シリーズ: 百人百話
『百人百話』参院選前特集 ―「第六十四話」井戸川克隆さん 2013.7.3
特集 百人百話
<井戸川克隆さん>
福島県原発立地4町と呼ばれるうちの一つ、双葉町の前町長。
震災、そして原発事故を機に、町ごと埼玉県へ避難。
2012年1月の脱原発世界会議や、2013年5月28日スイスの国際連合ジュネーブ事務局で開かれた
国連人権理事会のサイドイベントへ出席し、原発事故への日本政府や福島県の対応を批判するなど積極的な発信を行なっている。
2013年1月23日に町長辞職を表明し、2月12日に退任。
第23回参議院議員通常選挙にみどりの風から比例区で出馬。
百人百話「第五十二話」吉成洋拍さん 2012.2.3
特集 百人百話
「震災前より福島が好きになった」
40歳、福島市在住。家族は妻と小学4年生の娘。みなが集まれる場所を目指したバーを経営。ライフラインが止まるなか、津浪の映像を目にし、恐怖を覚えた。被災者向けの炊き出しで、飲食業に携わる自分を再認識した。避難を勧めた娘に、避難しない友達は死ぬの?自分が吹奏楽部に入らなかったら、あのパートは誰が吹くの?と問われ、娘のコミュニティを壊せないと転校は取りやめた。福島に残ると決めたからには、福島を夢のあるあこがれの町にするよう頑張りたい。
百人百話「第四十五話」橘柳子さん 2012.2.2
特集 百人百話
「私は2度、棄民にされた」
1939年満州生まれ。3.11は音と煙に足が震えた。道は陥没して大混乱。塀は崩れ、水道管は露わに。浪江に向かったが橋は通行止め。かつての引き揚げを思い出した。テレビは嘘だと思いながらボーッと見ていた。福島の電力を消費している東京の人たちとは悲しみを共有できなかった。変革は100年かかる。ドイツもイタリアも反原発宣言をしたのに、日本はなぜ? 国策で二度「棄民」とされた。最初は戦争、二度目は3.11。正確な情報を知らされないまま、捨て置かれた。
百人百話「第四十二話・第四十三話」木幡仁さん、木幡ますみさん 2012.2.1
特集 百人百話
「もう大熊町には住めない」
郡山市出身。56歳。家族は夫の仁さんと子ども3人。事故後、情報は原発で働く友人から得ていた。もう戻れない、構内はぐちゃぐちゃ、放射線が出ていると聞かされた。原発で働く息子をもつ母親は、戦争に取られたようなものと歎いていた。会津若松の図書館でネットを閲覧し、放射線量を調べ、新聞にして周囲に伝えた。今後何十年も帰れないなら大熊町のことは思い切るべき。一時帰宅のたびに線量が高くなる現実を前に、中間貯蔵施設に賛成の要望書を国に提出した。
百人百話「第四十二話・第四十三話」木幡仁さん、木幡ますみさん 2012.2.1
特集 百人百話
「原子力発電所というのは、この世から抹殺すべき」
大熊町生まれ。東北大学に進学後、実家に戻り、最近まで町会議員を勤めていた。事故後、避難所で過ごすうちに、持病の腎臓病が悪化し、妻の腎臓を移植する手術を受けた。町長は脱原発を標榜するつもりはないと言ったので、原発立地の町としてこのままで良いのか、また、無投票選挙も良くないと考え、町長選に打って出た。破れはしたが、4割の支持を得たことには意味があると思っている。術後体調は良いので、今後も必要があれば再度町長選に挑戦する気持ちもある。
百人百話「第五十話」佐久間理江さん 2012.1.22
「『避難』を選ばなかったわが家」
福島市渡利在住 34歳、子ども 3人。養護学校教師。会津に単身赴任中の夫とは福島大学で同窓、ともに理科を専攻。3号機の爆発を見たときは、この先どうなるのかと不安だったが、政府の「直ちに健康に影響はない」を前提に、避難するリスクより留まる方が良いと判断。アトピー治療の経験から、自己免疫力が重要だと思っている。恐怖や不安を抱かず、まずは安全な食べ物を子どもたちに与え、健康を人任せにしないことが大切だと考えている。
百人百話「第五十七話」須藤久孝さん 2012.1.21
特集 百人百話
「『福島産』と名がついたものは全部敬遠される」
会津若松市在住。65歳。子ども3人は独立し、いまは母と妻との3人暮らし。米専門の農家。会津は四方を山に囲まれたすり鉢型の盆地で、会津米は福島を代表する米。農家は売ってくれる農協に任せるという姿勢に傾きがちだが、努力せず自主性を失っていけばダメになる。事故直後、行政も農協も作ってはいけないとは言わず、ただ大変だ、だけ。結果、汚染されたものが出回ってしまった。線量は農作物すべてを計るべき。行政や農協に頼りすぎのありかたはマイナスだ。