「日本の自衛隊というのは、米軍の命令で動いている子分。米軍を守るためにいる軍隊なんだとよくわかりました」——。
海上自衛隊に所属していた経歴を持つフォトジャーナリストの村田信一氏は、自らの経験をふまえ当時を振り返った。
NGO団体の「JIM-NET」(日本イラク医療支援ネットワーク)が企画した「戦後70周年企画 私たちの戦争~太平洋戦争、イラク戦争、そしてこれからの戦争」と題したトークイベントが2015年8月17日、東京・豊島区内でおこなわれた。ゲストに戦場取材を続けるジャーナリストの村田信一氏と綿井健陽氏を招き、また同団体事務局長の佐藤真紀氏が登壇した。
海上自衛隊で訓練経験のある村田氏「自衛隊は米軍の命令で動く子分、米軍の言いなり」
村田氏は、フォトジャーナリストとして活動を続けているが、かつて海上自衛隊に所属していた経歴を持つ。15歳ぐらいの頃からすでに海外の紛争などに関心があったという村田氏は、そうした現場に自ら足を運びたいという思いがあった。しかし、いきなりそうした場に行く勇気もなく、まずはいろんな経験をしようと思い浮かんだのが、自衛隊だったという。
「自衛隊と言っているが軍隊と言えるようなもので、色々な訓練をしたり武器の扱いを覚えたりする。自衛隊が米国軍と共同で訓練をしているというのは、当時から知っていた。海上自衛隊を選んだのは、米軍と一番密接に訓練をしているということを知ったから。
日本の自衛隊というのは、米軍の命令で動いている子分。米軍を守るためにいる軍隊なんだとよくわかりました」
イラク戦争で派遣された自衛隊 現地での活動は支持されたのか
イラク戦争で派遣された自衛隊は、サマワを中心にして現地での人道復興支援を展開したが、現地からの反応はどのようなものだったのか。
ジャーナリストの綿井氏は、現地の人のあいだでは「日本の企業がいつか来る」という幻想が広がり、その誤解が解かれないまま自衛隊は駐留をしていたと当時の様子を振り返った。そうした背景の下、自衛隊の宿営地に砲弾が落ち、活動は縮小。現地サマワの人の不満が溜まっていたという。
自衛隊のイラク派遣に日本は最終的に、陸・海・空あわせて、およそ1000億円ほどを投入。したが、そのうちの7割を陸上自衛隊が占めた。しかし陸上自衛隊の予算のうち現地イラクの人に渡った金額はおよそ30億円ほどで、残りは自衛隊の車両・隊員への手当てなどに使われたという。
綿井氏は自衛隊のイラク派遣について、「自衛隊は現地で何を活動していたんですかと聞かれたら、名前の通り自衛です」と皮肉を交えて批判した。
それに比べ、自衛隊のイラク派遣の前から活動していたフランスのNGO団体である「アクテッド」(ACTED)は、年間1億円ぐらいの予算で現地で給水活動を展開。現地スタッフも1人で活動していたという。
現在、国会で審議中の安保関連法案が成立し、再度イラク派遣のような活動を展開するとなった場合、どうなるのか。綿井氏は次のように指摘した。
「当初、自衛隊は、ガソリンスタンドをやる予定だった。ところが米軍から、それ要りませんと言われて、他の候補を絞る中でサマワになった。
この法案が通ったら、それこそ次は道路補修とか給水とかそんなのんびりしたものはやらないと思う。次は、給油とか兵站とか、直接米軍と自衛隊が一体化しているような光景が見られるんじゃないか。これはもの凄く恐ろしいことで、取材する側がもの凄く怖い。自衛隊を取材するならまだしも、米軍が何か活動しているところで取材するというのを考えたら、僕はあんまり行きたくないというぐらい」
民間警備会社がサマワでクウェートから運ばれてくる陸自の物資の警備
綿井氏は、サマワで撮った一枚の写真を紹介した。サマワで、クウェートから運ばれてくる陸上自衛隊の物資の警備をする民間警備会社(PMC)の人間を撮ったもので、胸には英国旗のワッペンがあり、英の民間警備会社(セキュリティフォースインターナショナル)であることがわかる。