安倍改造内閣で、松島みどり氏が法務大臣に就任した。常にトレードマークの赤い服を着て、ひときわ目立っている松島氏は、どのような人物で、どんな法務大臣を目指すのだろうか。過去の言動を追ってみると、安倍政権が目指す「憲法改正」による「基本的人権の制約」の意図を、色濃く反映した人物であることが分かる。
朝日新聞の経済部・政治部の記者経験を持ち、2000年から衆議院議員を務めている注目の新法務大臣のこれまでの言動を追ってみる。
(IWJ・菅美香子)
安倍改造内閣で、松島みどり氏が法務大臣に就任した。常にトレードマークの赤い服を着て、ひときわ目立っている松島氏は、どのような人物で、どんな法務大臣を目指すのだろうか。過去の言動を追ってみると、安倍政権が目指す「憲法改正」による「基本的人権の制約」の意図を、色濃く反映した人物であることが分かる。
朝日新聞の経済部・政治部の記者経験を持ち、2000年から衆議院議員を務めている注目の新法務大臣のこれまでの言動を追ってみる。
松島氏といえば、参議院予算委員会への「出入り禁止」を言い渡されたという「ユニーク」な実績を持つことで知られている。
第一次安倍内閣の内閣改造で、国土交通副大臣に抜擢された松島氏は、安倍総理の突然の辞任後、あとを継いで組閣された福田内閣でも横滑りで同じポストに就いた。
その松島国交副大臣、2008年3月14日に、衆議院予算委員会で、民主党の津田弥太郎参議院議員から、「かつて揮発油税の暫定税率撤廃を主張していたではないか、考えが変わったのはなぜか」と鋭い質問を受けた。すると、「考えが変わったのは地元からの要望によるものだ」と弁明し、さらに道路整備財源の必要性について持論を延々と展開し続けた。
必要以上に長い答弁に、見かねた鴻池祥肇予算委員会委員長が、再三、答弁を簡潔化するようにとたしなめたが、それを無視するかのように、松島副大臣は、約5分間にわたり答弁をだらだらとしゃべり続けた。
最後には鴻池委員長は「答弁を打ち切りなさい! 答弁を打ち切りなさい!」と大声を上げた。それでも松島氏が従わなかったため、激怒した鴻池委員長は、松島氏に予算委員会への出入り禁止を言い渡したのである。
鴻池氏は、言わずと知れた自民党のベテラン議員。与党の若輩者の副大臣が、同じ与党の大先輩の予算委員会委員長の議事進行に従わず、「出入り禁止」を言い渡された。前代未聞の珍事である。
このときの松島氏の答弁は、道路建設に関する自身の主張の変節を問われたために行われたものだ。つまり、自らの主張が変わったことを言い訳するために、長々と予算委員会の時間を思う存分使ったのである。
ちなみにこのときの答弁で、松島氏は、「私は日本の原子力発電を信じていますけれども、安全と安心は違います!」と述べていた。
法務大臣としての見識を問われる発言もある。見逃すわけにいかないのは、2005年3月に行われた第162回国会法務委員会で、松島氏が述べた次のような言葉である。
「私は、人権というのはまず被害者の立場、そしてまた犯罪が起こらないこと、すべての人たちが犯罪に巻き込まれずに日本の治安がきちっと守られること、これが人権にとって大事なことであって、犯罪者の人権などというのは二の次、三の次だと思っております」。
ここで、松島氏が、犯罪の容疑者と、刑が確定した受刑者と、きちんと区別することもなく、「犯罪者」という言葉を用いていることに注意を払う必要がある。
日本では、警察が犯罪容疑者とみなして逮捕し、取り調べを始めた段階で、彼女が所属していた朝日新聞を始めすべての記者クラブメディアが、容疑者を事実上の「犯人」として報じてしまう。つまり実質的な「犯罪者」扱いが、容疑者段階で始まってしまうのである。容疑が晴れても、社会的信用を含め、失われた人権は原状回復できない。
また、袴田事件しかり、裁判で刑が確定したあとも、再審によって冤罪であったことが明らかになることもしばしばである。ひとたび「犯罪者」扱いされたら、人権は剥奪されてもよいのだろうか?
日本国憲法は、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」としている。誰にとっても人権は「二の次、三の次」にしてよいようなものではないはずだ。
そもそも、「犯罪者」の人権を「二の次、三の次」にしたら再犯は起こらないというロジックも奇妙だ。松島氏は、人権蹂躙法務大臣を目指すのだろうか?
この人権軽視の意識は、自民党が制定を目指す憲法改正草案に、色濃く反映されている。
拷問の禁止を定めている第36条について、自民党案は現行憲法の「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」という条文から「絶対に」という文言を削除しているのだ。戦前、治安維持法が施行され、特高警察により7万人超が逮捕され、激しい拷問の末、150人以上が獄中死した。ひとたび「犯罪者」とされた人間の人権を軽視する松島氏の言動は、自民党改憲草案が目指す「拷問の復活」と折り重なり、国の都合によって人権を制約する戦前の日本の姿が浮かび上がってくる。
※「拷問」の復活についてはこちらの鼎談で詳細に解説している。
◆「自民党改憲草案」の問題点を全13回にわたり逐条で迫った鼎談を1冊にまとめた解説本「前夜」は、こちらで購入できます。「前夜 〜日本国憲法と自民党改憲案を読み解く」
また、次のような発言もしている。
「過剰収容の中の一つの問題としては、外国人受刑者が非常にふえている、このことがあると思います。私、府中刑務所を見たときに思った感想としましては、例えば、イラン人は宗教上の理由で豚肉なしのメニューをわざわざつくるですとか、あるいはパン食したかったら希望をとるとか、逆差別でずるいんじゃないかと。日本人ですと、御飯がいいか、パンがいいか、そばがいいかなんてだれも聞いてくれないのに、何でかという思いが非常にいたしました」。
あきらかに、宗教上の理由を嗜好の理由と一緒くたにしている。しかもそうした見当違いの非難を、「逆差別」とか「ずるい」などといった雑な言葉で表現する。
松島氏は今後、新法務大臣としてヘイトスピーチの問題にも取り組んで行くことになるだろうが、彼女は人権の問題や差別の問題に適切に対応できる人材なのだろうか?
安倍首相はチャレンジングな人選をしたことは、間違いない。この人選が的確だったのか、今後問われることになるだろう。
9月3日の就任会見で、松島氏は「日本の法律が死刑制度を設けている以上、死刑の署名をすることをためらうならば、法務大臣を引き受けてはならないと思ってきた」と述べた。この法令遵守の姿勢をぜひとも日本国憲法に書かれたことをそのまま素直に読み取るという姿勢につなげてほしいものだ。
だが、死刑の署名にはためらってほしい。松島氏は「この制度(死刑制度)は正しいのだと思っている」と言い切ったが、その理由は、5年前の世論調査によると8割の国民が死刑制度に賛成していたからだという。
まずもって5年も前の世論調査を持ち出すことの意味が分からない。この数年、死刑制度を見直すべきだと思わせる出来事が起こりつづけてきたことに留意するべきではないか。
先に述べたように、日本では最高裁で刑が確定した後でも、無実であった事がのちに明らかになることがありうる。「極悪人」扱いされ、死刑を宣告されたような場合でも、だ。
今年3月27日に袴田巌氏の死刑及び拘留の執行を停止する決定がなされた。死刑判決のあとに、その判決が覆されることが起きうるのだということを示した事例だ。
そして、国連は日本に対して死刑制度をやめるよう勧告を出している。2012年、国連総会は、死刑存続国に対し、死刑執行を停止する決議案を採択した。死刑制度を保有している韓国やアメリカの多くの州でも執行は停止されており、死刑は先進国ではすでに廃れた制度だと言える。
そして、今年8月末に死刑が執行された際、例えば、ドイツ大使館が非難の談話を出したり、日弁連が抗議声明を出したりしたように、死刑に対する考えは変化していっている。
だが、国内外から死刑廃止の声があがった数日後に行われた大臣就任会見で、松島氏は、死刑に「賛成する」と言ってしまったのである。時代錯誤というか、時勢を読み取っていないというか。
ところでヨーロッパで死刑制度なんてものがありえないと考えられはじめたのは意外と最近のことで、たとえばフランス(つまり、国王も国民もギロチンにかけてきた国)で死刑制度が廃止されたのは1982年になってからだ。当時、死刑廃止論者は6割程度いたという。
当時のミッテラン大統領は、「良心において死刑に反対する」と述べ、「私の良心と反対のことを言っている世論調査は読む必要がない」と言い放った。世論調査をよりどころにする松島氏と正反対なわけだ。
今や、死刑制度廃止はミッテランの最大の偉業と言われている。そもそも、「ナショナリズム、それが戦争だ」という名言を残したミッテランと、ナショナリズムに突き進む安倍内閣を比べるのは非常にばかばかしいことかもしれないが。
あいた口がふさがらない!
このようなレベルでも「朝日」の記者になれたんですね。追い出されて政治家になったのか?
ヤジの主を睨む形相も醜悪そのもの。
左だろうが右だろうが、下品過ぎておよそ政治家になってはいけないヒトです。
しかし、こういうヒトたちこそが、安倍サンの好みなんですね。情けないし恐ろしい。
新聞を読むようになって半世紀あまり、これほど質の低い内閣と周辺は知りません。
アチコチのサイトで無料記事しか読めません。
“アラ後期高齢者”につき、非会員で誠に申し訳ありません。