2012年2月2日(木)、大阪市内で、立命館大学国際関係学部の大島堅一教授(国家戦略室需給検証委員会、大阪府市エネルギー戦略会議委員)が、『ドイツ反原発運動小史』著者で、環境歴史学者のヨアヒム・ラートカウ氏へインタビューを行った。通訳は、関西学院大学の朴勝俊(パク・スンジュン)教授が務めた。
ラートカウ氏は、1970〜80年代、ナチスに追われアメリカに移住した科学者について研究。移住者にはマンハッタン計画に関わった者が多く、ホロコーストを逃れた者たちが原爆開発に関わるという皮肉を著した。
福島第一原発の事故原因のひとつとして、日本の最先端の科学者は原子力に希望を見出していなかったという自身の分析を挙げ、「逆に先端の技術者らが開発に関わっていれば、既に問題が指摘されていた沸騰水型原子炉をアメリカから輸入することは避けられたのでは」と指摘した。
脱原発でドイツが日本を先行する理由について、ラートカウ氏は歴史を紐解きながら解説。
「2度の大戦を経て簡単にリスクに慎重な側面があり、1950年代には既に、アメリカよりも厳しい安全性を求めていた。また1972年には連邦行政裁判所(日本での最高裁)が、原子力を進める基本法では経済性より安全性を重視すべきとの判断も出されている」と紹介。こうしたさまざまな政治や制度の動きが、運動の成功する背景にあったと分析した。