女子大生、内戦下のシリアに潜入す(メルマガ「IWJウィークリー」より) 2015.2.13

記事公開日:2015.2.13 テキスト
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(岩上安身 鈴木美優)

特集 中東
★IWJ代表岩上安身がイチ押しの超大型新人!会員無料メルマガ「IWJウィークリー」で第4回まで連載中

 以下の一節をお読みいただきたい。

 現在外国人がシリアに正規入国するのには、トルコ政府からの許可証が必要となる。正規入国する際にはバーベルハワと呼ばれる国境門を通ることになるのだが、許可証のない外国人はゲートをくぐることができない。そのため多くのジャーナリストは、密入国でシリア入国を試みるほかない。

 密入国にはフィクサーが必要だ。我々のフィクサーとなったのは、バーベルハワ国境で会った男性カーレク氏の知り合いで、武器をトルコからシリアへ密輸入しているムスタファ氏だった。ムスタファ氏は英語の話せるアフメドとアトメ国境にいるとのことだったので、我々もタクシーでそちらに向かうことにした。

 タクシーを降りてからは、カーレク氏が我々を国境ぎりぎりの地点まで誘導してくれた。オリーブ畑の中、身を低くしながら4人固まってジグザグに走る。荷物を持ちながら足場の安定しない畑の中を走るのはかなり体に応えるが、トルコ兵に見つかれば終わりだ。すぐ近くにトルコ兵の基地もあり、国境沿いに監視カメラもある。移動中はみな無言でシリアを目指した。

 オリーブ畑を抜けると、有刺鉄線フェンスが敷かれていた。カーレク氏はおそらくここを目指していたのだろう、フェンスには一部壊された箇所があり、鉄線に触らないようくぐり抜けることができた。カーレク氏とはここで別れ、今度は広大な草原を突っ切れと言われた。草原の反対側にはムスタファと通訳のアフメドが手を振って「走れ、早く来い!」と手で合図していた。ついに、シリア入国だ。

 短文を重ねた、このハードボイルドな文章は、小説の一節ではない。

 この夏、内戦下のシリアへ、決死の入国を試みた、ある日本人の若者の手による記録である。

 経験を積んだ屈強で俊敏な戦場ジャーナリスト? 違う。23歳の女子、しかもまだ現役の大学生である。横浜の大学に通う現役の女子学生。

 大学在学中にノンフィクション作品を発表するなんて、沢木耕太郎氏の『敗れざる者たち』以来ではないか(笑)。そうすると媒体も「IWJウィークリー」が「月刊文藝春秋」と肩を並べることになってしまう(笑)。手前味噌もいいところですが、こんなデフレで、不況で、原発の事故が起きて、貧富の格差がさらに拡大する改革がメジロ押しで、若者たちが就活で2割も自殺したいなんて思っている時期に、はつらつと飛び出してきた個性を、心から歓迎したいと思います。

 鈴木さんの「女子学生、内戦下のシリアに潜入す」は、今後も連載が続きます。その後、彼女が一年間かけて旅した旅行記も書いてもらう予定です。いわば女史学生版「深夜特急」。冒険の間に、ちゃっかり就職先も決めてきました。

 「女子大生というブランドが使えるのは今のうち。思いきり使おう」と私が言うと、「了解です! あと4ヶ月使いきります!」と元気のよい答えが。どうぞお楽しみに。

(文・岩上安身)

┏━大型連載スタート!━━━━━━━━━━
◆◇女子大生、内戦下のシリアに潜入す(第一回)◇◆
(鈴木美優)
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 オリーブ畑の中、シリア人のカーレク氏を先頭に無言で走る。重い荷物を持ちながら、足場の安定しない畑の中を走るのはかなり体に応えた。すぐ近くにトルコ兵の基地があり、国境沿いに監視カメラがある。狙われにくいよう、身を低くしてジグザグに走らなければならない。

 オリーブ畑を抜けると、有刺鉄線フェンスが敷かれていた。カーレク氏はおそらくここを目指していたのだろう、フェンスには一部壊された箇所があり、鉄線に触らないようくぐり抜けることができた。カーレク氏とはここで別れ、今度は広大な草原を突っ切れと言われた。草原の反対側のオリーブ畑で、ムスタファと通訳のアフメドが手を振って「走れ、早く来い!」と手で合図していた。

 3〜400mくらいあっただろうか。障害物も何もない草原を走るのはさすがにヒヤヒヤした。上を見れば監視カメラと山の上に建つトルコ軍基地が見える。走っては歩き、また走っては歩きを繰り返した。「走れ!」とまたムスタファ氏らが手で促した。

 ようやく、オリーブ畑内に入った。ついに、シリア入国だ。

◆女子大生がシリアに◆

 内戦下のシリアに、この夏、足を踏み入れた。

 書き出しの文章は、そのシリア入国の瞬間の様子だ。  

 2011年3月に革命が起こって以来、シリアでは内戦状態が続いている。シリアでは、現大統領のバッシャール・アル=アサドの父親、ハーフィズ・アル=アサド前大統領が1971年に政権を握って以来、アサド家とバアス党(※1)による独裁政権が続いている。

 2000年に大統領に就任したバッシャール・アル=アサドは当初、民主化を含む政治改革を訴えていたが、反改革派などの妨害により改革は思うように進まなかった。2003年のイラク戦争において、隣国イラクで同じバアス党政権のサダム・フセイン政権が、わずか1ヶ月足らずで崩壊したことに危機感を感じ、アサド大統領は集会やデモの禁止、民主活動家の逮捕など、民主化とは反する制裁を国民に押し付けるようになった。

 2010年にチュニジアで始まった「アラブの春」(※2)と呼ばれる革命運動に影響を受け、シリア内でもデモや抗議活動が盛んに行われるようになった。2011年3月に入り、運動はより活発化し、治安部隊による発砲で死亡する抗議者も出るなど、事態は深刻化していく。やがて反体制派が各地で団結し、自由シリア軍(※3)やシリア国民連合(※4)などの組織が設立され、内戦への道へと進んでいった。

 今年、私が日本を出た1週間前の8月21日には、シリアの首都ダマスカスで化学兵器が使用され(※5)、米軍や英軍、仏軍がシリアに軍事介入をするなどとの会談を始めていた。結局軍事介入は持ち越しとなったが、正直、自分でも情けないくらいに緊張していた。

 なぜ、内戦下のシリアに行こうと思い立ったのか。シリアに入国するのに、なぜ有刺鉄線の穴をかいくぐらなければいけなかったのか。

 これからそのいきさつを綴ろうと思う。

◆ごくごく普通の家庭に育った私◆

 その前に、まず自己紹介をしておきたい。

 私の名前は鈴木美優。一人暮らしをしながら、横浜にある大学に通っている。好きな食べ物はサバの味噌煮と卵掛けご飯。大学では、スキー・スノーボードサークルに所属している。どこにでもいる、普通の女子学生。

 静岡県の田舎で生まれ育ち、浜松の高校に通った。得意な科目は英語。英語に興味を持ったのは、小学生のときハリーポッターのファンになったのがきっかけだ。大学受験では「国公立でセンター試験を3教科で受けられる大学」に絞って志望校を探し、英語に力を入れていた横浜の某大学を受験することに決めた。

 家族もいたって普通だ。影響があったかどうかは分からないけど、サラリーマンをしている父は軍事マニアで、まるでその時代に生きていたかのように第一次・二次世界大戦のころの様子を熱く語る。戦争には反対だが、当時使われていた武器の性能や、軍の階級、人物像などにかなり詳しい。

 決して裕福な家庭ではないが、家族の仲はいい。両親も妹も旅行が好きで、小さい頃から家族でスキーやキャンプ、登山などで長野県や岐阜県などへ小旅行に出掛けることが多かった。大学生になっても、父と2人で北アルプス登山へ行ったりもした。家族で行くのは国内のみで、高校1年生のときに2週間の語学研修で行ったロンドンが初めての海外渡航だ。

 英語に興味を持ち始めた頃からずっと、海外の学校へ留学することが夢だった。大学の2年生になった19歳の頃から留学情報を調べ、どこか安くて質のいい英語を学べる場所はないかと探していたが、留学生向けの語学学校で勉強するのはどうも気が進まなかった。海外の語学学校に留学した人の話を聞くと、どこも日本人学生が多いようで、結局遊んで終わってしまうだけに思えたのだ。

 ならば海外の大学に直接連絡をし、1年間のコースで学べる科目を勉強しようと考えた。だがこのとき私には、「海外の大学でどうしても学ばなければならないこと」が思い当たらず、将来何をしたいかも決まっていなかった。こんな曖昧な気持ちで海外に出てもお金の無駄だろうと思い、留学は持ち越しとなった。

◆シリア人の友人の一言で決めた進路◆

 今から約2年前、大学3年生になった時に、英語記事を書く練習と、特典で貰える景品欲しさに、アメリカ週刊誌「TIME」の定期購読を始めた。

 なぜ英語記事を書く練習をしようと思ったのかは、よく覚えていない。文字を書くのはもともと好きで、高校のときも英作文のテストだけは誰にも負けたくないという気持ちがあった。最初の動機は、たぶんその程度の他愛のないものだったと思う。

 ちょうどシリア内戦が始まった頃で、「TIME」の最初のページには決まってシリア内戦に関する記事が載っていた。今週は何人死んだ、誰かが拘束された、どこかで激しい銃撃戦があったなど、それまで全く戦争地帯を見たことのなかった私にとっては何度も息を呑んでしまうような内容ばかりで、思わず目を背けたくなるような写真が必ず一枚は載っていた。

 そんなとき、シリア人の男性マラッズ氏と横浜で出会った。30歳前後のビジネスマンである。私はよく「カウチサーフィン」というホストファミリーを探すインターネット上のウェブサイトを使って、日本にやって来る旅行者を自分の小さなアパートの一室に泊めていた。今でもよく、外国人旅行者が私の部屋に泊まりにくる。マラッズ氏はその中の一人だった。

 男の人も泊めてしまうということで、心配なさる方もいるかも知れない。でもそんな心配はご無用。私は下のベッドで眠り、旅行者はロフトの上で寝る。宿を貸すのは国境を越えた「助け合い」である。

 シリア東部のホムス出身であるマラッズ氏はイスラム教徒だが、自分では「ほぼ無宗教だ」と断言するくらい、あまり宗教熱心ではなく、日本酒が気に入ったと話していた。イスラム教徒は宗教的な戒律により、酒を飲んではいけないとされている。日本酒好きのイスラム教徒は、本来ならありえない。彼は、ヨルダンの大学を卒業した後、韓国のサムスン社で働き始めた。彼の今回の日本渡航は、会社の休みを利用した一週間ほどの旅行だった。

 「あなたの国、酷いことになっているね」と言って、私は彼に例の「TIME」誌を見せた。彼は最初笑ったが、「ここに書いてあること、全部本当だと思う?」と私に聞いた。

 まだシリアのことを知り始めたばかりの私はそんなこと考えたことがなかったが、「シリアは美しい国だよ」の彼の一言に意表をつかれた。自分の知っているシリアは「戦地」でしかなかったのだ。

 彼は自分のパソコンを開き、故郷シリアの写真を見せてくれた。パルミラ遺跡、オマールのモスク、マリ王の宮殿など、歴史の詰まった美しい国だということをここで初めて知った。

 「ただニュースだけを見るのではなくて、自分の目で見てごらんよ」

 彼の、その一言で、私は旅に出ようと決めた。ジャーナリストという職業に興味を持ち始めたのもこのときだ。

————–(中略)—————————-

◆IWJとの出会い◆

 話は戻るが、私は旅に出る前の数ヶ月間、IWJでボランティアをしていた。3.11の東日本大震災が起きたのは、私が3年生に進級する直前の春休み中のことだった。私はまだ20歳だった。福島での原発事故は、原子力発電や放射能のことなど全く興味のなかった私にも強い影響を与え、東京各地で行われている反原発デモに何度か参加するようになった。

 参加した反原発デモで、毎回必ず中継していたのがIWJスタッフだった。正直、このときIWJのことは何も知らなかったのだが、IWJのホームページを見て、他のメディアがほとんど報道していないことが映像で流されていたことに、強く感銘を受けた。

 また、募集していた中継ボランティアにも興味を持った。ちょうどジャーナリストという職業に興味を持ち始めていた時期でもあったので、「いい経験になるかな」といった軽い気持ちで、ボランティアに申し込んだ。

 初めての仕事は、経産省前で行われた抗議集会の中継だった。実際に機材を使って中継をし、内容を記事にまとめる、という経験は初めてで、ジャーナリストという職業を、今まで以上に強く意識するようになった。

 ボランティアとして仕事をさせてもらったのは2、3回程度に過ぎないが、1年間の旅を終えたあと、日本に戻ってから、今度はアルバイトとして働くこととなり、月に何度か中継の仕事をさせてもらうことになった。2年前にボランティアから始めたIWJで、シリアへの潜入記についてこうやって書かせてもらえることになるとは、もちろん全く想像だにしていなかった。

 私の自己紹介はこの程度にして、本題のシリア潜入に話題を移そうと思う。

◆貧乏学生の貧乏旅◆

 シリアへ行きたい、と思うのも、本当にシリアへ行く、と決定するのも、それだけなら容易だが、実行するとなると、さまざまな障壁が立ちふさがる。まずは資金だ。貧乏な学生にとっては、航空券1枚を買うだけでもたいへんな出費だ。

 先述したように、シリアは内戦下で、今はダイレクトに入国することはできない。したがって周辺国に行って、そこから陸路で国境を超える手だてを探さなくてはならない。シリアの周辺国といえば、思いつくのはまずイランである。

 イラン航空を使えば、日本から北京、クアラルンプール、ドバイ、ドーハなどの都市を経由してイランへ行くことができる。しかし、航空券は往復10万円前後と、学生の私にとっては割高だ。全日空ANAとトルコ航空を乗り継いでも、12万円ほどする。そこで、日本からイランへ直接飛ぶのではなく、まずはイランの周辺国へ向かおうと考えた。

 イランの周辺国へ行くあらゆる航空券を探した結果、中国東方航空の上海経由ドバイ行きチケットが、最も安いことが分かった。航空券代は往復たったの3万円。燃油サーチャージや空港手数料などを足しても5万円余りだ。

 ドバイからイランへは、イランの航空会社ASEMANや、 アラブ首長国連邦の航空会社エアアラビアの飛行機が便利だ。ペルシャ湾を繋ぐフェリーも通っているが、こちらは定期的に運行されておらず、片道15000円と高い。エアアラビアの航空券は片道1万円を切っていた。よし、これだ。

 寄り道は多いが、中国東方航空とエアアラビア航空の2つの航空会社を使って、イランの首都テヘランへ行くことを決めた。帰りも、エアアラビア航空でイラン南部のシーラーズからドバイへ飛び、中国東方航空で帰国することにした。往復で全て足しても7万円ほどだ。

 資金難は、徹底した節約で、なんとかクリアすることにした。資金自体は、私の子どもの頃の貯金。世界一周の旅の時も、今回のシリア潜入の旅も、小さい頃から「お嫁さんに行く時のために」と親に言われて貯め続けてきた「結婚資金」の貯金をあてた。すっからかんになったので、結婚は当分お預けになった。

 問題は、家族にどう伝えるか、だった。前年に世界一周の旅に出た時も、両親に内緒でアフガニスタンやナイジェリア、今年のはじめにはフランス軍が軍事介入を開始したマリにも足を踏み入れた。隣国アルジェリアで、日本人犠牲者が出たのもちょうどこの頃で、マリ国内でも緊迫状態が続いていた。

 帰国して、そのことを話すととても怒られたので、今回も怒られるだろうなと思い、やはり出発前には話せなかった。両親にイランとトルコに行くとだけ伝えたが、親の勘は鋭く、「シリアとか、危ない場所にはくれぐれも行かないように」と言われた。「シリアは今入国のためのビザが取れないし、入れないから心配しないで」とだけ、私は答えた。

 母は本当に心配だったようだ。トルコへ行くということにも心配をしていた。私が行く直前に、女子大生が殺される事件が起きていたためだ。

 親に本当のことを言わないで危険な場所へ行くことについては、私も胸が痛んだ。私も人の子なので、罪悪感はやはりあった。両親の心配は当然のことだと思う。私は結婚していないし、子どもがいないので親が子どもを思う気持ちについて、本当のところはわからないけれど、2歳年下の妹がもし「シリアに行く」と言い出したらきっと反対すると思う。さもなければ、私がシリアまで妹について行くだろう。

 シリアに行ったことは、帰国してから母に伝えた。「やっぱり」と言われ、「また事後報告か」と呆れられたけれども。

◆シリアにミサイルが!?◆

 シリア行きの準備は順調に進んでいた。8月30日に出発することを決めて、航空券も購入した。シリア潜入を試みるためにイランへ向かうなんてことは、もちろん両親には内緒である。毎日シリアのニュースをチェックしていたが、相変わらず各地で戦闘や爆撃が続いているようだった。世界中のメディアは事の深刻さを伝えていたけれど、日本ではだらだらと続く内戦、という扱いで、報道量は減っていた。もはや麻痺していたのだろう。

 ところが、である。日本出国まで10日を切った8月21日、ダマスカス郊外で化学兵器が使用されたとの衝撃のニュースが飛び込んできた。私が向かおうとしていたのはシリアの北部で、ダマスカスからは400キロ程離れた地域だったが、このニュースに触れたときは愕然とした。

 一瞬にして、兵士だけでなく、多くの市民の命が奪われた。ネット上でニュースを追っていったが、化学兵器で命を落としたとされる死者数は時間を増すごとに増えていた。子どもたちの、無傷で真っ青な死に顔の写真や、体を包帯で巻かれた死体の写真や映像を目にし、「本当にこれは、今自分が行こうとしている国で起こっていることなのか」と目を疑った。

 それだけではない。この化学兵器攻撃を見て、米政府は「シリア政府の攻撃に違いない」と断定し、米メディアは数日中にシリアへのミサイル攻撃が開始されると報じた。また、英・仏政府も軍事介入を開始すると報じ、シリアは世界中から注目を集めた。

 これらのニュースは、私の心の中でも「大事件」となった。「米軍のミサイルが次から次へと飛んでくるのではないか」といった恐怖と、「またシリア入国がかなわないのでは」といった不安が混じり合う。

 結局3カ国の軍事介入は見送りとなったが、私が出発しようとする時点ではまだ、緊迫した情勢が続いていた。シリア政府の化学兵器攻撃をめぐり、日本国内でもシリア情勢が頻繁に報道された。昨年8月に、女性ジャーナリストの山本美香さんが、シリアのアレッポで殺害されたときのことがしきりに思い出された。シリア内戦について全く知らない友達も、「本当にシリアに行くの?」と心配のメールを送ってきた。

 それでも、「シリアに行く」と決めたからには、行くしかない。というより、行きたい。化学兵器が使われなくても、ミサイルが飛んでこなくても、内戦下のシリアが危険なのには変わりない。

 私は再び旅の準備に取りかかり、出国までのカウントダウンを始めた。

(…会員ページにつづく)

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「女子大生、内戦下のシリアに潜入す(メルマガ「IWJウィークリー」より)」への1件のフィードバック

  1. たくみん より:

    私は、東南アジア及びインド周辺国を過去に長い事旅をしました。
    その経験からの結論。
    女性が危険な国は行く事には絶対反対です。
    危険地帯では、まったく日本の常識は通用しません。
    あらゆる情報が飛び交い、その情報の中で真実を見極めることは出来ないと言って良いでしょう。
    それまで本当に信頼できると思っていた人が裏切り、あるいは信頼できると思っていた人が他の人に間違った情報を与えられる事が日常茶飯事です。
    仮に、現地で一年二年と過ごした所で正しく情報を見極めることは殆ど不可能です。
    後藤氏の様なベテランでも、簡単に裏切られるのです。
    これが世界の紛争地帯の事実です。
    マスコミがまるでヒーローの様に、危険地帯へ行って取材する事が世の中の為などと行っておりますが、
    その考えは、単なる西側資本主義の横暴でしかありません。
    また、後藤氏の様に自己責任としてビデオに残していましたが、日本国民に対してビデオを残したのではありません。
    仮に、日本国民に対してビデオを残しても責任を果たした事にはならないと思います。
    例えば、危険な山に登るとかは何とかぎりぎり自己責任の範疇に入るかもしれません。
    しかし、非常に危険な紛争国に入る事は、そのたった一人の人間が世界に影響をもたらし日本においては非常に多くの人に迷惑が掛かります。数人が迷惑するレベルではありません。政治が動くのです。
    政治が動くと言うことは、そこには税金が使われますから当然日本国民全体に影響を及ぼします。
    当然お金の事だけではありません。特に貴方は女性ですからもし何かあったら多くの国民に強い悲しみを与えます。
    身近な方では、貴方の家族です。事件が起こった事だけが不幸ではないでしょう。その中には批判する人間も居ると思います。
    そう要った事柄の全ての責任は余りにも大きく、貴方一人では到底自己責任では済まされないのです。
    どうか、余りに危険な地域には行かない下さい。
    マスコミの云うような大義名分では人として済まされないと思います。
    くどいようですが、どうか行かないで下さい。

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