【IWJ検証レポート】「どの国家にも属さない最も虐げられてきたロヒンギャ」問題は軍事政権によって意図的に作られた!?「民族浄化」に対し世界中からアウンサンスーチー氏に対して非難の声!! 2017.9.15

記事公開日:2017.9.15 テキスト
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(文・城石裕幸)

 ミャンマー(この国名は軍事政権が1989年に一方的に使い始めたため、民主化運動支持者の一部は今でも「ビルマ」を使っている。本稿では1989年を境にそれ以前は「ビルマ」を、以降は「ミャンマー」を使う)の西部ラカイン州で、「ロヒンギャ」と呼ばれる少数派イスラム教徒の武装集団と治安部隊との戦闘から逃れるため、隣国のバングラデシュに逃れる「ロヒンギャ難民」が急増している。

 2017年8月25日、ロヒンギャとされる武装勢力が現地の警察署などを襲撃し、警察官と軍人12人、武装勢力59人が死亡する事件が起きたことをきっかけに、軍や治安当局が掃討作戦を開始した。ロヒンギャ側の武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」が「治安部隊に対する防衛行為」として声明を出し、ミャンマー政府は同日中にARSAを「過激派テロ組織」に指定した。

 衝突を逃れてバングラデシュに逃れたロヒンギャや、人権監視団体などからは、ミャンマー軍が放火や住民を殺害しているとの証言も出ている。しかし、ミャンマー当局者は、家屋焼失や民間人の死亡はロヒンギャ武装勢力の責任だと決めつけている。

 国際移住機関(IOM)は、戦闘が始まった8月25日以来9月11日までに、バングラデシュへ37万人が越境したと発表した。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、過去5年間にミャンマーから国外に脱出したロヒンギャは推定16万8500人。わずか半月でこれを大きく上回ったことになる。

 「少数民族に対する民族浄化」といったセンセーショナルな語り口で、国連や人権団体、メディアに大きく取り上げられる「ロヒンギャ」とは、いったい何者で、なぜ迫害を受けているのだろうか?

▲ロヒンギャ難民(2012年 ウィキペディアより)

記事目次

多民族国家ミャンマー政府から少数民族に公認されない辺境の異教徒ロヒンギャ

 ミャンマーの宗教は、信仰の熱心さは様々だが、上座部仏教(テーラワーダ。かつては小乗仏教と呼ばれていた。初期仏教)の信者が、全人口5100万人のうち90%を占める。イスラム教徒(ムスリム)は5%前後、他に英国植民地時代の影響でキリスト教徒が5%前後いる。

 ロヒンギャはミャンマー西端、バングラデシュと国境を接するラカイン州北部に居住するムスリムの人々のことを指す。バングラデシュはムスリムの多い国だ。ラカイン州は、チベット・ビルマ語を話す仏教徒ラカイン族(アラカン民族)の土地だが、ロヒンギャはバングラデシュに暮らすベンガル人と同じベンガル語を使い、ルーツがベンガル人であることは明らかだ。

▲ミャンマー地方行政区分(ウィキペディアより)

 ミャンマーは大きく分けて8つの主要民族からなり、州の区割りと各主要民族の居住地がほぼ重なり合う。約70%を占めるのがビルマ族だ。各民族はさらに細かく135の少数民族に分かれるとミャンマー政府は規定しているが、ロヒンギャは「ミャンマーの少数民族」と認められていない。

歴史上様々な国の支配下に置かれたラカイン族とベンガル人の接点〜国境確定は1966年

 15世紀から18世紀にかけて、現在のラカイン州からバングラデシュの南東部チッタゴンあたりまでを支配していたアラカン王国という国があった。

▲バングラデシュ 南東部にあるのがチッタゴン。その下、コックスバザールには現在ロヒンギャ難民キャンプが置かれている(ウィキペディアより)

 ベンガル湾に面したアラカン王国は、アラカン山脈によってビルマの中心地である中央平野部とは隔てられていたため、海洋国家として中東や東南アジアと広く交易し、独自の文化を築いてきた。

 アラカン王国はラカイン族(アラカン民族)の王朝だったが、王は仏教徒でありながら対外的にはイスラムの王も名乗り、貿易のために2つの名前を使い分けていた。王宮の中にはベンガル人のムスリムにも役職があった。

▲ミャンマーの地形図(ウィキペディアより)

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