【岩上安身のツイ録】WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志、敗れる!具志堅用高の記録に一歩届かず!今後のボクサー人生に岩上安身「願わくば自身が納得するボクシング人生の締めくくり方を」 2016.4.28

記事公開日:2016.4.28 テキスト
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※2016年4月28日付けのツイートを並べて掲載しています。

 興味のない人にはどうでもいいことだろうが、昨夜の内山高志の敗戦はショックだった。

 2016年4月27日、東京・大田区総合体育館WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチが行われた。12度目の王座防衛をかけた一戦で、王者の内山高志が、ランキング1位で暫定王者のジェスレル・コラレス(パナマ)にわずか2ラウンドでKO負けを喫した。2010年のタイトル獲得から6年3カ月、ついに王座から陥落。控室に戻った内山は「調子は良かった。これが実力。完全なKO負けです」と振り返った。

 結果を知ってから録画を見たのだが、初回から精気というか、覇気が感じられない。スロースターターであることを除いても、微妙におかしい、と感じる。相手は確かにスピードはある。変則的でもある。だが隙もある。

 昨年末の11度目の防衛戦。オリバー・フローレスを左ボディ一発でくの字に折ってKOした衝撃が忘れられない。内山は文句なしに強い。誰もが思った。そのわずか4ヶ月後、対戦相手のスピードに追いつけず、反射が少しずつ遅れる老いた馬のような内山を見ることになるとは想像もしなかった。

 対戦相手はパナマのinvisibleこと、ヘスリール・コラレス。25歳。内山は36歳。今年の11月がくれば37歳になる。何かモチベーションがなければ、身体を内側から張り詰めてゆくことは難しい、そんな歳にとっくに差し掛かっている。

 周囲は、具志堅用高のもつ日本記録13度の防衛回数を更新することのみにとらわれていて、内山の思いを汲み取り、どうモチベーションを支えてゆくか、無頓着だった感がある。

 日本から一歩も出ない内弁慶で安全第一のマッチメイク。ニコラス・ウォータースのようなスーパースターと晴れ舞台ラスベガスで戦いたい、という内山の思いも一向にかなわない。もちろん、ジムとしては、自前で興行を打ち続けたいところだろう。中継してくれるテレビ東京への義理もある。

 マネジメントをしているワタナベジムとすれば、内山が着実に防衛回数だけ重ねてくれて、日本国内で話題になればそれでいい、冒険して虎の子のタイトルを失ったら元も子もない。タイトルあっての人気なのだ、と考えていたとしても少しも不思議ではない。

 内山があと5、6歳若ければ、そうした「無事これ名馬」的な発想をもう少しの辛抱と、受け入れたかもしれない。しかし、内山はもう若くはない。自身がボクサーとしては老い先短く、残り時間が少ない、ということを痛感していただろう。

 ビッグマッチも流れ、海外での試合のプランも流れて(パッキャオの引退興行に前座として出る話もあったが、後援会がチケットを取りにくくなるという理由でジムの会長が乗り気ではなく、潰れたという)、どう自分を奮い立たせたらいいか、わからなくなっていたと思われる。

 何を励みとするかは人それぞれである。内山自身が、ボクサーとしての残りの時間を具志堅用高の防衛回数を更新すること、それ一本に絞ることに納得できていたなら、今回と次の回、そしてV14という新記録がかかった次の次の回までは、集中力を途切らせることはなかったのではないか。

 そうであれば、コラレスの若さと速さにナチュラルには追いつけずとも、用心をし、警戒を解かず、ガードが下がるなど、不用意さは見せなかったのではないか。老いた馬には老いた馬なりの戦いがある、という老獪さと執念を見せることができたのではないか。

 もし、防衛回数のみを目標としていて、全力を傾注し、敗戦に至ったなら、記録が途絶えたところで完全に燃え尽きたことだろう。次の試合で王座を取り返しても、もう一度、V11まで積み重ねることは不可能である。ここまで来るのにも6年かかったのだ。人生を二度繰り返すことはできない。

 しかし、世界のスーパースターとラスベガスのような檜舞台で戦いたい、という夢を抱いていたなら、防衛回数の記録が途絶えたことも、プロデビュー以来無敗の記録が途絶えたことも、それだけでは、ボクサーとしての夢、自分の可能性を諦めることには直結しないはずである。

 内山高志という素晴らしい存在感を持ったボクサーに、ファンの一人として、ここまでよくやったよ、ご苦労様、といたわる気にどうもなれないのも、このもやもやとした不完全燃焼感があるからに他ならない。

 記録はもうどうでもいい。そんなカウントのプレッシャーからは自由になって、一戦一戦、納得のいくファイトをしてもらいたい、と思うのは、リングの外に陣取って野次や声援を飛ばしていればいい、気楽な観客の一人であるからか。

 王者であればこそビッグマッチの誘いもあるのであって、転落すればただの人という扱いを、プロモーター筋からは受けるのかもしれない。ジム関係者とすれば、だからまずは何がなんでも勝ち続けなければダメなのだ、ということにもなろうが、それは37歳になる内山には酷な話である。

 いずれにしても、残り時間が少ないことには変わりはない。再起するにしても、何を目標とするのか。願わくば、内山自身が納得するボクシング人生の締めくくり方を見つけて、そのテーマにだけ絞って、周囲への気兼ねなしにやり抜いてもらいたい。

 遠慮が見えすぎる。そこが当人を直接知らない人間の目からも「いい奴」なのだろうなと、好感するポイントでもあるのだけれど。ボクシングに限らず、人生の締めくくり方は、他人の思惑ではなく、自分自身が納得のゆくあり方を貫き通したいものだ。そのまとめ方を見てみたいと思う。

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