新基地建設で揺れる沖縄県辺野古 〜カヌー隊を発案した東恩納琢磨名護市議に聞く――ぎぎまき記者による沖縄取材2日目(3月6日) 2015.3.6

記事公開日:2015.3.7取材地: テキスト動画独自
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(IWJ・ぎぎまき)

※3月7日テキストを追加しました!

 「全国からカヌーオーナーを募集して、カヌーを預かる代わりに、使わない時は環境教育や基地建設反対運動で使わせてもらいました」

 連日、大浦湾海上で、新基地建設作業を進める防衛局に抗議するカヌー隊だが、カヌーを使った抗議行動を発案したのは、地元出身の市議会議員、東恩納琢磨(ひがしおんなたくま)議員だった。

 IWJは3月6日、東恩納議員の自宅を訪問し、建設作業を強行する政府と、それに反対する市民の攻防が繰り広げられている名護市について、話を聞いた。

 議員の前は土建会社に努めていたという東恩納議員は、キャンプ・シュワブ内の工事に携わったこともあるという。しかし、普天間飛行場の移設先に名護市の名前が浮上したことをきっかけに、基地建設事業で生業をたてる未来に疑問を抱き、退職。1997年に行われた、基地建設の賛否を問う住民投票には、住民投票条例の制定から積極的に関わったという。

 投票の結果は、基地建設反対が優勢。しかし、当時の比嘉鉄也名護市長は、基地建設反対から容認に転じ、首相官邸で開かれた会見で、基地受け入れを表明した。市長の手のひら返しは名護市に混乱を招き、地域は、その後、基地容認と反対に二分されることになる。

 97年以降、基地建設をめぐって翻弄されてきた名護市の変遷と、2010年に稲嶺進現市長が誕生してから、大きく変わっていった名護市について、東恩納議員に話を聞いた。

■イントロ

  • 東恩納琢磨(ひがしおんな・たくま)氏(名護市議会議員)
  • 日時 2015年3月6日(金)16:40頃~
  • 場所 沖縄県名護市瀬嵩(せだけ)

キャンプ・シュワブ内の工事にも携わっていた東恩納議員

IWJ「1997年に行われた、基地建設の賛否を問う住民投票について教えてください」

東恩納琢磨議員(以下、東恩納・敬称略)「97年、私は土建会社に勤めていました。どちらからというと、基地を建設する側。当時、実際にキャンプ・シュワブ内の工事もやっていました。土木というのは公共事業ですから、地域が豊かになる、便利になるという仕事に誇りを持っていましたが、基地をつくるとなると、地域にとっては迷惑な施設なので、そういう仕事で生業をたてていくことに疑問が湧いて、本当にそれでいいのかと思うようになりました。

 反対しても、建設されてしまうのではないかという思いは、ありました。人口の少ない場所ですし、東海岸側は過疎化が進むところです。でも、反対する意志は示さないといけないということで、住民投票で決めようと、市民にとって大切なものは市民が決めるというスローガンで。それで決着を付けて負けたら、土建屋に戻ってもいいのかなと思っていました。住民投票の間は、それに専念したいということもあって、会社を辞めました」

比嘉元市長が、東京で記者会見「基地受け入れを表明」

東恩納「住民投票の結果は、NOという民意でした。当時の比嘉鉄也市長が民意を踏まえて、基地建設にはNOと言ってくれると思っていたんですが、3日後、東京に行った比嘉市長が、東京の官邸で受け入れ表明をし、そして、市長を辞任したんです」

IWJ「それまで、比嘉元市長は基地建設に対して、どういう立場を取っていたのですか」

東恩納「1996年に名護市の名前が取り沙汰された時には、市民大会をやって反対を示していました。その市長が、住民投票後に変わってしまったんです」

IWJ「仲井真前知事のようなケースが、すでにあったということですね」

東恩納「全く同じシナリオです。東京で受け入れ表明をし、辞任。東京に行って、官邸で辞任記者会見をするというのは、人質に取られて、『お前、言え』と言わされたような感じです」

市長選挙で敗北、土建会社を退職後、エコツーリズムに

IWJ「反対の民意を示したのに、手のひらを返すように一転した。住民投票条例の制定から関わっていた東恩納議員が、議員になろうと思ったきっかけは、そこにあるのですか」

東恩納「住民投票が終われば、元の仕事に戻ろうと思っていたのですが、比嘉元市長が受け入れ辞任をしたことで、今度は、市長選挙が始まりました。市長選挙まではがんばろうと。そこで、相手候補が勝ち、『基地問題は終わった』『ノーサイドだ』と言って、反対を訴えた候補は破れました。

 容認派の市長が選ばれたことで、住民運動をしていた地元の人も、(諦めの気持ちから)引いていってしまった。反対をしていた私は、戻りづらくなったというのもあって、豊かな自然をいかしたエコツアーを模索しました。ちょうど、『エコツーリズム』という言葉が流行りだした1997年、8年頃です」

カヌーで阻止行動を発案したのは、東恩納議員だった!

IWJ「後ろにあるカヌーは、その当時使っていたものですか」

東恩納「カヌーを集め始めたのは2000年ぐらいからです。カヌーだと、阻止行動ができるんです。カヌーは、要するに、歩行者と一緒。エンジンがついてないから、取り締まりや規制の対象にならない。佐世保の米軍基地に反対してる人たちがヨットで阻止行動をしているという話しを聞いて。ヨットは無理だけど、カヌーならできるかなと。

 全国から、カヌーオーナーを募集しました。カヌーを持ってる人はいますが、狭い団地やアパートで保管するのも大変だし、こちらで預かって、もちろん、オーナーはこちらに来た時に乗ってくださいと。使わない時はこっちで、環境教育や反対運動で使わせてくれないかという了解を得て。反対運動を視野に入れて集めて、5艇集まりました」

IWJ「今、大浦湾海上で抗議をしているチームは『辺野古ブルー』という名称で活動していますが、東恩納議員はその先駆者だということですね」

東恩納「海でのボーリング調査が始まった時に、船で抗議していた仲間もいたが、何も手出しができなかった。船は乗れる人数も限られる。カヌーは免許も必要ない。身体1つで、多くの人が参加できる。97年の住民投票で示した名護市民の民意が、拠り所でした。その民意を無視して建設するのはおかしい。だから抗議をした。私たちには、抗議する権利があると」

稲嶺進名護市長誕生の背景

IWJ「2010年に、基地建設反対を掲げた稲嶺進名護市長が誕生した時は、どんな思いだったのですか」

東恩納「それまでも2度、市長選挙があり、その都度悔しい思いをしていました。革新から反対派の候補が2人出てしまって、それで負けた時が一番悔しかったですね。一本化してたら勝てたのではないかと、あれを踏まえて、2010年の(稲嶺市長の)一本化に結びつき、稲嶺市長を誕生させました。2010年までは選挙のたびに負けて、これでもかと打ちのめされてきましたが、それでも、97年の住民投票の民意がそれを覆した。

 その当時は、国も強引にはしなかったですよ。2004年に海上で阻止行動をしていた時も、海上保安庁は『危険のないようにしてくれ』と言うくらいだった。今のような、強引なやり方はしなかった。当時から比べて、県知事も、名護市長も反対なのに、国は強行にしてくる。考えられない」

IWJ「稲嶺市長については、どう評価されていますか」

東恩納「愚直、信念を通す方。それは、幼年期に貧乏で苦しい思いをしたからだと思います。この辺は、裕福な暮らしではなく、いっぱいいっぱいの中で培われた信念を持って、(稲嶺市長は)誕生したんだと。政府に、きれいごとを言われても『NO』だという。それは変わらない。この地域から生まれたという信念があるんだと思います。揺らぐことはない。日に日に、力強く、頼もしく思っています。子どもたちに、負の遺産を残すわけにはいかないという視点で、政府と向かい合っている。力強く思っています」

反対派の市長がもたらした、基地に頼らない地域力

IWJ「稲嶺名護市長が誕生してから、地域経済で大きく変わったことは」

東恩納「基地に頼らない町づくりには、地域力をどう高めていけばいいのか。高めていくためには、地域が、自分たちで考え、自分たちで作り上げていく『地域提案型事業』を起こさないと地域は活気づかない。市長は『地域提案型事業』を提唱し、地域から上がってきた企画に対して、市が補助金を出して行く。そして、地域は、その補助金をどう使うのか、いろいろなアイデアを出す。うちなーぐちでいうと『じんぶん』と言いますが、知恵を出そうと、地域おこしに取り組み始めたことです。

 (稲嶺市長の)1期目は、再編交付金を拒否しました。拒否というか、国が切ってしまった。1期目はそのやりくりがあったが、2期目からは市長独自のカラーが出てきて、それが地域の活性化にも繋がっている。

 米軍再編交付金は出来高払いで、進捗状況によっても変わりますが、(金額にすると)1億とか2億。札束で頬を叩くようなやり方でしたが、それを稲嶺市長は、真っ向から要らないと。全国、どこの市町村でも、基地に関係なく、補助金はあります。当たり前にあるものを、沖縄では基地がないから補助金がないというのは通じないと思います。

 米軍再編交付金は、防衛省から出ます。しかし、他にも省庁はある。(稲嶺市長は)他の省庁から予算を取ってきたんです。ただ、負担が違う。防衛省の予算は100%です。地元は何も考えなくていい。防衛省が逆に、こういう風に使ったらいいお金がありますよと。職員は何も考えなくなる。企画もしなくていい。

 稲嶺市長はそうではなく、職員力も高めながら、他の省庁から予算を取ってきて、しかも、負担金もあるんだから欲張っちゃいけないと。本当に必要なものを、補助金で賄うんだと。持続できる事業を企画して、作っていくことをやり、それが今、実ってきています。補助金を受けて企画した事業が収益を上げ、市の税収にもなってきている。市の税収も1期目と比べて上がってきています」

稲嶺市長の権限で遅らせている建設工事

IWJ「稲嶺市長は手のひらを返すことはないと」

東恩納「最初の頃は、そういう話をする人もいましたが、今はいなくなりました。そのくらい力強く、頼もしく思っています」

IWJ「翁長県知事は、あらゆる手法を使って、基地建設を阻止すると、埋め立て承認に瑕疵がなかったか検証していますが、名護市長の権限で、基地建設を止めるという具体的な考えが、稲嶺市長にあるのか、すでに実行しているのですか?」

東恩納「市長権限として、河川の切り替えに対してNOと言っている。埋め立て予定地に流れている河川を変更するには、市長の手続きが必要。稲嶺市長は、それは同意しないということで、(防衛局は)設計変更をせざるを得ない。

 (作業で使う)港も、名護市の漁港です。それを使うためには、市長の許可が必要。資材を港から直接運び込むことができない。だから、(防衛局は)基地の中から運ぼうとしているんです。だから時間もかかっている。稲嶺市長の許可が下りないから、工事が少しずつ遅れてきています。

 また、(埋め立てのための)土砂を取るところには文化財があって、その文化財の調査をする必要があると。その間は、土砂は取れないということもあって、土砂の搬入も遅れます。国は今、どこから土砂を持ってこようか考えているのではないでしょうか。稲嶺市長は市長権限を行使して、建設を遅らせているのが事実です」

IWJ「翁長県知事と稲嶺市長は協力関係にあるのでしょうか」

東恩納「想いは一緒だと思います。地元の県知事と市長がNOと言っているのは、国にとってはプレッシャーになっていると思います。それを隠すかの様に強行に走っていますが」

ゲート前での米軍による拘束事件

IWJ「2月22日、キャンプ・シュワブのゲート前で、山城さんが拘束・逮捕された事件についてのお考えを」

東恩納「異常な出来事だったと思います。米軍の警備がやったということは、フェンスの向こうで笑うような表情を浮かべていた憲兵が、(反対行動を)無視できなくなっている。拘束、逮捕については人権問題なので、これから訴えていこうという取り組みも始まっています。30団体で(あの事件が)人権問題だという書簡を、アメリカ大統領やアメリカ大使館、沖縄在米軍人に送ると聞いています」

IWJ「山城さんたちに逮捕状が示されていないことは異例のケースだと、弁護団の弁護士は話しています。今後、刑事特別法が濫用されないためにも検証が必要なのでは。市議会にそうした動きはありますか」

東恩納「市議会ではそうした動きはありませんが、人権団体には取り上げてもらい、弁護士に、法的な立場で検証してもらいたい。軍の警備が、山城さんの両足を何人で引きずり出した。逮捕状もない。あれは拉致と一緒。日本の法律が及ばないところに連れていって、手を後ろに回して、手錠をかけた。犬猫と同じ扱いです。これについては、私も、一般質問で取り上げる予定です」

日本国民が問われている「だだをこねている総理大臣を、いつまで置くのか」

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“新基地建設で揺れる沖縄県辺野古 〜カヌー隊を発案した東恩納琢磨名護市議に聞く――ぎぎまき記者による沖縄取材2日目(3月6日)” への 1 件のフィードバック

  1. @55kurosukeさん(ツイッターのご意見) より:

    【沖縄】新基地建設で揺れる沖縄県辺野古 〜カヌー隊を発案した東恩納琢磨名護市議に聞く――ぎぎまき記者による沖縄取材2日目(3月6日) http://iwj.co.jp/wj/open/archives/237450 … @iwakamiyasumi
    日本国民が問われている「だだをこねている総理大臣を、いつまで置くのか」
    https://twitter.com/55kurosuke/status/574329096966049793

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