「説得する言葉を持たないけれど、権力は持っている」NHK番組改変事件でかいま見た、安倍晋三という政治家の本質 元NHKプロデューサー・永田浩三氏に岩上安身が再びインタビュー  2014.11.12

記事公開日:2014.11.18地域: テキスト 動画 独自
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(IWJ・藤澤要)

特集 憲法改正

 籾井勝人NHK会長。百田尚樹氏をはじめとするNHK経営委員の面々。そして安倍晋三総理——。NHKの周囲に目をやれば、「語るに落ちる人」たちが、引きも切らず舞台上に登場するように見えてしまうのはなぜか。

 11月12日(水)、岩上安身が永田浩三氏に二度目のインタビュー。永田氏は、番組プロデューサーとして長くNHKで活動。安倍総理と同学年でもある。永田氏の経験から日本のメディア史を語る作業は、安倍晋三という政治家の「21年の物語」を辿ることでもある。そこに浮かび上がるものはなにか。「説得する言葉を持たないけれど、権力は持っている」という一人の政治家の姿だった。

 その安倍氏が総理大臣としてある現在の日本。ここで始まりつつあるのは、「戦後作り上げてきたものを崩しかねないおおごと」と永田氏は見る。私たちが置かれているのは「言いっぱなしの嘘が力を持っているという世の中」なのか。永田氏は、「言葉の力を信じてこれからもやっていきます」と心を新たにする。

■イントロ

NHKをよくするために、籾井会長には辞めてもらう

永田浩三氏(以下、永田・敬称略)「籾井会長の辞任を要請しているNHK退職者が、11月初旬に1700人を越えました。この動きはまだまだ続いています。この間の経営委員会で、こうした退職者の動きが議題になって、籾井会長は『OB風吹かさないで欲しい』と言って耳を貸しません」

岩上安身(以下、岩上)「こうした流れを、一般の市民に広げていくという動きはできないのでしょうか」

永田「それが今課題になっていて、市民とNHK退職者が連帯して、NHKをよりよいものにしていく、そのための第一歩として、籾井会長に辞めてもらうということを目指しています。

 今週末、『放送を語る会』が『籾井会長辞任要求』を議題に出して、市民と一緒に訴えていく予定です」

岩上「IWJがその会の中継をしにいきたいと思います。そして、籾井会長とともに辞めてもらいたいのは、NHK経営委員・百田尚樹氏です。

 外国人特派員協会での、山谷えり子・国家公安委員会委員長に対する記者の質問は、在特会との関係を追求するものばかりでした。しかし、最後の最後にNHKの記者が拉致問題について質問し、山谷氏は『待っていました』とばかりに答えたのです。

 その(NHKとの)質疑応答だけがNHKで使われ、放送されました。こういう事態は国民にとって本当に良くないと思います」

永田「NHKのトップ人事に安倍首相の息がかかっていて、原発や外交など、日々のニュースに本質が表れないのは大問題です。

 IWJの記者が取材に来て、その状況を中継していました。会場は満員で大きな反響がありました」

岩上「その会を取材したのはIWJと共同通信だけでした。報道をしないと、なかったことになってしまう。そういう意味で、ネットメディアには大きな意味があります。

 なんで12月に解散総選挙なのでしょうか。3分の2の議席をとって、憲法改正を狙う、という王手飛車取り解散、といったところでしょうか」

永田「消費税増税を最初に考えたのは民主党で、今回は増税を見送ってやるから、自民党に入れて、ということでしょう」

権力による歴史の収奪

永田「ものを考える時、情報が必要ですが、今までどうやってきたのか、歴史的に検証するための、よすがを奪うということを権力は行っています」

岩上「過去の日本政府、日本軍がやってきたことを消去、修正したいというだけではなく、今起きていることさえ、さっさと忘れさせたい、という権力の要求を感じます」

永田「80年代、90年代のウクライナの民主化運動の中で、現地の人が一番大切にしていたことは、ウクライナの歴史を取り戻すということでした。これは安倍首相の『日本を取り戻す』という歴史改竄主義と訳が違い、一度改竄された歴史を、(正しい形で)取り戻す、という真逆の発想です。

 河野談話は安倍首相の目の上のたんこぶでした。安倍首相が国政に出たのは、河野談話が発表された1993年です。いわば、政治家としてのスタート地点に河野談話がありました」

岩上「産経と読売は、吉田証言をまったく採用していなかったのでしょうか」

永田「『強制連行』という言葉を使ったのは、産経新聞と読売新聞です。朝日新聞は『強制性』と言う言葉は書いているけれど、『強制連行』とは一言も言っていません。読売の90年代の人欄で、吉田証言を持ち上げて、きちっと扱っています。産経であっても同じことです。

 朝日のみならず、読売も産経も、吉田氏について、間違ったことを書いている。朝日だけが間違ったわけではない、というのが事実です」

岩上「木村伊量・朝日新聞社社長による謝罪会見で、NHK、読売、産経が激しく叩くこととなりました」

 読売が『朝日新聞には自浄能力がない』と言ったが、では読売はどうなのだ、と言いたいです。これは傍から見て、異様なリンチともいうべき光景です」

永田「メディアは束になって攻撃する相手を間違えていると思います」

岩上「(朝日のように報道すると)『ああ、あんなふうになっちゃうんだな』と、リンチをしている側に思わせ、権力へのさらなる忠誠を誓わせることをやっています。河野談話に書かれている、アジアへの謝罪、反省の姿勢をなかったことにしたいのでしょう」

「慰安婦」問題 国家による謝罪の不在

岩上「『アジア女性基金』の文書中、『多くの女性を強制的に『慰安婦』として軍に従わせた』という記述が、外務省のHPから削除されました」

永田「『基金』のできたいきさつを考えると、被害者たちは国のお金を使っての謝罪を求めていましたが、補償はすでに解決ずみとする日韓条約との整合性が問題視されました。したがって民間の基金を作り、総理大臣からの手紙も添え、公式謝罪ではないが、実質は謝っているという形で機能させようとしました。

 不十分かもしれないけれど、今できることという措置でした。被害女性の中から、これでは納得できない、という声が上がっていたことも事実。基金からの補償をもらわない人を『教条的』と批判することは間違っています」

岩上「朝鮮併合、植民地化は国家の意志としてやったことですね。その国家による謝罪がない限りは、被害者は『またあるのでは』と思うでしょうね」

永田「山田宏さんは杉並区長の時に扶桑社の歴史教科書採用の動きの中心にいました。教科書攻撃をやってきたその人が今、慰安婦問題のバックラッシュをしている当事者にいるということなのです。

 安倍さんたちは『sex slave』という言葉を拒否しますね」

岩上「実態は強姦だったということですね」

永田「究極の人権侵害をした。だから人道に対する罪なんですね。人道に対する罪は時効がありません。ナチスの戦犯と同じことです。

 国際的なルールを当てはめれば、慰安婦問題の被害女性が1人もいなくなっても、罪は消えない。『慰安婦』問題を決着して、それからアジア諸国との外交関係を結ばなければならない。これが未来志向だと思うのです」

岩上「しかし保守政治家は『未来志向』と言いながら、昔の話は水に流してビジネスの話しようと。そこで言われるビジネスの話とは帝国主義的な収奪と変わらない。韓国や中国の人びとは、根本的に反省しない国と『未来志向』の関係を結べるとは考えないでしょうね」

慰安婦制度があったことを認めない日本政府 それこそが米国を怒らせる原因

岩上「安倍総理は朝日新聞が吉田証言を取り消したことを受け、『いわれなき中傷』が世界中で起こっていると発言しました。吉田証言が『いわれなき中傷』の原因だと主張したいわけですね。そしてその朝日の誤報一つが原因であると」

永田「そもそも吉田証言が世界に発信されたのか、という疑問があります。韓国では80年代後半からようやく民主化が始まる。慰安婦問題が認知される機運はまだありませんでした。90年に日本の国会で慰安所設置に軍や政府の関与がないという答弁があった。

 これに対し、91年に金学順(キム・ハクスン)が自分は慰安婦だったとカミングアウトしたんです。キムさんが名乗り出たことから慰安婦問題が認知されていきます。そして、次第に世界にも知られていくようになるのです。

 さらに、『いわれある中傷』の話ですが、2007年に安倍さんや高市さんが中心となり出した米国紙への意見広告ですね」

岩上「安倍総理はブッシュ大統領に謝っています。自分より上位の人間に『ご迷惑をかけた』と。しかし産経は『謝っていない』と報道しました」

永田「慰安婦制度があったことを認めないこと日本政府の態度そのものが米国を怒らせる原因となっているのです。吉田証言の虚偽証言を記事にしたことではないのです。これを知っているのか、いないのか」

岩上「私は作為的に言っているのだと思います」

永田「一つ一つの事実の基づいて語ることを踏み外した、わけのわからない発言です」

2001年NHK番組改変問題 政治家の「意見」で番組内容を変更?

岩上「2001年に起きたNHK番組改変問題についてお話いただけますか」

永田「ETV特集は硬派な看板番組でした。昭和天皇の戦争責任についても番組を作っています。これには抗議がくることもありませんでした。

 問題とされた番組が取り上げたのは女性国際戦犯法廷。被害女性の証言にもとづき日本軍による戦時性暴力の責任を問う民間法廷による模擬裁判でした。これは戦争当時の日本政府が批准していた国際法に則った形をとりました。カルト裁判ではありません。

 番組の放送は1月30日。NHK番組改変問題とは、中川昭一氏や安倍晋三氏がNHKに『意見』を述べることで、その直後に番組内容が変わってしまったという事件です。

 女性国際戦犯法廷の原告は被害女性。被告は日本軍と日本政府です。被告は法廷に招かれていましたが、結局姿を現しませんでした。政府や軍の主張を代弁するamicus curiae(アミカス・キュリエ)も立てました。したがって、公正な手続きを踏んだ形式だったのです。

 天皇に戦争責任がないとする主張の根拠は、『軍部の暴走』です。しかし実際は、天皇は作戦会議にもコミットしていた。ないとするのは逆に失礼だと私は思っていた。だからこの民間法廷で天皇の戦争責任に言及する時にもタブーにしようとはしませんでした。

 被害女性が公の場で自身の体験を話すことは非常につらいことです。しかし同じ目に遭った人びとがいたことを確認する場でもありました。また被害者たちの人間性を回復される場でもあった。さらに海外のメディアがきちんと取り上げました。

 会場となった九段会館の周囲には右翼の街宣車があらわれたりした。そんなこともあり主催者側は攻撃を露骨に受けている中で、メディアでの取り上げられ方にも神経質になっていたと思います。

 主催したVAWW-NETジャパンが原告となりNHKとの裁判が開始されます。取材許可を出した主催者側の『期待権』を認めるかどうかが争われました。最高裁ではNHKが勝訴します。その時に、すべてのメディアがNHK側に立つ。

 この事件では、放送前日の夕方に政治家とやりとりして、番組内容すっかり変わってしまうということが起きた。原告側は、言論の自由を蔑ろにしたNHKに非があるという主張をした。2審ではそれが通り、NHKに損害賠償を命じる判決が出されます」

経世会から清和会へ:政治家・安倍晋三が次第に台頭する政界

永田「『歴史教科書への疑問』が出版されたのが1998年です。慰安婦の記述を教科書からなくすための暴風が吹き荒れた時期になされた女性国際戦犯法廷でした」

岩上「当時の政治状況に対する認識は?」

永田「当時は森内閣でしたが、幹事長は野中広務さん。それほど大きな摩擦が起きるとは思っていなかった。しかし安倍さんや中川さんが力をつけつつあった時期でもあったということですね。その自覚が乏しかったかもしれません。右翼などの攻撃の予想はありましたが、政治家まで乗り出してくるとは考えていませんでした」

岩上「政治家は電撃戦をしたということですね」

永田「被害女性の証言には圧倒されます。それには頭を垂れるしかない。しかし番組としては距離をとる必要もありました。私の上司の部長の言葉は乱暴でしたが、妥当なものでした。しかし制作会社の若いディレクターにすれば証言に圧倒されるのも無理からぬ話でした。

 教養番組部の部長が二回の試写でちゃぶ台をひっくり返す。制作会社は現場から離脱することになります。これが番組改変事件の中では不幸なことでした。法廷を取材した当事者がいなくなったことになりますから。この後は私と長井暁さんとで防戦一方になりました。

 番組の最終形態には、女性国際戦犯法廷をマイナスに評価する意見として、秦郁彦氏の喋る部分がバランスを欠くくらい長く挿入されています。本来あった被害女性の体験を語る表現が除かれ、その埋め合わせをする必要があったのです。

 番組の全体は40分ほど。そのうち女性国際戦犯法廷に取材した部分は10分に満たないほどです。その他は、日本政府の対応など周辺部分に終始しています。

 前哨戦の番組論・番組美学で語る部分と、もっと生々しい政治圧力の話とを分けて考えなくてはならないのですが、この番組改変事件では、一連の流れの中で、この二つが同時に起きているのです。

 NHKの言い分としては、良いものを作るためにした、というもの。しかし、これは編集ではなく、改変と呼ぶべきことです」

NHKに「殴り込」む右翼団体

永田「1月26日に日本会議のメンバーが片山虎之助総務大臣に申し入れをしています。27日には西村修平氏がNHKの正面玄関にやってきて朝から夕方まで抗議。これとは別にNHKの西口に街宣車で乗りつけ、守衛の制止を振り切る」

岩上「殴り込みですね」

永田「当時10階にいた私に対して、受付の電話を通じて『下りてこい』と叫ぶわけです」

岩上「永田さんのことを把握していたのですね」

永田「その日までに、私に対して『殺す』などという電話がかかってきていました。当時は電話で担当者と直に話すことができました」

岩上「どうでしたか。怖いと感じたと思いますが」

永田「電話で『殺す』というのは怖くありません。乱入の現場は見ていませんが、話を聞くかぎりは怖いと感じますね。不法侵入ですから警察に届けました」

岩上「28日には秦郁彦さんに取材されていますね」

永田「番組で使う部分について、私は1分半ほどのつもり。しかし秦さんは全部使うようにと譲らない。番組からは被害者の証言が削られ体裁を整えるため、何でもよいから埋め草が必要となる。結果、秦さんの部分が延々と流れることに。

 中川昭一氏はすでに亡くなっています。朝日新聞の2005年の記事では、中川氏が放送前に意見を述べたとしている。中川氏は一度は、『放送前に意見を言った』と発言していますが、後にそれを『後だった』としました。

 すでに中川氏は亡くなっていますから、NHKと接触したのか、番組の改変前なのか後なのか分からないままです」

岩上「しかしNHKの当事者に聞けば分かることでは?」

永田「当時の松尾武放送総局長は『北海道のおじさんはやくざみたいだった』と話していますが、『北海道のおじさん』が誰であるか、実名を挙げてはいません。

 小森陽一さんが松尾さんが宴会の席で偶然一緒になったときに、松尾さんは『あの時に変えたのは私ですよ』と話したそうです」

岩上「脇の甘いところがある方ですね。武勇伝だと思っていたのでしょうか」

永田「ちょっと不思議なところがある方です」

放送当日の改変

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