シリーズ: 百人百話
百人百話「第十八話」佐々木慶子さん 2011.10.14
特集 百人百話
「シニアが頑張るしかないんじゃないかな」
福島市在住。60歳。元教師。子どもは独立し、現在は夫と2人暮らし。「ふくしまWAWAWAの会」代表。「沈黙のアピール」呼びかけ人代表。3つのWAは「環・話・和」の意味。対話による平和的手段での問題解決をめざす。理想は共存を超えた共栄。若い人たちは避難してほしい。自分たち世代には、こういう環境にした責任がある。このまま生涯現役で、会いたい人がいて、お気に入りの場所があるこの福島で、自分なりの役割を果たしていきたい。
百人百話「第三十三話」大山弘一さん 2011.11.26
特集 百人百話
「逃げる油がないっていうのが一番の恐怖」
南相馬在住。49歳。妻と小学生の子ども2人。高校で陶芸を教えていたが、2010年市南相馬市議会議員に。事故直後は、ライフラインの状況、津波の心配で頭のなかはいっぱい、原発については、ネットで情報を得るまで安全神話のなかにいた。大切なのは、命、家庭、経済の順だと思うが、現実には経済が優先されている。安心して食べることができ、子どもたちを育てられる環境が確保できない国に、将来はない。美術も宗教も無力、すべては形骸化していたと思う。
百人百話「第十三話」タネイチヤスユキさん 2011.9.1
特集 百人百話
【お詫びと訂正】
以下、『百人百話 第1集』より引用
ニュースにもなっていますから、みんなわかっていると思うんで出しますけど、双葉町長が埼玉に避難していて、埼玉から国会に「7号機、8号機を作ってください」と陳情に行っていたという話。あと福島県知事の佐藤雄平さんが、さすがに追い込まれて「もう原発は動かせない状況になりました。1号機、2号機、3号機、4号機は廃炉にします。5号機、6号機は考えます」という結論を出したんですけれども、その時にも、その町長は「寝耳に水だ」というふうな発言されているわけですね。5号機、6号機がある大熊町長も、何かびっくりするような発言を確かしてたはずなんですよ。
百人百話「第十一話」志田守さん 2011.9.1
「なんでもないことを奪われている」
郡山市在住。60歳。学習塾経営。妻と子ども2人の3人家族。福島の子どもたちを疎開させようと、「ハーメルン・プロジェクト」を立ち上げる。妻子の避難先である岡山県と郡山を往復しながら、事故により家族が分断されたことに怒りを覚える。原子炉を作っている会社の製品は買わない、原発を推進する政治家には1票を投じない。ささやかだが、意識して判断することが必要だと、機会あるごとに人に話す。いま、ひとりひとりの考え方、生き方が問われていると思う。
百人百話「第十話」遠藤浩二(DJ mambow)さん 2011.9.1
特集 百人百話
「気がついたら20km圏内にいた」
郡山市在住。35歳。DJ、東北関東大震災支援隊本部“BOND&JUSTICE”のメンバー。妻と子ども3人の5人家族。事故直後、いわきを中心に炊き出しや物資の配達に音楽仲間と走り回る。5月末、子どもが通う郡山の小学校に掛け合い、線量測定を実施したところ、「はかるくん」と持参した最新鋭のガイガーカウンターとの数値の違いに驚く。避難は自分で判断するしかない。子どもの将来を思い、後悔だけはしたくないと妻子を新潟に避難させた。
百人百話「第五話」アンナさん 2011.8.25
特集 百人百話
「自分が夢を捨てられないんです」
福島市在住。29歳。小学生と園児、4人の子どもをもつシングルマザー。現在職業訓練中。子どもたちの将来を考えると、すぐにでも避難したほうが良いと思う。けれど知らない土地で、ひとり育てていけるのかと考えると、不安が先に立つ。避難することで県の援助が打ち切られ、学校に通えなくなれば、就職のチャンスも失う。自分の夢を捨てたくないという思いと、親としての責任が果たせていないのではという思いに、自分を責めてしまう。
百人百話「第三十四話」ヨシダさん(仮名) 2011.10.23
特集 百人百話
「原発の話をすると帰るお客さんが多い」
原発関連で働く父と専業主婦の母、姉と妹の5人家族。浪江町の自宅は現在立ち入り禁止。周囲は原発推進派に入れば安泰というような環境で、安全神話をすり込まれたが、情報漏洩もあり、ずっと不信感を抱いていた。原発マネーで育ったことが後ろめたくもあった。けれどその原発のために、故郷や多くのモノを失った。事故は現実だが、何となく夢のなかの出来事のような気がする。今後は世の中の動向を見つつ、自分の心のなかも、ゆっくりと整理していきたい。