今、世界と日本のボクシングがとにかく熱い!特にこの9月はとんでもなく熱い!こんな時代に立ち会えて幸せである。その幸せを普段、ボクシングにあまり関心がない人にも分かち合いたい。
WBO世界スーパーフライ級王者・井上尚弥(23歳=大橋ジム)が9月4日、ランキング1位のペッチバンボーン・ゴーキャットジム(31歳=タイ)に10ラウンド3分3秒でKO勝ちを収め、見事3度目のベルト防衛に成功した。
▲井上尚弥の2度目の防衛戦、対ダビ・カルモナ戦が行われた有明コロシアム(2016年5月8日)
11戦11勝無敗、9KO。王者にふさわしいレコードを着実に更新している井上だが、勝利者インタビューに応じた井上の顔は浮かない。
「家に帰ったら、これは(父から)お説教ですね。怪我はいいわけにならない。これが僕の今日の出来です。すみませんでした。最後は意地で出ましたが、それまでが全然ダメ」
井上は試合の2〜3週間ほど前に腰を痛め、試合前にはスパーリングもできない状態だったという。腰が「ひねれない状態」では、力を込めた強いパンチは打てない。そのうえ、4ラウンド以降は右拳を痛めてしまった。それでも「最後は意地」で相手をマットに沈めたわけだが、仮に判定にもつれ込んでいたとしても勝利していたことは疑いようがない。
どのラウンドも確実に井上がポイントを取っていたと、ボクシング歴の浅い筆者でも思う。
にも関わらず、井上は喜びの表情を浮かべることもなく、肩を落とす。トレーナーの父・井上真吾氏の表情も厳しく、終了のゴングが鳴ったあと、祝福のためにリングに上がろうとさえしなかった。
あまり見慣れない光景である。ボクシングとは本来、常に紙一重の勝負で、勝負はその時のコンディションや運にも左右される。一方がかならず勝つ、勝って当たり前、などという保証はない。特にタイトルがかかった世界戦ともなれば、試合後、勝者サイドは大きな歓喜に包まれるのが普通だ。ぎりぎりの判定であっても、勝つと負けるとでは天地の開きがある。
しかし、井上尚弥だけは事情が違う。
ボクサーとして卓越した才能を持った井上にファンは世界タイトルを防衛し続ける事以上の何かを期待しているし、井上自身も「ただの世界チャンピオン」にとどまるつもりはないようだ。自他ともに「もっといい勝ち方ができる」という意識がある。逆にいえば、常に「井上らしい勝ち方」を求めるという、贅沢なジレンマに我々は陥っている。
日本ボクシング界に表れた「怪物」井上尚弥の強さと目指す先
アマチュア時代からあらゆる大会を制し、鳴り物入りでプロデビューした井上尚弥は2014年4月6日、当時、日本人最速となるプロ6戦目でアドリアン・エルナンデス(当時28歳=メキシコ)から世界王者のベルトを奪取(6ラウンドTKO)した。
同年12月30日、2階級上げた井上は当時WBO世界スーパーフライ級王者のオマール・ナルバエス(当時39歳)に挑戦。ナルバエスはフライ級、Sフライ級王座を計27度防衛もしていたアルゼンチンの名王者で、「井上もさすがに苦戦するだろう」というのが大方の見方だったが、井上は予想を大きく裏切り、プロ・アマ通算で159戦のうち一度もダウンを喫したことがないという「生きる伝説」ともいうべきナルバエスから計4回のダウンを奪ったうえで、早くも2ラウンド目でKO勝利をおさめたのだった。
こうして世界最速で2階級制覇を達成した井上は、翌15年12月29日の初防衛戦でも、同階級1位の挑戦者・ワリト・パレナス(当時32歳=フィリピン)を2ラウンドで撃破。パレナスをガードの上からなぎ倒し、ダウンを奪うという離れ業もやってのけた。
「怪物」の快進撃にボクシングファンは色めき立った。
しかし井上尚弥は16年5月8日、同級1位のデビッド・カルモナ(24歳=メキシコ)を相手に戦った2度目の防衛戦では、試合中に自身の左右の拳を壊すというアクシデントに見舞われる。ハードパンチャーの宿命である。拳が自身の強打に耐え切れないのだ。
フィニッシュブローが放てず、判定にもつれ込んだ結果、大差をつけてベルトを守ったが、井上尚弥の「圧勝」を当たり前のように信じていたファンにとっては意外な試合展開となった。井上自身も満足いかなかった様子で、試合後には「こんなみっともない試合ですいません」と反省の弁を述べていた。
しかし、カルモナ戦も、今回のペッチバンボーン戦も、井上が圧倒的な強さでベルトを防衛していることを忘れてはならない。相手はみんな世界ランキング1位の実力者である。今にもベルトに手が届くという位置にまで上りつめた猛者たちを、不調を抱えたままねじ伏せる。王者井上とランキング1位の挑戦者の間にはそれだけの力の差が存在するのである。
カルモナ戦では初めて顔を腫らしたとはいえ、井上尚弥はここにくるまでのすべての試合で、ダメージらしいダメージを受けていない。目がふさがるほどまぶたが腫れ上がったことも、流血したことも、ダウンしたことも、一度もないのだ。井上尚弥は日本ボクシング史上、例を見ないポテンシャルを秘めている。だからこそ、ファンは「怪物・井上」に期待をかけ、今よりもさらに「上」を求めてしまう。
「上」とはすなわち、パウンド・フォー・パウンド(全階級を通した現役ボクサーランキング)で1位に君臨する軽量級の絶対王者・ローマン・ゴンサレスへの挑戦である。
世界最強のボクサー・ローマン・ゴンサレス、愛称は「チョコラティート(チョコレート)」!
難攻不落のニカラグアの英雄・ローマン・ゴンサレス(29歳)。彼が試合をする日は、「国中の機能がストップ」するほどニカラグア国民がこぞって応援すると言われている。日本では「ロマゴン」の愛称で親しまれている。
アマチュアボクシングの王者だった父の手ほどきで10歳からグローブを握ると、すぐに才能を開花。87戦無敗のアマチュア成績をひっさげ、2005年に18歳でプロデビューし、今日まで45戦45勝38KO無敗のパーフェクトレコードを誇っている。「チョコラティート(=チョコレート)」という可愛らしいニックネームに不釣り合いな強打を誇り、KO率は84%にも達している、まさに「怪物」だ。
そのボクシングスタイルは王道をゆくスタイル。ガードを固めて、相手のパンチをことごとく防御しつつジリジリと前進して圧力をかけ、自分は打たれずに相手を打ち続ける理想的なボクシング」に徹する。上下の打ち分けに定評があり、軽量級とは思えないフックやアッパーでKOの山を築いてきた。
チャンピオンが軒並み対戦を避ける、ロマゴンの「パーフェクトレコード」
08年9月、20戦全勝で世界タイトルに初挑戦したロマゴンは、当時チャンピオンベルトを7度連続防衛中だったWBA世界ミニマム級王者・新井田豊(当時29=横浜光ジム)に挑み、わずか4ラウンドでTKO勝利。初タイトルを獲得。翌09年には2度目となる防衛戦で元WBC世界ミニマム級王者・高山勝成の挑戦を受け、返り討ちにした。
2010年10月には階級をライトフライ級に上げ、2階級制覇を達成。2012年、ライトフライ級で5度の防衛に成功したロマゴンはWBAからスーパー王者認定を受ける。
2014年には3階級制覇すべくフライ級に転向。スーパー王座を返上し、同年9月、国立代々木第二体育館で当時のWBC世界フライ級王者で、井上尚弥の先輩にあたる八重樫東(当時31歳=大橋ジム)に挑み、9回2分24秒TKO勝ちを収め、3階級制覇を成し遂げた。
メジャー団体のチャンピオンたちが軒並みロマゴンとの対戦を拒む中、「こういうのは、誰もやりたがらないときに手を挙げるのが一番オイシイんですよ」と言って挑戦を受けた八重樫。試合後には「やはりロマゴンは強かった。打たれたら打ち返す、根本的な勝負しかできなかった」と振り返ったが、八重樫の一歩も退かないその姿に会場は興奮の渦に包まれた。
ロマゴンは、その後、八重樫から奪ったベルトを4度防衛。敵なしとなったロマゴンは今年7月、4階級制覇を目指し、階級をもうひとつ上のスーパーフライ級にあげる決断をした。その階級には、井上尚弥が一歩先に王者として君臨している。
井上とロマゴン、夢の対戦へ!? ロマゴン相手に井上尚弥の拳は持つのか!?
井上尚弥とローマン・ゴンサレス、どちらが強いのか――。
日本中のボクシングファンの中で常に熱く語られてきたことだが、階級が違うことから、これまで実現せずにいたこの夢のカード。しかし、ロマゴンが階級をあげたことで、ファンが熱望してきた一戦が一気に現実味を帯びてきたのである。
ロマゴンは9月10日、カリフォルニア州イングルウッドのザ・フォーラムでWBC世界スーパーフライ級王者カルロス・クアドラス(28歳=メキシコ)に挑む。
クアドラスは2005年には国際ジュニアオリンピックバンタム級金メダル獲得し、2007年にはリオデジャネイロで行われたパンアメリカン競技大会のバンタム級でも金メダルに輝いている。プロでの戦績は36戦35勝(27KO)1分。WBC世界スーパーフライ級王座を6度防衛している。ロマゴン同様、クアドラスもまた、無敗街道を突き進んできた偉大なボクサーだ。
井上陣営は、3度目の防衛戦のあと、ロマゴンと戦う意志を表明。井上が所属する大橋ジムの大橋秀行会長は、井上とともに渡米してロマゴン対クアドラスの一戦を視察しに行くことを明らかにした。
無敗の選手同士がぶつかり合えば、どちらか一方が必ず敗北し、その瞬間から無敗のボクサーではなくなる。こんなスリリングな対決はそうそうあるものではない。パウンド・フォー・パウンド最強とみなされるロマゴンであっても、真剣勝負であるからには、必ず勝つとは限らない。もしロマゴンに初黒星をつけたら、その瞬間、クアドラスは全世界から注目を浴びるスーパーヒーローとなるだろう。
ロマゴンとの「宿命の対決」に向けて、井上の周囲はいよいよ動き出そうとしているが、そんな中、懸念されるのは、井上尚弥の「拳」である。ナルバエス戦でも拳を痛めた井上は1年間試合をせず、拳の手術を受けたが、結局、今に至っても試合のたびに拳が悲鳴をあげている。類まれな才能にめぐまれた「怪物」は、このまま悲劇のヒーローとなってしまう可能性も十分にある。
しかし井上は、エルナンデスに挑んだ世界発挑戦の際には、減量の影響で試合中に足がつるアクシデントにも見舞われている。ロマゴンは不調を抱えた状態の井上が、余裕をもって勝てるような相手ではない。
ボクシングモバイルニュースは9:1のオッズでロマゴン有利と紹介しているが、勝負というものは最後の最後まで、何が起きるかわからない。
仮に前評判通り、ロマゴンがクアドラスに勝利し、井上とロマゴンの世紀の一銭が実現したとしても、井上がどこまでロマゴンの牙城に迫れるか。
もちろん井上が最高のコンディションでリングに上がることができたら、ロマゴンに初黒星をつける可能性もあるだろう。
井上尚弥がロマゴン戦を視察へ!自身はまずWBA世界王者のルイス・コンセプシオンとの統一戦を交渉中!
前記の通り、井上尚弥と大橋秀行会長はクアドラス対ロマゴンの一戦を現地に視察にいくという。ペッチバンボーンの挑戦を退けた直後のリング上で、大橋会長は、「10日にローマン・ゴンサレスの試合がロサンゼルスであります。尚弥を連れて視察に行ってきます。そこで(ロマゴンと井上尚弥が)戦う交渉に入りたいと思います」と宣言。会場は大いに盛り上がった。
井上陣営は、次戦として、WBA世界同級王者のルイス・コンセプシオン(30歳=パナマ)との統一戦を交渉中だ。コンセプシオンは8月31日、4度目の防衛戦に臨んだ河野公平(ワタナベ)を3−0の判定で破り、WBA王座を獲得した新王者である。
井上はコンセプシオンについて、「パワーがすごくある。警戒はしないといけないが、力負けはしないと思う」とコメントしているが、コンセプシオンは「井上って誰だ? 試合の映像も見たことがないからコメントのしようがない」と見下したような発言をしている。もちろん、世界中の強豪ボクサーの試合の動画が今やネット上で見れてしまう時代であるから、このコンセプシオンの「井上って誰だ? 」というコメントは真に受けられない。むしろ、井上を意識してあえて挑発しているというべきであろう。井上とコンセプシオンの「前哨戦」はすでに始まっているようだ。
年末にこのカードが実現し、井上が勝負を制してWBOとWBAの統一王者になることができれば、対ロマゴン戦に向かってさらに一歩前進することになる。
(ここで全くの初心者、もしくは20年位ボクシング観戦にブランクのあるオールドファンの方々のために急いで付け加えておくと、現在のボクシング界は、WBA、WBCという老舗団体に加えて、IBP、WEOという新興団体が加わり、一つの階級に最大で4人の王者が存在する)
いずれにせよ、井上尚弥もロマゴンも、目の前の王者との試合に集中しなければならない。そのうえで、両者とも勝利したあかつきには、日本のボクシングファンが夢見たビッグマッチがいよいよ現実のものとなり、早ければ来年の秋にもロマゴンとの統一戦が実現するだろうといわれている。
まだまだある注目のカード!9月はボクシングがとにかく熱い!
他にも9月は見逃せない対戦カードが目白押しだ。
9月9日にはモスクワで、IBF世界スーパーライト級3位の小原佳太(29歳=三迫ジム)が王者トロヤノフスキー(36歳=ロシア)を相手に、世界タイトルマッチに初挑戦する。
トロヤノフスキーはキックボクシング出身で、ボクシングではこれまで24勝21KO無敗を誇る。対する小原は17戦15勝(14KO)1敗1分け。今回、世界王座を獲得すれば、日本人では藤猛、浜田剛史、平仲明信に次いで日本ボクシング史上4人目となるスーパーライト級王者となる。
※※(9月10日追記) 試合は残念ながら、小原が2回1分35秒でTKO負けを喫した。第1ラウンドはいいパンチも何度かヒットさせた小原だったが、2ラウンド目に右ストレートを浴びると、ふらついて後退。強烈な左フックからの右アッパーをもらうと、そのままリング下まですべり落ちてしまった。小原はすぐ起き上がってリングに上がり、試合は再開されたが、その後、強烈な連打をもらい、レフェリーストップとなった。
小原のリングアウトの模様は、2013年3月、ゴロフキンがWBA世界スーパーウェルター級暫定王者・石田順裕(のぶひろ、当時37歳=グリーンツダ)を退けた試合を彷彿とさせた。石田はリングアウトこそしなかったものの、左アッパーからの右フックを顔面に叩き込まれ、ロープ外に殴り倒されている。
もちろん、世界ランク3位の小原が弱いはずはない。相応の実力の持ち主である。しかし、世界の壁というものは本来、ぶ厚いものなのだ。井上尚弥「だけ」を観ていると、「勝って当たり前」のような気がしてくるが、それは錯覚というもの。
トロヤノフスキーやゴロフキン、世界最速の2階級制覇王者のWBO世界スーパーフェザー級王者・ワシル・ロマチェンコ(28歳=ウクライナ)など、旧共産圏から巧さと強さを兼ね合わせた実力者たちが続々輩出されていることにも大いに注目したい。
9月10日には、WBA、WBC、IBFの3団体で統一世界ミドル級王者に君臨するゲンナディ・ゴロフキン(34=カザフスタン)の防衛戦が予定されている。
▲ゲンナディ・ゴロフキン(WikimediaCommonsより)
ゴロフキンは、04年にアテネオリンピックミドル級で銀メダルを獲得し、06年5月にプロデビューを果たしたボクサーで、デビュー以来、35戦全勝、うち32KO(KO率91%)という恐ろしい戦績を誇っている。ちなみに、現在、22連続KO勝ちと記録を伸ばし続けている。
今回の対戦相手も、やはり36戦全勝(25KO)のIBF世界ウェルター級王者・ケル・ブルック(30歳=イギリス)。ブルックは階級を上げて絶対王者ゴロフキンに挑む。このカードもロマゴン対クアドラス同様、全勝同士の対決となる。絶対に目が離せない。
ちなみに、ロンドンオリンピック金メダリストの村田諒太(30歳=帝拳)が現在、WBC世界ミドル級の5位に位置している。戦績は11戦11勝8KO 。これだけ重い階級で世界に食い込む日本人は珍しいが、いつかゴロフキンに挑戦する日を心待ちにしているファンも多い。
9月16日には、エディオンアリーナ大阪で、WBC世界バンタム級王者・山中慎介(33=帝拳)が11度目の防衛戦に、そして元2階級制覇王者・長谷川穂積(35=真正)が3階級制覇に挑戦するダブル世界戦が行われる。
山中の相手は元WBA世界バンタム級スーパー王者・アンセルモ・モレノ(31歳=パナマ)で、二度目の対戦となる。日本記録は具志堅用高氏のもつ13回連続防衛。前回2015年9月の試合では、両者一步も譲らぬ激闘となり、山中が2-1という僅差の判定でモレノを下している。「常に(モレノを)想定しながら練習してきた。しっかり決着をつけられる自信はあります」と意気込む山中。この一戦で山中が防衛を11回に伸ばせば、日本歴代2位に並ぶ。
サウスポースタイルから「神の左」と呼ばれる必殺の左ストレートを繰り出す山中には、日本記録更新の期待がかかる。
山中と同じく10度連続防衛記録を持つ長谷川は、2014年4月以来、2年5カ月ぶりの世界戦。35歳9カ月で勝利すれば日本人最年長世界王座奪取となるが、長谷川は今回の試合が「ラストチャンス」と明言。背水の陣でWBC世界スーパーバンタム級王者・ウーゴ・ルイス(29=メキシコ)に挑む。
王者・ルイスはWBA世界バンタム級暫定王者として2012年に初来日した際、同級正規王者の亀田興毅(当時26歳)と王座統一戦を行い、1−2の、これも僅差で判定負けを喫した。今回は、「調整は今までで一番うまくいった。約3カ月、長谷川のようなタイプを想定して練習してきた」とベルト堅守に意気込みをみせている。
ここまでみてきたように、今、世界と日本のボクシング界がとにかく熱い。普段は観戦しない人も、この記事をきっかけにボクシングに興味を持っていただければ幸いである。