるような下劣な面々はいくらでもいる。そのいちいちに被害当事者に反論させる場面を作ることしかできないとなると、被害当事者の消耗は激しく、できることは限られてくる。
東京新聞の、この後藤弘子教授の文章は、女性が構造的な劣位に置かれていて、理不尽な扱いをしばしば受けていること、そうした構造に問題があることを見通しよく照らし出してくれる。こうした視点は必要。もちろん、弱者が犠牲となった時、個別の犠牲と尊厳を取り返す局地戦の戦いは別途不可欠だが
- 13日付 東京新聞 性犯罪規定、改正後残る課題 後藤弘子法科大学院教授 「性犯罪規定『強姦神話』が強力、被害者のリアリティーとかけ離れ『逃げろ、抵抗しろ、助けを呼べ』と被害者に要求。意識のない状態での強制性交等は、相手が『同意と思った』と言えば故意が簡単に認められなくなる構造前提」(望月衣塑子氏ツィート、2017年11月13日)
視野を広げてみれば、つらい理不尽な思いをさせられているのは性被害にあった女性だけではなくて、在日外国人、少数先住民、病者、貧者、被差別者、戦争被害者、難民、収奪経済の被害者など多数多様である。その全てに共通するキーワードがやはり人権で、その言葉そのものが今、攻撃対象となっている。
こんな日が、正直、くるとは思っていなかった。人権は、当たり前すぎるほど当たり前の「公理」のような概念で、当たり前すぎるから退屈で、退屈だと、ちょっといたずら半分におちょくりたくなる。おちょくったり揶揄しても、ビクともしないのは、「公理」だからこそ。そのくらいに信頼していた。
あまりにも理不尽で、唐突なこの宣戦布告は、良識的で、心優しい人ほど、その残酷な意図が理解できず、応戦の構えも、逃げ出す用意もできない。宣戦布告はすでになされ、その戦線は、社会のありとあらゆる分野、構造、場面、制度、接点、瞬間、モメント、出来事に広がり、戦闘が日々仕掛けられている。
そうしたことを、我々は伝えていかなければならない。本当に国民が注意を払うべき警戒警報は、政府のJアラートなどではなく、日本の(いや下手すると世界の)細部で、次々と仕掛けられて行く人権侵害の犯罪が、単なる犯罪ではなくて、「基本的人権をなくす」ための戦争の一端なのであると。
各々の弱き人々への各々の卑劣漢(漢とは書いたが卑劣な女性の場合もある)攻撃が、一見バラバラに点在してはいる。しかしこれらは基本的人権そのものを絶滅させるジェノサイド戦争の一部なのだ。そしてこの基本的人権絶滅戦争は、国民主権の転覆というとてつもないクーデターと表裏一体となっている。
- 「欧州は白人の地」、極右デモに6万人 ポーランド独立記念日(CNN、2017年11月13日)
伝えなくてはならない。伝えなくてはならない。人権をめぐる一方的な戦争はそこかしこで、始まっていることを。何の銃弾で撃たれたかさえ、知らない人がいて、被害者なのに自らを責めて泣いている人に、伝えなくてはならない。あなたは何も悪くないのだと。人権そのものへの一方的な戦争こそテロだと。
各々の弱き人々への各々の卑劣漢(漢とは書いたが卑劣な女性の場合もある)攻撃が、一見バラバラに点在してはいる。しかしこれらは基本的人権そのものを絶滅させるジェノサイド戦争の一部なのだ。そしてこの基本的人権絶滅戦争は、国民主権の転覆というとてつもないクーデターと表裏一体となっている。
※2017年11月15日付けのツイートを並べて加筆し、掲載しています。