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第14回 脱原発盛岡金曜デモ 2012.11.9
2012年11月9日(金)、岩手県盛岡市の内丸緑地公園から、「第14回 脱原発盛岡金曜デモ」が行われた。
「芦名を考える会はまゆう」と神奈川県内数団体による要望書の提出と記者会見 2012.11.6
2012年11月6日(火)、神奈川県横浜市中区の神奈川県庁で「『芦名を考える会はまゆう』と神奈川県内数団体による要望書の提出と記者会見」が行われた。
被災地(岩手県)の漁網を受け入れる神奈川県の計画に反対している市民団体・芦名を考える会はまゆう代表の原田周二氏は、「協定書を変えてまで受け入れることは、県民全体に問うべきだと思う」と述べたほか、同じく市民団体・相模原の未来を考える会代表の関戸正樹氏が「被災地で処理することが被災地の復興につながる」と、漁網受け入れの中止を訴えた。
第13回 脱原発盛岡金曜デモ 2012.11.2
2012年11月2日(金)、岩手県盛岡市の内丸緑地公園から、「第13回 脱原発盛岡金曜デモ」が行われた。
第11回 脱原発盛岡金曜デモ 2012.10.19
2012年10月19日(金)、岩手県盛岡市の内丸緑地公園から、「第11回 脱原発盛岡金曜デモ」が行われた。
さようなら原発 岩手県集会 デモ行進 2012.10.13
2012年10月13日(土)、盛岡市の岩手教育会館において「さようなら原発 岩手県集会」が行われた。IWJ岩手では集会後に行われたデモ行進を中継した。
第10回 脱原発盛岡金曜デモ 2012.10.12
2012年10月12日(金)、岩手県盛岡市の内丸緑地公園から、「第10回 脱原発盛岡金曜デモ」が行われた。
脱原発盛岡金曜デモ 2012.8.31
2012年8月31日(金)、岩手県盛岡市の市役所付近で「脱原発盛岡金曜デモ」が行われた。
東京の首相官邸前、国会前で毎週金曜日に行われている抗議活動に呼応して始まったもので、毎週100人を超える参加者が集まっている。今回は約141人が参加(主催者発表)。行進は18:30にスタート、東警察署前→市役所前→中の橋→岩手銀行中ノ橋店→東北電力→与の字橋というコースを辿り、最後は内丸緑地で解散した。この日は全国各地の脱原発デモを取材している秋山理央氏も登場。まだデモ慣れしていない参加者に対し、経験者がコールの仕方などをリードしながら、初々しくパレードは進行した。
脱原発盛岡金曜デモ 2012.8.24
2012年8月24日(金)、岩手県盛岡市、市役所付近で行われた「脱原発盛岡金曜デモ」の模様。東京の首相官邸前、国会前で毎週金曜日に行われている抗議活動に呼応して始まったもので、毎週100人を超える参加者が集まっている。今回も、あいにくの雨にもかかわらず約110人を超える人々が参加。「原発反対」などのシュプレヒコールを上げながら、傘を差しながら市内を練り歩いた。行進は18:30にスタート、東警察署前、市役所前、中の橋、岩手銀行中ノ橋店、東北電力、与の字橋というコースを辿り、最後は内丸緑地で解散した。主催は「盛岡でもデモし隊☆脱原発盛岡デモ」。
芦名魚網受け入れ反対の署名及び声明文の提出後の記者会見 2012.8.3
2012年8月3日(金)、神奈川県庁新館で、「芦名魚網受け入れ反対の署名及び声明文の提出後の記者会見」が行われた。
芳賀廣喜氏(大槌町吉里吉里仮設団地自治会長) 記者会見 2012.3.13
2012年3月13日(火)、自由報道協会主催で行われた芳賀廣喜氏(大槌町吉里吉里仮設団地自治会長)記者会見の模様。
岩手県大槌町吉里吉里地区では、住民総出で復興に取り組んでいる。
「東日本大震災津波岩手県・陸前高田市合同追悼式」 2012.3.11
2012年3月11日(日)、「東日本大震災津波岩手県・陸前高田市合同追悼式」の模様。
福島・岩手・宮城・千葉県の子どもの尿検査についての日仏同時記者会見 2012.3.7
2012年3月7日(水)、参院議員会館で行われた、「福島・岩手・宮城・千葉県の子どもの尿検査についての日仏同時記者会見」の模様。
小沢一郎議員の被災地訪問と記者会見 2012.1.3
特集 陸山会事件
2012年01月03日火、小沢一郎議員が民主党の岩手県連の代表として、被災地訪問を行った。
訪問は東日本大震災後初めてで、岩手県内沿岸の久慈市から、宮古市の浄土ヶ浜、釜石市、大船渡市、陸前高田市まで全五カ所をまわった。
岩上安身によるインタビュー第16回 ゲスト 黒木昭雄氏、死亡8ヵ月前のインタビュー ~岩手殺人事件の真相究明に命を懸けた執念の「ジャーナリスト魂」 2010.3.23
警察裏金問題などを告発し続けてきたことで知られる、元警察官ジャーナリストの黒木昭雄氏が遺体で発見されたのは、2010年11月のこと。「俺が死んだら警察に殺されたと思ってくれ」が彼の口癖だっただけに、享年52歳という若すぎる死には、「他殺説」も流れた。
遺書も発見されていることから、少なくとも外形的には自殺だった。ただそこには、黒木氏が晩年、ジャーナリストとして真相究明に多大な精力を注ぎ込んでいた「岩手17歳女性殺人事件」が絡んでいることは間違いない。ほぼすべてのメディアがこの事件を軽視する中で、孤軍奮闘していた黒木氏は、精神面のみならず財政の面でも多大なストレスを強いた、ということだ。
死の約8ヵ月前、岩上安身は東京都内で黒木氏にインタビューした。「あえて予習はしてこなかった」という岩上安身の質問に、ひとつひとつ丁寧に応じる黒木氏。やがて、この事件の複雑なバックボーンが明らかになり、容疑者として指名手配中の男性の「冤罪の可能性」が浮かび上がってくるのだった――。