「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪である」 〜今、なぜ、アーレントなのか? 講師 志水紀代子氏 2014.2.28

記事公開日:2014.2.28取材地: テキスト動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

(IWJテキストスタッフ・山之内/奥松)

 2014年2月28日、大阪市中央区のドーンセンターで、追手門学院大学名誉教授の志水紀代子氏を講師に招き、「今、なぜ、アーレントなのか? 映画『ハンナ・アーレント』と蔓延する『悪の凡庸さ』」が、「フォーラム 労働・社会政策・ジェンダー」の主催で行われた。

 この講演は、2013年に全国各地で公開された、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の映画『ハンナ・アーレント』で描かれたユダヤ人女性哲学者、ハンナ・アーレントの思想と行動の現代的な意義を、志水氏が自らの人生体験と関わらせつつ語る、という形でおこなわれた。

 速水氏は、映画でとりあげられた、ナチスのホロコーストにおける責任者の1人、アドルフ・アイヒマンの罪は、想像力を欠く「完全な無思想性」であったこと、世界を簡単に判断することなく、理解しようと考え続ける努力が大切であることなどを、アーレントの言葉を引用して語り、その哲学の意義を示唆した。

■ハイライト

  • 講演 志水紀代子氏(追手門学院大学名誉教授)
  • 講演後の質疑応答は録画に含まれません。

女に哲学は向かない? そして、アーレントに出会う

 まず、志水氏は「おおまかな自分史」として、18歳でのキリスト教入信と、その後の教会からの離脱、60年代安保闘争の世代であること、大阪大学でカント哲学を専攻し、「世界の中に自由を実現する」というテーマで卒論に挑むが、教師からは「女に哲学は向かない」と言われたことなどを話した。

 その時、アーレントの著作『カント政治思想の講義』を読み、「自分の言葉で哲学を語って良いのだと、目から鱗が落ちたような体験をした」と言い、また、バレーボールを通じて、他人を助けながら、自分が生かされているという体験をしたことが、「自分の哲学の元のひとつである」とした。そして、アーレントも考察しているカント哲学の、現代における意義についても触れた。

アイヒマン裁判の背景と「悪の凡庸さ」

 次に志水氏は、映画『ハンナ・アーレント』でとりあげられたアイヒマン裁判(ナチスのホロコーストのため、ユダヤ人移送をおこなった最高責任者のアイヒマンを、建国間もないイスラエルが裁いた裁判)について、裁判に至る経緯、この裁判が、イスラエルにおけるホロコースト認識に転換点をもたらした背景を説明した。

 そして、反ユダヤ主義、全体主義の根源を追求していたアーレントが、アイヒマン裁判を取材し、そこに、善悪を問わず、命令に従っただけの人間の姿を見出して、大きな衝撃を受け、「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪である」「悪の凡庸さ」と表現したことを紹介した。

 さらに、アーレントが「アイヒマン裁判はイスラエル建国正当化のショーである」と批判し、ユダヤ人組織がナチスに協力した事実に触れた記事を書いたことで、同胞から大きな非難を受けたこと、それに彼女がどのように対処したかが、映画の焦点になっている、とした。

 志水氏は「考えることを停止したことが、一番大きなアイヒマンの罪である」というアーレントの考えを紹介し、パレスチナ問題を扱った『ルート181』というドキュメンタリー映画を例に挙げて、問いを発して考えることの重要性を強調した。

暗い時代の人間性

(…会員ページにつづく)

アーカイブの全編は、下記会員ページまたは単品購入より御覧になれます。

一般・サポート 新規会員登録単品購入 330円 (会員以外)

関連記事

「「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪である」 〜今、なぜ、アーレントなのか? 講師 志水紀代子氏」への1件のフィードバック

  1. @55kurosukeさん(ツイッターのご意見) より:

    「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪である」 〜今、なぜ、アーレントなのか? 講師 志水紀代子氏 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/127100 … @iwakamiyasumi
    判断することの重要性、簡単に決めつけず理解する努力を続けることの大切さについて、考えてみませんか。
    https://twitter.com/55kurosuke/status/702405803790221312

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です