「取材を進める中で、橋下さん自身がメディアだと思った。誰よりも一番鋭敏に大衆の欲望を感知する。彼が人気を得ているのは、大衆が望んでいることをやっているからだ」──。
橋下徹大阪市長について、フリーライターの松本創氏はこう表現した。
2015年11月17日、大阪市北区で、『誰が「橋下徹」をつくったか ―大阪都構想とメディアの迷走』(140B)の出版記念パーティが開かれ、著者の松本創氏と前大阪市長の平松邦夫氏との対談が行われた。同書は、異色の弁護士としてテレビで知名度を上げ、政界に転身して大阪府知事、大阪市長となった橋下氏の人物像を、メディアとの関係から浮き彫りにしたものである。
大阪ダブル選挙の投開票(11月22日)を間近に控え(結果は大阪維新の会の完勝)、2人の対話は熱を帯びた。
松本氏は同書の出版について、「2013年5月、慰安婦制度の容認発言で反発が強まっていた時、橋下氏は『大誤報をやられた』と言ってメディアのせいにしようとした。これはメディアにとって、報道の真実性を棄損される大きな問題。しかし、記者らは怒らない上に、その後も粛々と橋下氏を取材している。この人たちは、なぜ、毎日彼を取り囲むのか。それが、メディアと橋下氏の関係を取材するようになったきっかけだ」と語った。
平松氏は、「橋下氏は、敵を作って自分を盛り上げるという小泉元総理の手法を、そっくりそのまま肥大化させて使う」と指摘。メディアが橋下氏を叩けば、彼は1000倍返しで記者の個人名を上げて攻撃してくると述べ、「メディアは、司法、立法、行政に次ぐ第4の権力のはず。大きな権力に対してチェック機能を持ち、総理大臣だろうがマイクを突きつける。それがメディアだと思っていたのに、記者たちは橋下氏に懐柔されてしまった」と嘆いた。
松本氏は、「橋下氏とは議論や対話が一切成立しない。詭弁、すり替え、責任転嫁、嘘。彼は、そういう資質の人間だ」とし、橋下氏の登場で、大阪では組織も社会も言論も貧しくなってしまったと断じた。そして、橋下氏の政治観について、次のように述べた。
「彼は、役所は会社のようであるべきだと本気で思っている。公共を担う行政自治体に、株式会社のようにトップがいて、その号令をスムーズに障害なく実行することが経済合理性にかなっている、という考え方だ。自治体、教育委員会、大学、医療など、経済合理性だけで語ってはいけないものを、株式会社化する。そういう新自由主義的な思想を心から信奉している」
その上で、「橋下さんが進めてきた新自由主義的な考え方や、ドラスティックな改革で大阪は良くなるという空気。残念ながら、これに大勢の人が惹き付けられている」とした。
- 出席 松本創氏(『誰が「橋下徹」をつくったか ―大阪都構想とメディアの迷走』著者)、平松邦夫氏(元大阪市長)
- 日時 2015年11月17日(火) 19:00〜
- 場所 大阪市北区
『さらば!虚飾のトリックスター』は平松氏の市長時代の本音
平松氏も11月7日に、『さらば!虚飾のトリックスター「橋下劇場」の幕は下りたのか?』(ビジネス社)という自著を刊行している。
今年5月、住民投票で都構想を否決された橋下市長が、笑顔で「政治家を引退する」と言った記者会見を、「また、嘘をつくんだろうな」という思いで見ていたという平松氏は、翌日の新聞が、それを「清々しい会見」「潔い」と美化していたことに驚いたと語った。
「テレビのワイドショーでは、解説者が『これしか差がないのに、橋下氏が市長を辞めるのはもったいない』と、さも惜しげに言う。だが、大阪市を残すため、血みどろの100日間戦争とも言うべき都構想の反対運動を、ずっとやってきた私たちからすると、闘いはようやく終わったのである。これで、もう一度、大阪の良いところをみんなに見てもらえると思っていたところに、東京の出版社から、本の企画が持ち込まれたんです」
平松氏は、自身が大阪市長時代に、当時の橋下府知事と話し合いながら進めて来た政策について、「今までにない大阪府と市の関係になればと思ってやってきたが、結果、大阪市を潰すだけの動きに巻き込まれてしまった」と振り返る。そして、当時、自分が何を考えていたのかという本音を、この本に込めたと話した。
メディアの人間は、何を考えて橋下市長の取材をしているのか?
神戸新聞の記者をしていた松本氏は、「兵庫県庁の担当の時、『小泉劇場』と言われた小泉純一郎ブームがあった。『痛みを伴う改革』『改革なくして成長なし』『骨太の方針』などの斬新な言葉が出てきて、なんとなく、日本の状況はそっちに向かっているのかな、という雰囲気の中で報道の仕事をしていた」という。
しかし、小泉・竹中(=竹中平蔵氏)改革で日本の社会に格差が広がる中、「自分は、その先棒を担いだのではないか」という後悔がずっとあったと話す。
「そういう思いを抱えてフリーランスになり、平松さんとご縁があった。既存のマスメディアが話題性のある橋下さんを追いかけ回すのなら、私は平松さんの声を届けたい、と思った。平松さんの政治理念、大阪市政においてやろうとしていることに納得し、共鳴もした。それは橋下さんとは真逆の社会観、政治観だった」
その後、橋下氏とメディアの関係がおかしいと感じ出した松本氏。それが決定的になったのは、2013年5月、橋下氏が「戦場では従軍慰安婦が必要」という発言をして、海外メディアにも批判された時だった。
「彼は、そういう思想の持ち主だと思っていたので、(その発言自体)何とも思わなかったが、騒ぎが大きくなり、世論の反発が強まった時、彼は『マスコミに大誤報をやられた』と言って、メディアのせいにしようとした。それは、メディア報道の真実性を棄損することだから、私は『メディアは怒れよ』と思った。
しかし、記者たちは怒りもせず、その後も粛々と橋下氏の囲み取材をしている。これには屈辱を覚えた。この人たちは一体何を考えて、毎日、橋下氏を取り囲んでいるのか。それが、メディアと橋下氏の関係を取材するきっかけだ」
リーダーは「自分1人が生き残ればいい」と言ってはいけない
橋下氏の政治手法について、平松氏は、「小泉さんの郵政民営化の騒ぎの時は、選挙で刺客を立てるなど、本質からどんどん外れていった。それと同じ、敵を作って煽るという小泉手法を、橋下さんはそっくり肥大化する形で使っていた」と指摘する。
橋下氏との一騎打ちとなった2011年の大阪市長選挙で、記者たちから「橋下氏をどう思うか」と質問された平松氏は、「彼は円の真ん中から360度、鉄砲を撃つ。全方位に攻撃し、唯一、鉄砲が当たらないのは自分のいるところだけ(=自分だけは安全な立ち位置を取る)」とコメントした。
「どのメディアも、それを取り上げなかった。彼の悪いところを一切報じない。橋下氏を叩いた瞬間、彼は1000倍返しで、すごい迫力で記者の個人名を上げて攻撃をしてくるからだ。メディアは、司法、立法、行政に次ぐ第4の権力と言われていた。大きな権力に対してチェック機能を持ち、総理大臣だろうがマイクを突きつける権利を持っている。それがメディアだと思っていたのに、彼らは橋下氏にやすやすと懐柔されてしまった」
平松氏は、自身の市長時代に大阪市内570ヵ所くらいを回り、地域の人たちが抱える問題を語りあったという。「その姿を職員に見てもらい、職員が自ら気づいて変化するという循環を目指した。大阪市全体を良くしようという思いで走っていたのに、残念なことに、あの選挙で橋下氏に大差で負けてしまった。しかし、『自分1人が生き残ればいい社会』という言葉を、リーダーが言ってはいけないというのが、私の思いだ」と語った。
詭弁、すり替え、責任転嫁……。橋下氏とは対話が成立しない
松本氏 「橋下氏とは議論や対話が一切成立しない。詭弁、すり替え、責任転嫁、嘘。(他人との間に)信頼関係は一切いらない。そういう資質の人間だ。大阪において、組織、社会、言論のいずれも貧しくしてしまった」
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/275245 … @iwakamiyasumiさんから
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