第15回 国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 参考人:枝野幸男議員 2012.5.27

記事公開日:2012.5.27 テキスト動画
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(原佑介)

 2012年5月27日、福島第一原発事故当時、官房長官を務めていた枝野幸男現経産大臣が、国会事故調により、参考人として招致された。枝野氏は、2011年9月2日まで、官房長官として事故対応に当たった人物である。事故当時、官邸や政府の行った対応や、政府の広報活動、情報伝達がどのようなものだったかについて、質問が集中した。枝野氏は、SPEEDIの公開遅れなどが、政府の信頼を損なった大きな原因であると認めた。

・その後の記者会見

  • 日時 2012年5月27日(日)
  • 場所 参議院議員会館講堂(東京都千代田区)

 批難区域の設定について。枝野氏は、11日、最初の3km圏内避難指示についての経緯を、覚えていないという。翌日の1号機で起こった爆発が、水素爆発だと判明した際、「想定していなかったことが起き、不安定な他号機に備え、20㎞圏避難となった。誰が決めたかは覚えていないし、なぜ、20kmと決定したかの記憶もない」と説明した。15日となり、福島第一原発の多くが制御困難な状況となった。20㎞の避難をすれば、大分線量も減るだろうが、プルームに備え、室内退避の指示も出している。「当初、事態が落ち着けば解除と考えていたが、事故の状態が改善できなければ解除できないとその後知った」という枝野氏。結果、屋内退避も計画避難区域となった。12日、「10㎞圏外に出ていただいているのは万全を期すため」と枝野氏は会見で発言している。これについて、「10㎞に広げた段階では、具体的な危険を専門家から受けておらず、抽象的なリスクに備えた。まさに万全を期すため」という。しかし、10㎞避難の命令について、何の説明もなく、地元の人はなぜ避難するのかわからなかったため、準備もせず、着の身着のまま避難し、悔やんでいる人も多い。枝野氏は、「すぐに戻れるつもりであった人に、長期の可能性を伝えていれば、もっといい対応が出来たのではないかと思うと、忸怩たる思い」と胸のうちを明かした。

 菅総理の現地視察について。菅氏が現地に行ったことで、現場の対応に支障を来たしたという批判も上がっている。これについて、枝野氏は、官邸に情報が上がってこず、東電からの情報も二転三転する状況。事態が深刻化する情報ばかりが入り、そうした状況を打開するには、現地との連絡が必要という判断に至ったものであると答弁。菅総理が自身で行くと決定し、枝野氏は、「総理が行ったら邪魔、という批判もあるのではないか」と進言した。総理は「批判と事態の把握どっちが大事だ」と言い、政治的批判も避けられないが、それでも行くならば、と、枝野氏も了承したという。

 東電が全面撤退を申し出てきたという問題について、枝野氏は、正確な言葉のやりとりまでは記憶はないと証言した。しかし、「対応する人がいなくなり、悪化を食い止めることができなくなる」との旨を伝えた時、清水社長は口ごもって何の答えも無かったという。このことから、「部分的に残すという趣旨でなかったことは、明確」と語った。

 公開が遅れたことが問題となっているSPEEDIについて。枝野氏がこのシステムを知ったのは3月15日、16日あたり。担当者を呼び、「放出源情報がなく使えない」と言われ、出ている線量から逆算し、計算を指示。23日に試算が返ってきて、それをすぐに公表させたと主張する。「問題は、単位放出量あたりを計算していたのに、なぜ公表していなかったか。第三者委員で検証して欲しい」とし、この公表遅れが、政府の信頼を損なった大きな原因であると認めた。

 3月13日、「健康に影響を及ぼすような状況は生じない」と発言した件。枝野氏の、「ただちに健康に影響はない」という旨の発言は、連日、報道された。枝野氏は、これには、次の3つの意味があったという。1,食品について。2,プルームに備えた屋内退避区域中の人が、荷物や物資の受け取りなどで、外に出た場合について。3,北西部が高い数値を示したが、急性被ばくと、低線量被曝が、すぐに体調に影響を及ぼさない、という意味であると説明した。しかし、「ただちに、ではなくとも、いつか影響があるんだな」と思っている住民も多い、と蜂須賀委員は指摘。これに対し、「避難された方々に、もっと役に立つ情報発信や、もっと予想、想定が出来ていればと思う。『ただちに』も、より細かく詳しく分類をして申し上げれば良かった」と答弁した。

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