IWJウィークリーのSTF、やっと手を入れ終えた。今号は沖縄の取材成果がぎっしり詰まっている。振り返ってみて、本当に励まされる。沖縄は癒しの島と言われるが、励ましの島でもあると思う。へこたれない。諦めない。タテもヨコも手をつなぎ合う。日本にもアメリカにももみくちゃにされてきた。
だが、延々と恨むのではなく、日本人も米国人も中国人も迎え入れ、もてなし、交易と観光とで栄え、生き延び続けている。ミサイルが3発落ちれば沖縄はおしまい、と何度も聞いた。基地があるということは敵の標的になる蓋然性が高まる、ということだ。
なのに、日米ともに基地負担のしわ寄せを都合よく沖縄に押し付けて、恥じることがない。沖縄は今も潜在的な戦争の最前線にある。基地が完全撤去される見込みも日中の対立の狭間から解放される見込みもほとんど立たない。それでも、非暴力で、座り込みで、説得で、言葉を尽くして、抵抗を続ける。
いつになったら、沖縄の闘争は終わる? 誰もそんな問いを口にしない。ずっとだ、と言った方がいた。日本と米国と中国の狭間で、これからも揉まれ続けるだろう。だから、これからもずっと抵抗は続くんだ、と。未来は絶望的に思えもする。その一方でナンクルナイサーの明るさも生きている。
沖縄で、誰からも、これが最後のチャンス、という言葉は聞かなかった。名護市長選が、崖っぷちの選挙だったことは間違いないのに。負けたらどうする?という質問に、海に出て実力で阻止する、という答えが何人からも返ってきた。相当なご年配の方からも、だ。
おじい、おばあがまず座り、若者がついてゆくと。おじい、おばあは、なんのために、そんな危険をおかして座り込みをするのか? 失礼ながらご自身の人生は残り少なくなっているのに? 子供や孫のためだ、と皆さんおっしゃる。
糸数慶子議員は、体を張って現場に立ってきた人だ。彼女もまた、同じようなことを言う。孫のためにここを新たな基地の島にできないと、決然とおっしゃる。お若く見えるが、還暦を超えてらっしゃる。お孫さんがいる、という。インタビューのあと、携帯に入っているお孫さんの写真を見せてもらった。
彼女も、おばあの一人なのだ。愛のある人は素敵だ。そしてとても強い。弱音を吐かない。名護市長選挙が終わったら、辺野古の基地建設反対を訴えるために、米国へ直接乗り込んで直談判すると言っていた。小さな島で、ずっと踏みにじられっぱなしで、負けっぱなしの歴史だ。でも彼らは敗者か?
51%対49%で、後者になったら無駄とか無意味とかいう言葉が、ここ最近、ずっと飛び交っている。これこそ、ためにする言葉だ。意気を粗相させ、挫けさせ、ヘナヘナの腰砕けにさせる言葉だ。この世に無駄や無意味があるものか。
今でしょ! というのと、今しかない、逃したら終わりだ、というのは似て非なるものだ。政治の世界に裏切りはつきものだ。仲井眞知事は、辺野古反対派の票を割るために、県知事選挙前に「県外移設」を唱えて、ガチンコで反対派だった伊波洋一候補との対立点をぼかし、知事選に勝利し、裏切った。
策動してきたのは、霞が関の官僚であり、自民党の面々や民主党の前原氏らだ。他のマター、原発やTPPと同じような面々だ。沖縄に用いられた手口が本土では使われない、禁じ手だ、などという保証がどこにある? 東京では「誠実」が必ず保証されているというのだろうか?
僕らは、と言ったら失礼になるな、僕は愚かなので、人の真意も見抜けないし、たびたび騙される。気をつけようと思っても、やはり騙されることがある。騙された、と気がついた場合にどうするか。人はまず、騙されたことを受け入れず否認する。認めたくないからだ。
真に勇気のある人は、騙された現実をすぐ認められる人、そしてその現実を前提に行動を取れる人だ。そのことを、今回、仲里利信さんという自民党の県連のトップ、沖縄県議会議長までつとめた方から教わった。仲井眞知事が手の平返しをした時にスパッと自民党を離党し、一人で稲嶺進陣営の応援を始めたのだ。
かなりのお年で、もう政界は引退しているのに、自分で車を運転して町の辻々に立ち、スボット演説をして回る。誰に頼まれたわけでもない。一人勝手連である。そうしてこれまで自分の政治的反対派だった基地移設反対派の候補を応援し続けている。
この仲里さんは、沖縄戦の体験者でもある。そして日本軍が沖縄住民に集団死を強制した事実を明らかにした生き証人でもある。地上戦が苛烈を極めた沖縄で、ガマと呼ばれる洞窟に逃げ込んで難を逃れていたが、小さな妹に食べさせるための毒入りおにぎりを持たされて、日本軍の軍人に追い出されたという。
この体験を、仲里さんは語らなかった。教科書から「日本軍の強制による」というくだりが削除されるとなった時、初めて自身の体験を告白をした。ずっと自民党の政治家として生きてきた人物が、である。
告白するのには勇気がいっただろうし、話すこと自体、つらい体験だっただろう。同時に、胸のつかえが取れた思いもあったに違いない。今回の、仲井眞知事の公約破りに際して、長年所属した自民党と決別したときにも同様の思いだったろう。
70代にもなって、晩年に自分が長年所属してきた党に裏切られたと知った時の思い、いかばかりか、と思うが、基地移設反対の持論を通すため、一人仲間からはぐれて、これまでの敵方の応援のために一人マイクを持つ。子供のように意気盛ん、稚気あふれる様子で。
その行動は、何のリターンもないだろうし、このあと勝ち目もないかもしれない。49%だったら無駄、無意味という人から見れば、ただの酔狂にしか見えないかもしれないが、でも、こんなドン・キホーテなおじいが、僕には本当に素敵に見えた。
そして、この仲里さんの人生や行動や起きた出来事について、丁寧に解説してくれたのか、共産党の赤嶺議員だった。実は、ガマでの体験について仲里さんが、告白したらくだりは、当の本人ではなく、赤嶺さんが話してくれたものだ。
「仲里さん、やっぱりご自分では話しずらかったのかな。辛い話だから」と、赤嶺さんは、仲里さんをいたわりながら、背景まで、含めてくわしく話してくれた。政治的立場や党を超えて、同じウチナンチュー、同じ人間、といういたわりがあった。
僕らは、じゃない、僕は、これまでも結構、いいように手玉に取られてきた。これからも取られるかもしれない。だが、気がついた時には否認はすまい、と思う。自分の愚かさの落とし前は自分でつける。勝つか負けるか、ならば、負けっぱなしかもしれない。叫んでどうなる、という声もある。
だが、叫ばないで、抵抗しないで、どうなる、と聞き返したい。叫ぶのは自然の人の情だろう。理不尽に抵抗するのは自然のことわりだ。
個人的な話ですが、かつて、沖縄の景色や島唄や食べ物にあこがれて、沖縄に住みたいと思っていた時期がありました。
それから10年ほどたって、最近また沖縄に住みたいと思うようになりました。だって日本の中でアメリカへの従属から独立しようと本気で思っているのは、沖縄だけではないですか。思いを同じくする人たちと暮らしたいと最近思うようになってきました。三宅さんが沖縄に住んだのは放射能汚染から逃れるためであったんでしょうが、うらやましく感じます。(沖縄の人たちの苦労を知らない者が軽々しくこうしたことを書くのは、沖縄の皆さんに大変失礼かと思いますが)
沖縄は日本から本当に独立するのかもしれませんね。