【IWJふり返りレポート・熊本・大分大震災取材&支援②】「本震」直後の出産!強い余震が続くなか、「もう産むしかない」と決意~4月18日、IWJ特派チームは聖粒会慈恵病院へ支援物資を届け、看護部長と「本震」直後に出産された女性にインタビュー! 2016.10.10

記事公開日:2016.10.10取材地: | テキスト独自
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(取材:高橋敬明・安道幹、文:安道幹、記事構成:岩上安身)

 IWJ九州緊急特派チームが熊本市内に入って2日目の4月18日。特派チームは、熊本市内にある「医療法人聖粒会 慈恵病院」へ向かうことにした。これは、「本震」と呼ばれる地震が発生した4月16日に、代表である岩上安身のツイートで、「市内の医療機関、患者さん用の食事・水の備蓄が苦しくなっている」「コウノトリのゆりかごで知られている、慈恵病院、現在84名の入院患者18日(月)夕食の分でなくなる」という知らせを受けたためだ。

 慈恵病院は、産婦人科が主な診療科であり、様々な事情で育てられない赤ちゃんを、親が匿名で託すことができる「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」を設置していることで有名だ。特派チームは、食料品や飲料水などの支援物資を届けるとともに、看護部長・竹部智子氏に病院の被災状況についてお話をうかがった。また、地震直後に出産した方が複数名おり、そのうちのお一人に、当時の出産状況についてインタビューすることもできた。

 以下、看護部長・竹部智子氏へのインタビューと、4月16日の「本震」直後に出産された女性へのインタビューの模様を掲載する。

▲医療法人聖粒会 慈恵病院

▲医療法人聖粒会 慈恵病院

▲慈恵病院看護部長 竹部智子氏

▲慈恵病院看護部長 竹部智子氏

■ハイライト

  • 日時 2016年4月18日(月) 11:45~
  • 場所 医療法人聖粒会慈恵病院(熊本県熊本市)

「しばらく皆さんの善意でやっていけそうです。本当に人の輪のありがたみを感じているところです」

――病院はまだ断水状態が続いているんですか?

竹部氏「ちょうど今日ですね、自衛隊さんがこちらに回ってきてくださって、水のタンクに入れてもらえました。ただ毎日は来れないということなので、どのように使い分けするか考えながら、みんなで乗り越えたいと思っています」

――断水が続いて病院としては具体的にどういったところで困ってらっしゃいましたか?

竹部氏「処置をしたあとに、私たち必ず手洗いをしないといけないんですが、そういう基本的なところで困ったり。診察に使う機械を、洗浄できなかったり。あと一番は、患者様の食事を作るときに、とても不便で大変でした」

――病院には何人の患者さんが入院されているんですか?

竹部氏「85~87人くらい入院しています」

――支援物資の状況はいかがですか?

竹部氏「昨日、トイレットペーパーの呼びかけをして、ケースで届いたりして、しばらく皆さんの善意でやっていけそうなくらい集まっています。本当にあっという間に皆さん、用意して持ってきてくださって。本当に、人の輪のありがたみを感じているところです」

――我々のツイートに、こちらの病院で、18日の夕食分までしか食料がないという書き込みもありました。その後、いかがですか?

竹部氏「はい。その後、それをお伝えしたので、本当にたくさんのレトルトや缶詰、パンとかをお寄せいただいて、皆さんの善意を感じてします。今のところ、困らないような形で患者様にご提供できるようになっています。どうしても、赤ちゃんとお母さん、妊娠中の方も多いので、しっかり栄養をですね、摂っていただければと思っています」

▲病院に届けられた支援物資

▲病院に届けられた支援物資

「もう立っていられなくて、患者様のところにというより、とりあえず収まるまで、先生と一緒に、もうどうしようかという状態でした」

――今回、本震も余震もすごく大きかったようですが、病院での揺れはいかがでしたか?

竹部氏「そうですね。もう相当でした。私もまだ病院にいて、一回目の前震(14日)の時、もう立っていられなくて、患者様のところにというより、とりあえず収まるまで、先生と一緒に、もうどうしようかという状態でした」

――本震(16日)があったときは病院にいらしたんですか?

竹部氏「本震のときは、ちょっと家に帰ってたんです。すぐ近くなので。すごい揺れだったので、どうなったかなと思ったら、地割れをしていて。とりあえず、病院に走って行きました」

▲病院付近の様子

▲病院付近の様子

 ▲病院の駐車場。地割れを起こしている。

▲病院の駐車場。地割れを起こしている。

▲マンホールが浮き出ている。

▲マンホールが浮き出ている。

「恐怖を感じておられる患者様には、病院の1階ロビーで、一緒に過ごしていただくようにしました」

――病院の中の様子は、その時どうでしたか?

竹部氏「2回目の時(本震)には、病院の中はもうぐちゃぐちゃで、棚の中のものが何でも落ちてる状態で。皆さんもとても恐怖を感じておられて、建物の外に避難しました。しばらく様子を見て、少し寒かったのと、もう帰れるかなと思ったので、そのタイミングで病院の1階ロビーで、一緒に過ごして頂くようにしています。やっぱり、皆さん個室にいる方も、夜が怖いとおっしゃられる方が多くて」

――患者さんたちは今でも、1Fロビーで過ごされているんですか?

竹部氏「今もそうですね。今でもだいたい10~15人くらいは下に降りてこられて寝られる方もいますし。昨日から強い余震がなくなってきたので、お部屋に行かれる方も多かったんじゃないかと思います。あとは近所の方で、被災されている方が泊まりに来られたりしています」

▲病院の1階ロビーの様子。余震の恐怖を感じている患者たちが、ここで夜を過ごしている。地元住民の避難先としても開放されている。

▲病院の1階ロビーの様子。余震の恐怖を感じている患者たちが、ここで夜を過ごしている。地元住民の避難先としても開放されている。

「インターネットの力とか、本当に凄いなと思ったところです」

――今、いろんな支援物資が到着しているということですが、今なお、足りていないもの、必要としているもの、もしあれば教えていただけますか?

竹部氏「おかげさまで、この先1週間くらいはですね、飲料水も確保できたと思っています。その先の見通しは立たないと言われてまして。あとは物流の加減で困るところは出てくるかもしれません。本当にありがたかったんですよ。あっという間に集まったので。インターネットの力とか、本当に凄いなと思ったところです」

――この間、行政から何かしらのコンタクトはありますか?

竹部氏「聞き取りとかはやってます。お水なども、まったく出ないところとか、被災状況が大きいところから優先順位をつけるということで、当院は今日はじめていただけることになりました」

「地震直後に、9人ほど生まれてます。私も一例は立ち会いました。本当にお母さんが不安の中でもがんばられたと思います」

――こちらの病院は何科があるんですか?

竹部氏「産婦人科がメインで、内科と外科があります」

――震災直後に出産された方はいらっしゃいますか?

竹部氏「そうですね。ちょうどおられます。直後に9人ほど生まれてますね。私も一例は立ち会いました」

――どんな状況でしたか? 震災直後ということで、かなりバタバタされていたと思うんですが。

竹部氏「余震が続いてましたけれども、お母さんがすごく頑張られて、出産されました。ちょっと環境がですね、分娩室にお連れできなかったんですけれども、みんなでですね、がんばろうということで、いいお産をされたと思ってます。でも、本当にお母さんが不安の中でもがんばられたと思います。赤ちゃんもお母さんも元気にされてます」

 看護部長竹部氏のインタビューが終了した後、4月16日の「本震」の直後に出産された女性を紹介していただくことできた。以下、インタビューの様子を掲載する。

▲4月16日の「本震」直後に出産された女性にインタビュー

▲4月16日の「本震」直後に出産された女性にインタビュー

4月16日午前1時25分の「本震」の時に陣痛がはじまり、午前3時3分に出産!~「ちょうど分娩室に移って、横になったときに揺れたんです」

――出産されたのは何月何日ですか?

女性「4月16日の午前3時3分です」

――そうすると、前震(14日)があって・・・。

女性「本震(16日)のときが、ちょうど陣痛のときで」

――そうでしたか。まさにお腹を痛めてるときに、ああいう大きな地震があったわけですけれども。

女性「はい。ちょうど分娩室に移って、横になったときに揺れたんです。かなり揺れたのは揺れたんですけど、痛みもあった。地震も心配だったし」

――そんな中で生まれたお子さん、いかがですか?誕生して。

女性「本当、無事に生まれてくれてよかったなというのが正直なところです」

――お子さんとはすぐに会えたんですか?

女性「最初はちょっと別のところに連れて行ってもらったんですけど、一時間位で会えました」

――そうなんですね。今は体調はいかがですか?

女性「体調は、もう食事も出していただいてるし、大丈夫ですね。今はエレベーターが止まってるから、あんまり赤ちゃんを連れてうろうろしないほうがいいと言われています。出産のあとで足腰もまだ弱っているから」

――ご家族は今、熊本市内に?

女性「いいえ、私、里帰り出産で熊本にいるんです」

――そうなんですね、普段はどちらにいらっしゃるんですか?

女性「東京都なんです」

――ご主人は心配されたでしょうね。

女性「心配してますけど、来るに来れない状態ですからね。交通手段がないから」

――この病院だけでも、震災直後に生まれたお子さんが複数人いらっしゃるようです。そういう方とお話はされますか?

女性「一緒に駐車場まで逃げたときは、地震の直前に産んだという人がいて」

――お産がはじまる、まさに直前に外に逃げられたんですね。だいたいどれくらい駐車場にいたんですか?

女性「どれくらいいましたかね・・・。1時間もいない。30分くらいだったかと思います。分娩室にいたんですけど、揺れが強かったんで、外に逃げましょうということで、いったん駐車場の方に逃げて、それで、もう一回本院の方に戻ってきて、産みました」

――そういう時に、え?駐車場に行くの?と思いませんでしたか?

女性「思いました(笑)しかも、もう歩いていくしかなかったので。ずっと痛いわけじゃなくて、ちょこっと痛くない時間帯に、歩いてっていう感じで」

――16日の本震は夜の1時過ぎだったと思いますが、その直後ですから、余震も続いていたと思います。出産の時に、まさに建物も揺れながら・・・。

女性「はい。助産師さんとかも、いっぱい来てくださったので、安心というか・・・」

――心強かった。

女性「はい、そうですね」

「先生とか助産師さんとかに『もうすぐ出てくるから』と言われて、もうがんばろうと」

――非常に強い地震を経験された直後の出産は、まさに異常事態での出産だったと思いますが、気持ちとしては周りのスタッフに囲まれて、安心されていた?

女性「そうですね。不安もあったんですが、もう産むしかないという感じで。そこで止めるというわけにもいかないし。先生とか助産師さんとかに『もうすぐ出てくるから』と言われて、もうがんばろうという感じで」

――出産に集中すると。もしかしたら建物自体が地震で崩れる怖さだってある中で、そういうことは頭によぎったりしませんでしたか?

女性「その時はあんまり考えなかったですね」

――何を考えてましたか?実際。

女性「実際、やっぱり結構痛みが強いので、痛い、というのと、もう早く無事に生まれたらなと思ってました」

「水が出ないのは、衛生状態が悪くなりそう。生まれてから、まだお風呂も入れてなくて・・・」

――市内は断水状態が続いていたり、いろんなインフラが復旧していないと思うんですが、新生児を育てるママとして、今何か困っていることはありますか?

女性「今は病院にいるから。帰ってからの生活の具体的な不安っていうのはないんですけど、水が出ないのは、衛生状態が悪くなりそう。生まれてからまだお風呂も入れてなくて・・・」

 インタビューの途中で、助産師が元気な泣き声の女の子の赤ちゃんを抱いて、部屋に入ってきてくれた。このときのインタビューの模様や、赤ちゃんの様子はこちらの動画からご覧いただくことができる。

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