広瀬隆講演会「原発・福島・人権、そして憲法! 福島の子どもたちを救おう!」 2013.6.2

記事公開日:2013.6.2取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)

 2013年6月2日(日)10時から、福島県福島市にあるアオウゼ多目的ホールで「広瀬隆講演会『原発・福島・人権、そして憲法! 福島の子どもたちを救おう!』」が行われた。普段は原発関連の講演が多い広瀬隆氏は、「今日は憲法を柱に話をする。テレビや新聞が報道しない内容なので、帰ったらぜひ、みなさんの家族や周囲の人に広げてほしい」と呼びかけた。

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・1/2(09:36~ 3時間0分)

・2/2(12:36~ 19分間)

 広瀬氏のスピーチに先立ち、この講演会を主催した、ふくしまWAWAWA-環・話・和-の会の代表、佐々木慶子氏が安倍内閣への思いを口にした。「安倍内閣は、なぜ、これほどまで高い支持率を保っているのか。安倍総理は、トルコやインドへ原発を輸出する方向性も示しているが、経済効果がそんなに大事なのか。原発には、どこから見ても肯定に値する要素が見当たらない」。また、憲法改正問題に触れ、「安倍内閣は、国家主義を日本へ導入しようとしている。このまま日本人が国家主義に巻き込まれてしまえば、日本の将来は、非常に暗いものになるのではないか」と語り、現下の改憲ムードの高まりを危惧した。そして、「われわれは、国民主権という力でもって、大権力と戦わねばならない」と力説した。

 続いて登壇した広瀬氏は、まず、福島県の富岡町や双葉町の現状を伝えるスライドを上映した。JR双葉駅の売店に、今なお2011年3月11日の朝刊が置かれている画像に目をやりながら、「実にショッキングな光景だ。人が入れない町は、こんなふうになってしまうのか」とコメントした。その上でこの5月28日に、双葉町の警戒区域が避難指示解除準備区域と帰還困難区域に再編されたことに言及し、再編といえども、双葉町のほとんどの住民は、原則立ち入り禁止の帰還困難区域に属している現実があることから、「今回の再編を、復興への一歩と認識するわけにはいかない」と語った。

 その後、今年4月に日本語版が刊行された『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』(アレクセイ・ヤブロコフら共著/岩波書店)の中から、放射線による健康被害の実態を示す、いくつかのデータを紹介した。「ウクライナの放射能汚染地域では、健康な子どもの割合が、原発事故直後の1987年の27%から、17年後の2003年には7.2%に減っている」などと説明し、「福島原発事故からまだ2年余り。今後、福島では、年を重ねるにつれて健康被害が表面化するだろう」と予見した。

 話題は憲法に移り、日本国憲法の施行によって日本がどう変わったか、当時、GHQ(米政府の対日占領政策機関)が日本国民に配布したチラシを示して説明した。「以前は天皇がいて、その次に貴族が偉くて、人民の女性が末端だったが、憲法施行後はみな平等になった」。その上で広瀬氏は、国民に主権がある、こうした憲法の条文に対し、「GHQが定めたもの」との認識が存在することを痛烈に批判。「最近の新聞では、石原慎太郎氏(日本維新の会)の、この種の発言がたびたび紹介されるが、石原氏への反論がないに等しいのは由由しき状況だ」と力を込めた。

 「改憲の動きには、正しい歴史認識で対峙すべし」と主張する広瀬氏は、敗戦から日本国憲法制定までの流れを解説した。敗戦翌月の1945年9月から、憲法づくりに向けて、日本に複数の動きが起こったことを紹介し、鈴木安蔵氏(憲法学者)のグループの動きのみを評価した。「このグループは、言論の自由、男女平等、生存権、平和思想など、民主国家の屋台骨となる思想を盛り込んだ草案を、1945年末に作った。天皇に関しては、天皇制廃止には踏み込まず、礼儀的存在に後退させるとした。この鈴木草案に(日本に強い民主化政策を求めていた)GHQが注目した」。

 そして広瀬氏は、1946年に入って、こうした動きに慌てた当時の日本政府が、封建色の強い憲法試案(松本試案)をまとめたことに触れ、「松本試案の存在を、毎日新聞のスクープを通じて知ったGHQは、その内容に呆れて、GHQ草案を急ごしらえした。そのベースになったのが鈴木草案だった」と指摘して、次のように強調した。「GHQの動きを知らない日本政府は、民主化にはほど遠い松本試案をGHQに持ち込み一蹴される。そして、GHQ草案を突きつけられるのだが、テレビなどは、ここから先の話だけを取り上げて、『GHQに押し付けられた憲法』といった言葉を使うのだ。今の新聞記者は、鈴木安蔵の名前すら知らないのでないか」。

 さらに広瀬氏は、1945年末に実施された、内閣府情報局による世論調査の結果を紹介して、「当時、国民の4分の3が憲法改正を要求しており、天皇制の改革、貴族院の廃止、国民主権などを望んでいた。日本国憲法は、当時の日本国民の熱意の結晶だ」と力を込め、「吉田茂氏や白州次郎氏は、当時の民意に無駄な抵抗を続けた」と批判した。続けて、「ポツダム宣言11条に謳った『再軍備は許さない』という条項を生かすために、国際紛争を解決する手段としての戦争放棄が、憲法9条に規定された」と話し、日本国憲法の成立と、戦後の民主化運動、平和運動がリンクした動きを解説した。

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