「下流老人」の著者 藤田孝典氏 講演会「若者・高齢者の貧困の連鎖と対抗法」 2016.3.22
2016年3月22日(火)、京都市中京区のラポール京都で、「下流老人」の著者で聖学院大学客員准教授の藤田孝典氏による講演会「若者・高齢者の貧困の連鎖と対抗法」が開かれた。
2016年3月22日(火)、京都市中京区のラポール京都で、「下流老人」の著者で聖学院大学客員准教授の藤田孝典氏による講演会「若者・高齢者の貧困の連鎖と対抗法」が開かれた。
2016年3月22日(火)、大阪市中央区の大阪府庁本館で、大阪市内の大手コンビニで連続して起きた「ブラックバイト」事件と二つの学生アルバイトユニオンの合同団体交渉による事件解決の報告記者会見が開かれた。
2016年3月21日(月)、東京都港区のIWJ事務所にて、『小説 外務省II~陰謀渦巻く中東』刊行企画!と題して、岩上安身による元外務省国際情報局長・孫崎享氏インタビューが行なわれた。
2016年3月21日(月)、東京都新宿区の東京都庁前にて、「築地市場を存続させろ!東京都は土壌汚染と設計ミスの『豊洲新市場』開設を断念せよ!都庁前アクション」が行われた。
2016年3月21日(月)、京都市の京都タワー前にて、「市民共闘で実現する、みんなで選挙ミナセン×ママの会京都×あすわか街宣」が行われた。
2016年3月21日(月)、東京都港区の劇団俳優座5階・第一稽古場にて「俳優座『反応工程』を成功させる会 記者会見」が行われた。ちなみに、岩上安身も呼びかけ人で参加している。
2016年3月21日、三重県津市のアスト津において、講師に電気をカエル計画代表の石井伸行氏を迎え、「電力自由化の光と影〜電力自由化で脱原発するために〜」 と題する学習会と意見交換会が開かれた。
2016年3月21日(月)、東京都港区の 劇団俳優座5階・第一稽古場にて、「俳優座『反応工程』を成功させる会 キックオフイベント」が開催された。
2016年3月21日(月)、福島県二本松市の 福島県男女共生センター大ホールにて「県民公開討論会 ―各党に問う― 市民の声をどう表現するのか」が開催された。
2016年3月21日(月)、大阪市北区のヨドバシカメラマルチメディア梅田前で、安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める関西市民連合による街宣活動が行われた。
2016年3月20日、石川県金沢市の金沢駅前において、17時過ぎより、日本共産党・石川選挙区から立候補予定の亀田良典氏と比例選挙区から立候補が予定されている武田良介氏の街宣が行われた。
2016年3月20日(日)、東京都渋谷区の渋谷駅ハチ公前にて、「MIDDLEs主催 渋谷駅ハチ公前街宣 市民のつながりで野党共闘を応援しよう」が行われた。
2016年3月20日(日)、東京都新宿区の新宿アルタ前にて、AEQUITAS新宿大街宣が行われた。
2016年3月20日(日)、東京都千代田区の日本教育会館にて、市民の意見30の会・東京/週刊金曜日主催による、「参議院選挙で市民が勝つために ―市民意見広告運動集会―」が行われた。
2016年3月20日(日)、エル・おおさか(大阪市中央区)で開かれた集会「沖縄連帯!『戦争法廃止を求める2000万人署名』を成功させるつどい」で、沖縄平和運動センター・山城博治議長が「沖縄の基地建設阻止の闘いの現状と今後の展望」と題して講演した。
滋賀県米原市の米原公民館で、2016年3月20日(日)14時より講演会「小林節さん大いに語る」が開かれ、小林節・慶応義塾大学名誉教授(憲法学)が「『憲法の危機』に立ち向かう」と題して講演を行った。
平和を願って2001年から石川県金沢市で行われている「ピースウォーク金沢」が2016年3月20日(日)13時半より「抱きしめるだけでは守れない PEACEにVOTE!」をテーマに行われた。ゲストにSEALDs(シールズ)の本間信和氏、植田千晶氏が招かれた。21日(月・休)には、湯涌創作の森で両氏のトークイベントも開かれる。
茨城県牛久市の牛久市中央生涯学習センターにおいて、2016年3月20日(日)10時より小出裕章氏(元京都大学原子炉実験所)講演会「福島原発事故から5年 どこへ行く?原発と核のゴミ」が開かれた。
安保関連法の廃止などを求めて野党の協力と候補の一本化を訴えている岡山県のグループ「おかやまいっぽん」が、2016年3月9日(水)と13日(日)、民主・維新・共産・社民の各党事務所を訪ね、申し入れを行った。
※本ブログは、2013年9月19日にアップされたものを再掲したものです。
お盆は、先祖の御魂を迎える季節とされています。
母が亡くなり、老いた父が最晩年を迎え、法事も長男として引き継がなくてはならなくなった40代、先祖供養について考えるようになりました。それが高じて、父方の(つまり岩上家)のルーツをたどって調べる試みをしました。
様々な曲折を経て、四代以上前の墓にたどりつき、先祖が住んでいた土地に供養塔を建てて供養をしたのですが、その折に、ふと、自分の直系の先祖の数を数えてみようと思いつきました。電卓を叩いて驚いたのは、自分に直結する先祖の数の多さでした。